ペンダントと約束
翌朝、目を覚まして最初に目に入ったのは、昨夜舞夜から届いたメッセージだった。
舞夜:明日も大樹を待ってるからね。遅刻しちゃダメだよ!
その下には、小さな紫色のハートが添えられていた。
僕は数秒間画面を見つめてから、返信した。
大樹:分かってるよ。また明日。
もう少し何かを書こうとしたけれど、結局消してしまった。
僕も会えるのを楽しみにしていること。
駅での会話以来、二人で話した未来について何度も考えていたこと。
卒業して、もう一緒に帰る教室がなくなったとしても、放課後に舞夜と会える日々が続いてほしいと思っていること。
伝えたいことはたくさんあった。
けれど、最後に送ったのは、もっと簡単なメッセージだった。
大樹:そういえば、会ったときに聞きたいことがあるんだ。
すぐに返事が届く。
舞夜:大事なこと?
思わず笑みが浮かんだ。
大樹:ちょっとね。
舞夜:気になることを言うなあ!
大樹:ごめん。
舞夜:謝らなくていいよ。話してくれるまで待ってるね。
その最後の一文を見て、僕は手を止めた。
話してくれるまで待ってるね。
舞夜は、僕のことになるといつも待ってくれていた。
けれど、今は違う。
僕は彼女に、自分の気持ちを伝える勇気が出るまで、ずっと待たせ続けたくなかった。
スマートフォンをしまい、学校へ行く準備をする。
ただ、その日も適切なタイミングを見つけるのは、授業が終わるまで待つ必要がありそうだった。
そして、なぜかいつも以上に緊張していた。
休み時間になると、僕が舞夜を探しに行くより先に、彼女の方から見つけてくれた。
「大樹!」
廊下の向こう側から、見慣れた笑顔が近づいてくる。
「やあ、舞夜」
舞夜は僕の前まで来ると、周囲をちらりと見回した。
まるで誰かに聞かれていないか、確かめているようだった。
「何を聞きたかったの?」
「今?」
「もちろん! 朝からずっと気になってたんだから!」
僕は思わず笑った。
「そんなに気にしてたんだ」
「心配してるんじゃなくて、気になってるの!」
「それ、ほとんど同じじゃない?」
「違うよ!」
舞夜は少しだけ頬を膨らませた。
その仕草が可愛くて、僕は笑いをこらえる。
一瞬、今すぐ伝えてしまいたい衝動に駆られた。
舞夜。僕は君に恋をしている。
その言葉が、驚くほどはっきりと頭に浮かんだ。
自分の気持ちに迷いはない。
もう一度確認するための会話も必要ない。
けれど、彼女の紫色の瞳を見つめながら、僕は思った。
この言葉を伝えるときは、落ち着いて話せる時間が欲しい。
完璧な場面を作りたいわけじゃない。
ただ、ちゃんと自分の気持ちを伝え、彼女の言葉も聞きたい。
「放課後に話すよ」
そう答えた。
舞夜は数秒間、僕を見つめた。
「分かった」
そして笑顔になる。
「でも、絶対に忘れないでね」
「忘れないよ」
「私も覚えておくから」
「それが一番心配なんだけど」
舞夜は声を上げて笑い、僕の手を取った。
そのまま、僕たちはそれぞれの教室へ戻った。
何気ない仕草だったけれど、少しだけ緊張が和らいだ。
休み時間の間に、すべてを決める必要はない。
ただ、これ以上いつまでも先延ばしにしたくはなかった。
授業が終わると、校舎の入り口付近で舞夜を見つけた。
彼女は何かを指先で弄んでいる。
近づいてみると、それはホワイトデーに僕が贈ったペンダントだった。
午後の光を受けて、小さな飾りがきらりと輝く。
「それ、気に入ってくれてる?」
僕が尋ねると、舞夜は顔を上げた。
「ペンダントのこと?」
僕はうなずく。
彼女はそれを指先で優しく持ち上げ、笑った。
「すごく気に入ってるよ」
そして、胸元にそっと戻す。
「ほとんど毎日つけてるんだから」
「気づいてるよ」
「えっ、本当に?」
「うん。見えないわけじゃないし」
舞夜はいたずらっぽい表情を浮かべた。
「じゃあ、大樹は私のことを結構よく見てるんだね」
「そ、そういう意味で言ったんじゃない!」
「でも、そう言ったよね?」
「舞夜……」
彼女は楽しそうに笑った。
そして、いつものように僕もつられて笑ってしまう。
