心がすでに知っていた答え
土曜日は終わった。
けれど、その夜、俺はなかなか寝つくことができなかった。
ベッドに横たわり、胸の上にスマートフォンを置いたまま、部屋の天井をぼんやりと眺めていた。
今日は、本当に素晴らしい一日だった。
舞夜と商店街を歩き、お菓子を分け合い、本屋に立ち寄り、アルバムに新しい写真を加える場所も見つけた。
俺たちは未来について話した。
これから撮りたい写真のこと。
卒業したあとも、一緒に歩いていける可能性について。
そして、別れ際に彼女が言ってくれた言葉。
もう一度、俺を選ぶという言葉。
俺は目を閉じた。
「舞夜……」
気づかないうちに、彼女の名前が唇からこぼれていた。
初めて出会った日に戻れたら、もう一度彼女に近づくと伝えたときの、舞夜の表情を思い出す。
俺の手を、少し強く握ってくれたこと。
そして、最後に聞いた言葉。
『私も、もう一度大樹を選ぶよ』
自然と笑みが浮かんだ。
あの言葉が、俺にとってどれほど大きな意味を持っていたのか。
舞夜は、どこまで理解しているのだろう。
もしかしたら、彼女は分かっているのかもしれない。
何しろ舞夜は、俺が認めたくないほど、人の気持ちに敏感な女の子なのだから。
けれど、まだ彼女に伝えていないことがある。
もう、これ以上胸の中にしまっておきたくないことが。
俺は身体を起こし、スマートフォンを手に取った。
舞夜とのチャットを開く。
大樹:今日はありがとう、舞夜。すごく楽しかったよ。
送信する前に、少しだけ画面を見つめた。
自分の気持ちを表すには、あまりにも簡単な言葉だった。
けれど、これは本当のことだ。
俺は送信した。
数秒後、返事が届いた。
舞夜:私もすっごく楽しかった! もう公園の写真をアルバムに追加したよ。
思わず笑ってしまう。
大樹:早くない?
舞夜:当然だよ! 明日まで待てなかったもん。
さらに、もう一通届いた。
舞夜:あの写真、すごく気に入ってる。二人とも本当に笑ってたから。
俺は画面を見つめた。
大樹:俺も気に入ってるよ。
少し迷ってから、次のメッセージを入力した。
大樹:舞夜、ひとつお願いしてもいい?
すぐに返事が届く。
舞夜:もちろん! どうしたの?
俺は深く息を吸った。
大樹:明日、少し二人きりで話したいんだ。
今度は、舞夜からの返事が少し遅れた。
画面を見つめながら待っていると、数秒が妙に長く感じられた。
やがて、メッセージが表示された。
舞夜:いいよ。前に話してくれたことについて?
俺は動きを止めた。
彼女が何を指しているのか、すぐに分かった。
大切な話があると伝えた、あのときのこと。
これ以上、先延ばしにしたくないと約束したこと。
もう、自分が何をしようとしているのか、知らないふりはできなかった。
大樹:うん。その話をしたい。
入力中の表示が出た。
消えた。
また表示された。
そして、ようやく舞夜から返事が届いた。
舞夜:分かった。ちゃんと聞くよ、大樹。
その下には、小さな紫色のハートが添えられていた。
俺は、しばらく画面を見つめていた。
それから、ずっと伝えたかった言葉を入力した。
大樹:信じてくれてありがとう。
すぐに返事が来た。
舞夜:そんなこと、わざわざお礼を言わなくてもいいのに。
そして、数秒後。
舞夜:おやすみ、大樹。いい夢を見てね。
俺は微笑んだ。
大樹:おやすみ、舞夜。
スマートフォンを置き、再びベッドに横たわる。
明日、俺は彼女と話す。
彼女がどう反応するのか、そのあと何が起こるのかは分からない。
思い描いたとおりに、すべての言葉を伝えられる保証もない。
それでも、もう先延ばしにする理由を探すのはやめた。
伝えたい。
それだけで、次の一歩を踏み出すには十分だった。
日曜日の朝。
目を覚ました俺は、どこか不思議な感覚を抱いていた。
緊張しているわけではない。
かといって、落ち着いているとも言い切れない。
これから、自分たちの関係を変えるかもしれないことをしようとしている。
そんな確信があった。
起き上がり、朝食を済ませて、出かける準備をした。
部屋を出る前に、最後にもう一度スマートフォンを確認する。
舞夜からメッセージが届いていた。
舞夜:おはよう! 今日もいい天気だね。
俺は笑った。
大樹:おはよう。よかったら散歩しない?
舞夜:うん! どこで待ち合わせる?
