会いたかった人
電車が、いつもの轟音とともに駅へ到着した。
俺は他の乗客と一緒に乗り込み、ドアの近くに空いていた場所を見つけた。
車両が動き始めると、窓の外を眺めながら、今日やろうと決めたことを頭の中で整理する。
告白の台詞を暗記するつもりはない。
試験の発表でもするかのように、あらかじめ一言一句を準備しておくつもりもなかった。
この数ヶ月で舞夜と話せるようになった時と同じように、素直に話したい。
たとえ言葉を間違えても、緊張してしまっても、考えを整理するために何度か立ち止まることになっても。
そもそも、舞夜にはもっと恥ずかしい姿を見られている。
好きな人のどんなところに憧れているのか、彼女に真正面から尋ねられた時のこと。
自分の気持ちを隠そうとして、余計に緊張してしまった時のこと。
そして、そんな俺を見つけるたびに、舞夜がいつも笑顔を浮かべていたこと。
「……今度こそ、逃げない」
小さく呟いた。
隣にいた乗客がちらりとこちらを見る。
俺はすぐに視線を逸らした。
……完璧だ。
デートに到着する前から、すでに恥ずかしいことをしている。
電車を降りると、駅の時計は約束の時間を示していた。
改札へ向かいながらスマートフォンを取り出し、舞夜からのメッセージが届いていないか確認する。
新しいメッセージが一件。
舞夜:もう着いたよ!
その下には、駅の入り口を撮影した写真が添付されていた。
俺は笑みを浮かべ、もうすぐ到着すると返信した。
そして、彼女を見つけた。
柱の近くで、駅から出てくる人たちを何気なく眺めている。
淡い色のブラウスに薄手のジャケット、落ち着いた色のスカート。服装に合わせた靴を履いていた。
長い暗紫色の髪が肩に流れ、髪の間には小さな花の髪飾りが見える。
俺が贈ったペンダントは、彼女の胸元にそっと輝いていた。
目が合った瞬間、舞夜の表情がぱっと明るくなる。
「大樹!」
彼女は手を振りながら、こちらへ歩いてきた。
その瞬間、朝から頭の中で繰り返していたことを、すべて忘れてしまった。
ただ、彼女を見つめることしかできなかった。
綺麗だ。
特別な服を選んだからでも、俺を驚かせようとしているからでもない。
そこに、俺を待っていてくれた笑顔があった。
ただそれだけで、ここが自分の行きたかった場所なのだと感じた。
「おはよう、舞夜」
「おはよう!」
舞夜は俺の前で立ち止まり、上から下までじっと見つめた。
「へえ……」
「何だよ?」
「今日は、いつもよりちょっとおしゃれしてるね」
頬が熱くなる。
「そうかな?」
「うん」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「もしかして、今日は私とのデートだから?」
「だから、ただのお出かけだって!」
「二人で約束して、土曜日を一緒に過ごして、特別な思い出を作ろうとしてるんだよ?」
舞夜は指を一本立てた。
「私の計算によると、これはデートに限りなく近いと思うんだけど」
「その計算、最初から結論が決まってるだろ」
「じゃあ、私が間違ってるって証明してみて?」
あまりにも満足そうな笑顔を向けられ、結局、俺は笑ってしまった。
「……おはよう、舞夜」
「もう挨拶したよ?」
「もう一回、言いたかったんだ」
舞夜の表情が変わった。
笑顔が少し小さくなる。
けれど、さっきよりもずっと優しいものになった。
一瞬、驚いたように見つめられる。
「……あ」
彼女は少しだけ視線を下げた。
「じゃあ……おはよう、大樹。もう一回」
そんな反応をしてくれたことが、嬉しかった。
特別な台詞ではない。
事前に考えていた言葉でもない。
ただ、本当にそう思ったから口にしただけだ。
舞夜に会いたかった。
彼女と一緒にいたかった。
そして、そうした気持ちを伝えることが、以前よりも自然になってきている。
「そういえば」と舞夜が言った。
いつもの元気な調子を取り戻し、スマートフォンを取り出す。
「今日は、ちょっとしたリストを作ってきたの!」
「リスト?」
彼女は画面を見せてくれた。
そこには、いくつかの場所が並んでいる。
まだ歩いたことのない商店街。
小さな文房具店。
駅から少し離れた公園。
そして、最後の一行にはこう書かれていた。
次の二人の写真を撮る場所を見つける。
思わず笑ってしまった。
「いくつ予定を立てたんだよ?」
「そんなに多くないよ!」
「これ、遠足のしおりみたいになってるぞ」
「事前準備は大切なの!」
舞夜は腕を組み、わざとらしく不満そうな顔をした。
「それに、全部やらなくてもいいんだよ。二人で行きたいところを選べばいいんだから」