僕たちは、秘密の場所へ向かって歩き始めた。
午後の日差しが木々を照らし、春の柔らかな香りが風に乗って漂っていた。
到着すると、二人並んでベンチに座る。
舞夜は再びペンダントに触れた。
「ねえ、大樹。このペンダントの一番好きなところ、分かる?」
「服に合わせやすいところ?」
「大樹!」
「一応、可能性としては……」
「全然違うよ」
舞夜は、少し柔らかな笑みを浮かべて僕を見た。
「私のことを考えてくれたって、思えるところ」
僕は黙った。
「プレゼントしてくれたとき、買うために頑張って働いたって話してくれたでしょ。あれ、今でも信じられないくらい嬉しいんだ」
舞夜はペンダントを見つめながら続けた。
「私のために、あんなに頑張ってくれたんだって思うとね」
その声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
「これを見るたびに、あの日のことを思い出すの。大樹が渡してくれたときの表情とか、すごく緊張してたこととか、平気なふりをしていたこととか」
「平気なふりなんてしてないよ」
舞夜が僕を見る。
「大樹、あのときほとんど私の目を見られなかったじゃない」
「そ、それは……」
「やっぱりね」
彼女の笑顔が大きくなる。
「それから、これからも一緒に思い出を作りたいって言ってくれたことも覚えてるよ」
僕は何も答えなかった。
あの日のホワイトデーが、鮮明によみがえる。
ペンダントを渡したときの舞夜の反応。
その意味を理解してくれたときの表情。
そして、帰りに二人で撮った写真。
それから僕たちは、アルバムにたくさんの写真を追加してきた。
けれど、まだできていないことが一つだけある。
彼女に、愛していると伝えること。
「舞夜」
「うん?」
僕は彼女を見た。
「お正月に話したこと、覚えてる?」
舞夜の目が少しだけ大きくなる。
そして、僕が何を指しているのか分かったように微笑んだ。
「私が大樹の手を握ったとき?」
僕はうなずいた。
「逃げちゃダメだよって言ったんだよね。だって、大樹には私に恋をしてもらわなきゃいけなかったから」
彼女は少しだけ声を落とした。
「それから、あなたに恋をしてもらおうとしているうちに、私の方がもっと深く恋をしてしまったって話もしたよね」
あのときの会話は、今でもはっきりと覚えている。
神社の周りに積もった雪。
彼女の手の温もり。
そして、自分の気持ちから逃げないでほしいと伝えてくれた、あの表情。
何より、僕の返事を待っていた彼女の姿が。
「そのときはね」と舞夜は続けた。「大樹が、私の話を聞いてどうするのか、まだ分からなかった。でも、私の気持ちがもう遊びじゃないってことは、知ってほしかったの」
彼女はまっすぐ僕の目を見た。
「私が何て返事をもらったか、覚えてる?」
覚えている。
逃げたくないこと。
これからも彼女の隣を歩きたいこと。
もっと一緒に思い出を作っていきたいこと。
そう伝えた。
けれど、あのとき僕は、まだすべてを話せていなかった。
自分の気持ちが、すでに恋へと変わり始めていたことを。
「うん。覚えてるよ」
舞夜は少しだけ首を傾げた。
「それから、ずっと考えてくれてた?」
胸の鼓動が速くなる。
簡単に「うん」と答えて、話を終えることもできた。
でも、彼女にはもっと正直に伝えたかった。
「ずっと、考えてた」
舞夜は、少し驚いたように笑みを止めた。
「ずっと?」
「うん。あのとき話してくれたことも、今まで二人で過ごしてきた時間も、どうやってここまで来たのかも」
僕は深く息を吸った。
「それで、君に知ってほしいことがあるんだ」
舞夜の指が、ペンダントを握りしめる。
「聞かせて」
僕は彼女の目を見た。
「舞夜が、僕に恋をしてほしいって言ったとき、これからどうなるのかは分からなかった。自分の気持ちを理解できるのか、いつになったら本当のことを話せるのかも」
少しだけ間を置く。
「でも、今は分かってる。僕はこれからも舞夜に近づいていきたい。あの日、そうしてほしいと言われたからじゃなくて、僕自身がそうしたいから」