駅の近くにある、静かな場所で待ち合わせることにした。
到着すると、舞夜はすでに待っていた。
濃い紫色の髪を肩に下ろし、ホワイトデーに俺が贈ったペンダントを身につけている。
俺を見つけると、彼女は手を上げて微笑んだ。
「大樹!」
俺は彼女のもとへ近づいた。
「おはよう、舞夜」
「おはよう」
彼女は数秒、俺をじっと見つめた。
「……緊張してる?」
心臓が、小さく跳ねた。
「そんなに分かるか?」
「ちょっとだけね」
舞夜は笑った。
けれど、その表情にも少し不安が見えた。
「今日、話すことがあるから?」
俺は頷いた。
舞夜は、わずかに視線を落とした。
「そっか」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
やがて、彼女が俺に手を差し出した。
俺はその手を取った。
「歩きながら話そうよ」
舞夜が提案した。
「散歩しながらでもいい?」
「ああ」
俺たちは、駅の喧騒から離れた静かな通りを歩き始めた。
空気は涼しく、空は澄み渡っていた。
数分間、俺たちは何気ない話をした。
舞夜は、公園で撮った新しい写真をアルバムの最初のほうに入れたことを教えてくれた。
俺は、見たいと思っていた映画の話をした。
すると舞夜は、今度一緒に見ようと強く勧めてきた。
いつもと変わらない会話。
けれど、その何気ないやり取りの奥には、二人とも分かっている大切な話が待っていた。
やがて、俺たちは小さな公園にたどり着いた。
人通りの少ない場所にあるベンチ。
そばの木の葉が、風に揺れていた。
俺たちは並んで座った。
舞夜はバッグを隣に置き、俺のほうを向いた。
「大樹」
「うん」
「聞いてるよ」
その言葉は、とても簡単なものだった。
けれど、それが俺に必要な勇気を与えてくれた。
俺は彼女を見つめた。
初めて出会ったときには、まさかこんなにも自分の人生にとって大切な存在になるとは思っていなかった女の子。
自信と優しさ、そして冗談を織り交ぜながら、俺に恋をしてくれた女の子。
俺が自分の気持ちに気づくまで、待っていてくれた女の子。
俺の手を握り、逃げないでほしいと伝えてくれた女の子。
そして今、俺の隣に座り、言葉が完璧でなくてもいいから聞きたいと、静かに待ってくれている女の子。
俺は深く息を吸った。
「舞夜。俺たちのことを、ずっと考えていたんだ」
彼女は黙って聞いていた。
「初めて出会ったときのこと。これまで一緒に過ごしてきた時間。そして、あの頃からどれだけ変わったのか」
俺は、繋いだ手を見つめた。
「最初は、どうして舞夜が俺とそんなに一緒にいたがるのか、分からなかった。君が近づいてきたとき、どうすればいいのかも分からなかったし、緊張するようなことを言われたとき、何を答えればいいのかも分からなかった」
舞夜が、少しだけ笑った。
「覚えてるよ」
「それに、俺がどれだけ不器用だったかも、舞夜は覚えてるだろ?」
「ちょっとだけね」
「舞夜!」
彼女が小さく笑った。
その何気ないやり取りのおかげで、少しだけ呼吸が楽になった。
俺は再び彼女を見た。
「でも、少しずつ、休み時間に舞夜と会うのを楽しみにするようになった。君と話したいと思うようになった。今日、どんなことがあったのか知りたくなった。そして、一緒にいないときも、次にいつ会えるのか考えるようになったんだ」
舞夜の笑顔が、ゆっくりと消えていった。
代わりに、彼女の表情は真剣なものへと変わる。
「それから、舞夜が過去のことを話してくれたときも覚えている」
俺は続けた。
「君が、あの記憶と向き合うことがどれだけ大変だったのか。俺に話してくれたことが、どれだけ勇気のいることだったのか」
少しだけ間を置いた。
「俺は、いつも正しい言葉を見つけられたわけじゃない。どうすれば助けられるのか分からないときもあった。でも、舞夜の隣にいたことを後悔したことは一度もない」
舞夜の瞳が、少しずつ潤んでいく。
「大樹……」
「俺にとって、あの時間も大切なんだ。デートや写真、特別な日だけじゃない。君の話を聞けたこと。俺を信じてくれたこと。君の喜びも心配も、共有したいと思うようになったこと」
俺は、彼女の手をそっと握り直した。
「そして、バレンタインやホワイトデー、あのペンダントやお正月……。アルバムに残してきた、たくさんの思い出」
照れくさくなり、少しだけ笑った。
「俺たちの写真を見た人がいたら、きっと、すごくたくさんのことを経験してきたんだなって思うだろうな」
「……本当に、たくさん経験してきたよ」
舞夜が小さく呟いた。
「ああ」
俺は彼女の目を見た。
「でも、写真には残っていないものがあるんだ」
舞夜が息を呑んだ。
「それは……?」
心臓が、あまりにも速く鼓動していた。
一瞬、言葉が出てこなくなる。
けれど、ここ数日、何度も自分に言い聞かせてきたことを思い出した。
逃げたくない。
冗談でごまかしたくない。
俺たちが一緒に過ごしてきた時間が、俺にとってどんな意味を持っていたのか。
舞夜に、もう疑問を抱かせたくない。
だから、深く息を吸い、足りなかった勇気を集めた。
「俺が、舞夜に対して感じている気持ちだよ」
舞夜は、完全に動きを止めた。
俺は彼女を見つめた。
これまで何度も頭の中で変わってきた言葉。
ずっと伝えたいと思っていた言葉。
もう、胸の中にしまっておきたくない言葉。
「舞夜、俺は……」
一瞬だけ、言葉を止めた。
気持ちが変わったわけではない。
ただ、彼女の紫色の瞳を見つめているうちに、理解したのだ。
何か特別な言葉を言う必要はない。
ただ、自分の本当の気持ちを伝えればいい。
俺は緊張した笑みを浮かべながら、彼女の手を握った。
「ずっと前から、君に伝えるべきだったことがあるんだ」
舞夜は、ゆっくりと頷いた。
「……聞かせて」
そして、俺は初めて、逃げたいという気持ちを抱かなかった。
なぜなら、もう自分が何を伝えたいのか、分かっていたから。
それは、舞夜に何かを求められたからではない。
自分自身で選んだ気持ちを、彼女と共有するためだった。
俺は、舞夜を選んだ。
そして、これからも彼女を選び続けたい。
今回も読んでくださり、ありがとうございます。
大樹はついに、自分の想いを舞夜へ伝える決意をしました。
二人の物語がどのように進んでいくのか、次回も見守っていただけたら嬉しいです。