もう一度リストを眺める。
「大切なのは、一緒に過ごすことだからね」
その最後の言葉に、俺は笑みを浮かべた。
「じゃあ、まずは商店街から行こうか」
「うん!」
舞夜はスマートフォンをしまい、俺に手を差し出した。
一瞬だけその手を見つめてから、俺は彼女の手を取る。
指と指が絡み合う。
「行こっか?」
「行こう」
俺たちは歩き始めた。
駅から離れていく間も、俺の緊張が消えたわけではなかった。
告白のことを考えるたび、心臓が少しずつ速くなる。
けれど、もう完璧な言葉を探すことに焦る必要はない。
その時が来るまで、待てばいい。
今は舞夜と過ごす朝を楽しみたい。
商店街に到着すると、通りはかなり賑わっていた。
歩道の両側には小さな店が並び、扉を開けたカフェからはコーヒーの香りが漂ってくる。
焼きたてのお菓子を販売する店もあり、甘い香りとコーヒーの香りが混ざり合っていた。
舞夜は俺の隣を歩きながら、興味深そうに周囲を眺めている。
「ここ、ずっと来てみたかったんだ」
「どうして今まで言わなかったんだ?」
舞夜は俺を見た。
「だって、前は大樹を誘うための理由を考えなきゃいけないと思ってたから」
その言葉は、俺が想像していた以上に胸に響いた。
舞夜は微笑みながら、続けた。
「でも、今は一緒に来たいって、そのまま言ってもいいんだよね?」
俺は彼女の手を優しく握り返した。
「もちろん」
「じゃあ、次に気になる場所を見つけたら、ちゃんと伝えるね」
「俺もそうするよ」
舞夜は満足そうに頷いた。
その後、彼女は小さなお菓子屋さんの前で足を止めた。
「大樹、見て!」
店のショーケースには、果物を使った一口サイズのケーキや、可愛らしく飾られた小さなデザートが並んでいた。
「すごく綺麗なケーキがあるよ」
「入ってみる?」
「いいの?」
俺はわざと驚いたような顔をした。
「舞夜、一緒に過ごすために来たんだろ? お菓子屋さんに入るのに、俺の許可なんて必要ないよ」
舞夜は瞬きをした。
それから、頬をほんのり赤く染めて微笑んだ。
「……そうだね」
俺の手を取ると、店の入り口へ向かって軽く引っ張った。
「じゃあ、行こう!」
二人で小さなケーキを一つずつ買い、店を出た。
舞夜は俺のケーキを食べたがり、俺も彼女のケーキを味見することになった。
当然のように、どちらが美味しいかを巡って数分間の議論が始まる。
舞夜は自分のケーキを推し、俺は自分のケーキを推した。
最後にはお互いの残りを交換して食べ、二人とも美味しかったという結論に落ち着いた。
……実に都合のいい結論だ。
歩いている途中、舞夜がスマートフォンを取り出した。
「大樹、ちょっと待って。写真を撮りたいな」
「ケーキの?」
「違うよ。私たちの写真!」
俺は足を止めた。
舞夜はスマートフォンを持ち上げ、俺の隣に近づく。
「笑って!」
「もう笑ってるだろ」
「そういう笑顔じゃないよ。二つのケーキを払わなきゃいけないって知った人みたいな顔してる」
「だって、舞夜が高い方を選んだんだろ!」
その瞬間、舞夜が大きな声で笑った。
そして、シャッター音が鳴る。
写真を確認した彼女は、満足そうに微笑んだ。
「うん、いい感じ!」
画面を見せてくれる。
そこには、俺の隣で笑顔を浮かべる舞夜と、少し照れくさそうにしている俺が写っていた。
……いや、正確には。
俺は舞夜を見ていた。
「最近、写真を撮ると、ほとんどこんな感じだね」
「こんな感じって?」
「大樹がカメラじゃなくて、私を見てるの」
俺は固まった。
「そ、そんなことないだろ」
舞夜は写真を拡大した。
「そうかな?」
「……まあ、何枚かは」
「何枚かどころじゃないよ」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「そんなに私を見るのが好きなの、大樹?」
耳まで熱くなる。
「……先に進もう!」
「大樹、まだ答えてないよ!」
「答える必要なんてないだろ!」
舞夜は笑いながらスマートフォンをしまった。
俺は彼女の最後の質問を聞かなかったことにして、歩き続ける。
でも、心の中では、答えはとっくに決まっていた。
そうだ。
俺は舞夜を見るのが好きだ。
彼女の笑顔を見るのが好きで、笑い声を聞くのが好きで、何かに興味を持って目を輝かせる姿を見るのが好きだ。
俺をからかって、まともな返事ができなくなるほど困らせるところだって好きだった。
舞夜だから、好きなのだ。
これまで一緒に過ごしてきた時間を思い返すと、そんな些細な瞬間さえ、今の俺の気持ちと切り離せなくなっていた。
小さな広場に着くと、舞夜が少し休もうと提案した。