舞夜は黙っていた。
その紫色の瞳には、午後の日差しが映っていた。
いつものように冗談を言うことも、話をそらすこともせず、ただ僕の言葉を聞いてくれている。
「これからも休み時間に会いに行きたい。僕から誘って、一緒に新しい場所を見つけたい。何か問題が起きたときも、楽しいことがあったときも、お互いに支え合いたい」
自分の中にあった言葉が、少しずつ自然に出てくる。
「そして、これから先の未来を考えるとき、舞夜と一緒に考えたい」
舞夜は唇をきゅっと結び、感動したような笑みを浮かべた。
「大樹……」
「卒業した後、どうなるのかはまだ分からない。でも、舞夜にはこれからも僕の人生の一部でいてほしい」
僕は彼女の手を取った。
今度は、僕の方から先に指を絡めた。
「それに、いつも舞夜だけが、僕にそばにいてって言わなきゃいけないのは嫌なんだ」
舞夜は、つないだ手を見下ろした。
「僕も、そばにいたいから。そうしたいと思っているから」
木々の間を風が吹き抜ける。
数秒間、僕たちの間には静かな時間が流れた。
やがて舞夜が、僕の肩にそっと頭を寄せた。
「そんなことを言ってくれるなんて、思ってなかった」
彼女の声は、いつもより少し小さかった。
「ずっとね、大樹が自分から私と一緒にいたいって言ってくれる日を夢見てたの」
胸が締めつけられる。
「そして、今それが現実になってるのに、まだ信じられないくらい嬉しい」
僕は彼女の方へ顔を向けた。
「舞夜……」
「今は、もう何も言わなくていいよ」
彼女は顔を上げ、微笑んだ。
「大樹が自分の気持ちを話したいと思ったときに、話してくれればいいの。無理に準備ができる前に言ってほしいわけじゃないから」
その言葉に、僕は驚いた。
彼女は、すぐに答えを求めているわけではなかった。
僕に何かを決断させようとしているわけでもない。
僕自身に、選ぶ時間を与えてくれている。
そして、僕はその時間を使って、自分の気持ちを確かめてきた。
舞夜を選びたい。
あの午後、木々の下で一緒に座っているときだけじゃない。
明日も、その次の日も。
これから先、二人で過ごす時間のすべてで。
「ありがとう、舞夜」
僕は小さく呟いた。
「どうして?」
「待っていてくれて。僕を信じてくれて。それに、自分の気持ちを自分のやり方で見つける時間をくれて」
舞夜は少しだけ頬を赤くした。
「まあ……いつまでも待つつもりはないけどね」
僕は驚いて彼女を見た。
すると舞夜は、くすっと笑った。
「冗談だよ!」
「全然笑えないんだけど」
「ちょっとくらい笑ってよ」
僕は首を振った。
それでも、自然と笑みがこぼれた。
その後、太陽が建物の向こうに沈み始めるまで、僕たちは肩を寄せて座っていた。
そして、彼女の手を握りながら、僕は理解した。
ずっと恐れていた告白という瞬間は、もうそれほど遠いものではない。
まだ緊張している。
どんな言葉を使えばいいのか、完全には分からない。
それでも、もう自分の気持ちを隠していたいとは思わなかった。
舞夜は、僕に別の誰かになることを求めているわけじゃない。
ただ、彼女に恋をした大樹を知りたいだけなのだ。
そして、その大樹はようやく、自分の気持ちを隠すのをやめる準備ができていた。
駅へ向かうためにベンチから立ち上がると、舞夜がもう一度僕を見た。
「大樹」
「うん?」
「明日も会いたいな」
僕は笑って、彼女の手を優しく握り直した。
「僕も会いたいよ」
今度は、目をそらさなかった。
午後の光の中、二人で歩きながら、僕は確信した。
もうすぐ、ずっと胸の奥にしまってきた気持ちを伝えられる。
彼女が待ってくれたからではない。
特別な日が来たからでもない。
僕自身が、そうしたいと思ったから。
その決意は、間違いなく僕のものだった。
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
ペンダントに込められた思いと、少しずつ近づく二人の未来。
大樹の決意も、確かなものになってきました。
次回もよろしくお願いします。




