偶然という名の運命
一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
生徒たちは次々と席に着き、教室はいつもの朝の空気を取り戻していく。
――はずだった。
いや、正確には違う。
教室を満たしていたのは、いつもの雑談ではなかった。
噂話だ。
「本当なの?」
「文化祭の後、一緒に帰ってるところを見たって聞いたよ」
「駅でも二人でいたらしいよ」
「もう付き合ってるんじゃない?」
……。
俺は机に突っ伏した。
まだ授業は始まってすらいない。
それなのに、もう一日が終わってほしかった。
「南」
後ろの席から、松の声が聞こえる。
「なんだよ」
「おめでとう」
「なんで今なんだ?」
「週末の間に婚約しなかったことを祝ってるんだよ」
「何を言ってるんだ、お前は」
「人生、何が起こるかわからないからな」
無視することにした。
松とまともに言い争っても、疲れるだけだ。
……もっとも。
無視したところで、こいつが静かになるとは限らないんだけど。
そのとき、教室の扉が開いた。
担任の先生が、やけに分厚いファイルを抱えながら入ってくる。
「おはようございます」
「おはようございます!」
クラス全員が声をそろえて挨拶をした。
先生は教卓の上にファイルを置き、そのまま黒板へ向かう。
そして、白いチョークで大きく文字を書いた。
『二学期総合プロジェクト』
……。
嫌な予感しかしない。
「文化祭も終わったので、今日から新しい活動を始めます」
先生はそう言って、教室を見渡した。
「これは二学期で最も重要な課題になります」
さっきまで騒がしかった教室が、一瞬で静まり返る。
そして先生は、さらりと言った。
「みなさんには、二人一組で取り組んでもらいます」
……嫌な予感が、確信へと変わった。
二人一組。
その言葉だけで、もう十分だった。
先生は説明を続ける。
「これから数週間かけて、テーマの調査、レポートの作成、そして最後に発表をしてもらいます」
すると、後ろの席から松が勢いよく手を挙げた。
「先生!」
「はい、松くん」
「ペアは自分たちで決めてもいいですか?」
先生はにっこりと微笑む。
「ダメです」
「俺の希望、終了のお知らせです」
その一言で、教室は笑いに包まれた。
もちろん、俺は笑えなかった。
先生は教卓の横に置いてあった小さな箱を持ち上げた。
「この中に番号が書かれた紙が入っています」
教室がざわつき始める。
「一人ずつ引いて、同じ番号の人とペアになってください」
……なるほど。
つまり、俺たちの運命は完全に運任せというわけか。
最高だ。
自分の未来をくじ引きに任せるなんて、誰が考えたんだ。
「それじゃあ、前の列から順番に来てください」
抽選が始まった。
生徒たちは次々と箱の前へ向かい、紙を引いていく。
「あ、三番だ」
「やった、七番!」
「頼むから男子だけはやめてくれ……」
あちこちから声が聞こえてくる。
松も俺の後ろで両手を合わせていた。
「神様、どうか美少女をお願いします」
「そんなこと祈ってる時点で無理だろ」
「お前は余裕だな」
「どこがだよ」
「だって、八神と同じ番号を引く可能性があるじゃん」
「そんな奇跡、起きるわけないだろ」
「恋愛漫画ではよくある」
「ここは現実だ」
「今のお前たちを見てると、だんだん自信がなくなってくるんだよな」
無視した。
これ以上付き合っていたら、授業が終わる前に疲れ切ってしまう。
やがて、俺の順番がやってきた。
箱の中へ手を入れる。
適当に一枚つかみ取り、ゆっくりと開いた。
書かれていた数字は――。
『8』
俺は小さく息を吐き、そのまま席へ戻った。
あとは、同じ番号を引く相手を待つだけだった。
教室のざわめきは、しばらく続いていた。
そして、抽選も終盤へと差しかかる。
八神舞夜は、最後のほうに呼ばれていた。
彼女は静かに席を立ち、教卓へ向かう。
それだけの動作なのに、なぜか教室中の視線が集まっていた。
「八神さん、何番だろうね」
「絶対、当たりを引きそう」
「当たりって何だよ」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
舞夜は何も言わず、箱の中へ手を入れた。
そして、一枚の紙を取り出す。
ゆっくりと開き、その数字を確認する。
だが、その表情はまったく変わらなかった。
喜ぶわけでもなく、落ち込むわけでもない。
いつも通りの、落ち着いた顔だった。