俺たちは木陰のベンチに腰を下ろす。
そこからは、散歩をする家族や、噴水の近くで遊ぶ子供たちが見えた。
舞夜はバッグを隣に置き、写真アルバムを取り出した。
「持ってきたんだ」
「もちろん!」
彼女は膝の上でアルバムを開いた。
「大樹に見せたいものがあるの」
何ページかめくった後、舞夜は一枚の古い写真を指差した。
俺たちが一緒に保存した、最初の頃の写真だった。
特別に綺麗な構図というわけではない。
光の当たり方も不均一で、二人ともカメラの前で少しぎこちない表情をしていた。
それでも、その写真には他のものでは再現できない何かがあった。
俺たちの物語が始まった頃の姿。
まだお互いを知ろうとしていた時。
舞夜が俺に近づく方法を探していて、俺は彼女との時間がどうしてこんなにも大切になり始めているのか、まだ理解できていなかった頃。
「この日のこと、覚えてる?」
俺は頷いた。
「もちろん」
舞夜は写真の端をそっと撫でた。
「私、すごく緊張してたんだよ」
「舞夜が?」
「どうしてそんなに驚くの!」
俺は思わず笑った。
「だって、いつも自分が何をしたいのか、はっきり分かってるように見えたから」
舞夜は小さく笑った。
「そう見えていただけだよ」
写真を見つめながら、彼女は続ける。
「大樹に私のことを知ってほしかった。二人でいない時も、私のことを思い出してほしかった。少しずつでも、もっと近づきたかったんだ」
彼女の指が写真の上で止まる。
「自信があるように振る舞っていたけど、本当に大樹の心に届くのかなって、何度も考えてた」
俺は何も言えなかった。
舞夜があの頃のことを話すたびに、俺は彼女がどれほどの想いを込めて、俺との時間を作ろうとしていたのか、少しずつ理解できるようになっていた。
「舞夜……」
彼女が顔を上げる。
「なに?」
本当は、伝えたかった。
彼女の想いは、俺の心に届いていた。
想像していた以上に。
今では、俺の人生を考える時、彼女との思い出を抜きにしては考えられないほどになっている。
けれど、まだ言葉にはできなかった。
代わりに、俺は彼女の手をそっと握った。
「……舞夜が俺に近づいてくれて、よかった」
舞夜は目を見開いた。
そして、微笑んだ。
「私も、そう思うよ」
彼女は俺の肩に頭を預け、アルバムを閉じた。
そのまま、俺たちはしばらく何も話さなかった。
木の葉が風に揺れる音が聞こえる。
広場には、日常のささやかな音が満ちていた。
それが、かえってこの時間を特別なものにしてくれているように感じた。
舞夜の肩が俺に触れ、彼女の手が俺の手と繋がっている。
そんな状況で、俺は考えていた。
この数ヶ月、何度も頭の中で繰り返した告白の言葉。
どんな言葉なら伝わるのか。
どんなタイミングならいいのか。
どんな風に告げれば、彼女にとって特別な瞬間になるのか。
けれど、今になって気づいた。
俺たちの物語を、何か別のものに変える必要はない。
自分の気持ちを証明するために、特別な場面を作り上げる必要もない。
俺たちの物語は、すでにこうした瞬間の積み重ねでできている。
何気ない会話。
不完全な写真。
特に何もせず、ただ一緒に過ごした午後。
それなのに、時間が過ぎるのを少しでも遅くしたいと思う瞬間。
舞夜に告白するのなら、そうしたことを忘れてはいけない。
俺が恋をしたのは、理想の姿を作り上げた誰かではない。
俺の言い訳を笑い、休み時間には俺を待ち、思い出に触れる時にはペンダントを大切そうに撫で、予想もしなかった質問で俺を緊張させる女の子。
俺が恋をしたのは、舞夜だ。
俺が知っている彼女。
これからも、もっと知っていきたい彼女。
そして、これから先の人生を一緒に歩んでいきたい彼女。
俺は、隣で休んでいる舞夜の顔を見つめた。
まだ、ずっと胸の中にしまっていた言葉を伝えていない。
でも、彼女に何を分かってほしいのかは、もう分かっていた。
これまで一緒に過ごしてきた時間だけを理由に、彼女を選ぶのではない。
これから先、二人で過ごす時間も含めて、舞夜を選びたい。
それが、俺の気持ちだった。
俺の隣にいる彼女を見つめながら、そう確信した。
これからの思い出を一緒に作りたい人。
そして、俺が恋をした人。
その二つは、同じだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
大樹と舞夜のデートは、少しずつ特別な時間になっていきます。
二人のこれからを、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いします。