先生は名簿を確認しながら、順番に番号を読み上げていく。
「一番――朝海さんと水子さん」
「二番――結衣さんと田辺くん」
教室のあちこちで歓声やため息が上がる。
ペアは少しずつ決まっていった。
そして――。
ついに、その番号が呼ばれた。
「八番」
……。
心臓が大きく跳ねた。
先生は最初の紙を見て、名前を読み上げる。
「南大樹くん」
教室の視線が、一斉に俺へ向く。
嫌な予感しかしない。
先生は続けて、もう一枚の紙へ視線を落とした。
「そして――」
一瞬、教室が静まり返る。
「八神舞夜さん」
……。
沈黙。
完全な沈黙。
ほんの二秒ほどの、奇妙な静けさだった。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
「「「やっぱりーっ!!」」」
三秒後。
教室は大爆発した。
「絶対そうなると思ってた!」
「また二人かよ!」
「運命って本当にあるんだ!」
「もう完全に恋愛小説じゃん!」
歓声と笑い声が一斉に飛び交う。
俺は思わず片手で額を押さえた。
「……冗談だろ」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやく。
だが、現実は変わらない。
俺の隣では、舞夜がいつも通り落ち着いた様子で席に座っていた。
そして、ほんの少しだけ俺のほうへ顔を向ける。
「また一緒に頑張ることになりそうですね、南くん」
「……そうみたいだな」
もはや抵抗する気力すらなかった。
すると、教室の後ろから松が勢いよく立ち上がった。
そして、なぜか両手で親指を立てる。
「愛の勝利だー!」
「何も勝ってない!」
反射的に叫んでしまった。
その瞬間、教室中が再び笑いに包まれる。
先生でさえ、口元を押さえながら笑いをこらえていた。
「はいはい、静かにしてください」
先生は数秒待ってから、ようやく教室を落ち着かせた。
だが、クラスメイトたちのにやにやした視線だけは、まったく消える気配がなかった。
教室がようやく静かになったころ、先生は軽く咳払いをした。
「それでは、ペアごとに自由に進めてください。ただし、毎週進捗を報告してもらいます」
その言葉を聞いた瞬間、教室のあちこちからため息が漏れた。
すると、舞夜が静かに手を挙げる。
「先生」
「はい、八神さん」
「放課後、図書館を使って作業してもよろしいでしょうか」
先生は満足そうにうなずいた。
「もちろんです。必要なら、自習室を予約することもできますよ」
「ありがとうございます」
舞夜は小さく頭を下げ、そのまま席に座り直した。
そして、ほんの少しだけ俺のほうへ顔を向ける。
「南くん」
「ん?」
「明日の放課後、集まるのはどうでしょうか」
俺は数秒ほど黙り込んだ。
正直、断る理由はない。
いや、そもそも同じペアになった時点で、選択肢なんてほとんど存在しない。
俺は小さく息を吐いた。
「……わかった」
「ありがとうございます」
舞夜はそう言って、優しく微笑んだ。
本当に小さな笑顔だった。
気を抜けば、見逃してしまいそうなほどに。
だけど、その笑顔には作ったようなぎこちなさはなかった。
心の底から浮かんだような、自然な笑顔だった。
そんな彼女を見て、俺はふと思う。
――また八神と一緒に何かをする。
少し前の俺なら、面倒だとしか思わなかったはずだ。
なのに、今は違う。
不思議と、そこまで嫌ではなかった。
……いや。
むしろ、少しだけ楽しみだと思っている自分がいる。
それこそが、今の俺にとって一番の問題だった。
第三十四話『偶然という名の運命』を読んでいただき、ありがとうございました。
文化祭が終わり、ようやく穏やかな日常が戻ってくる――。
大樹は、きっとそう思っていました。
けれど、現実はそう簡単にはいきません。
消えない噂。
周囲の期待。
そして、再び同じペアになってしまった大樹と舞夜。
偶然なのか、それとも運命なのか。
今の二人には、まだ答えはわかりません。
しかし、一緒に過ごす時間が増えるたびに、少しずつ変わっていくものがあるのも事実です。
大樹が抱き始めた小さな違和感。
舞夜が見せる、以前よりも柔らかな笑顔。
二学期は始まったばかりです。
新しい課題、新しい日常、そして新しい感情。
二人を待っているのは、平穏な毎日なのか、それとも誰も予想できない出来事なのか。
その答えは、まだ誰にもわかりません。
それでは、次の物語でお会いしましょう。




