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冗談にしないでくれ

「大樹、最近ちょっと変だぞ」


休み時間が終わり、自分の席に戻った直後、最初にそう言ってきたのは松だった。


俺が椅子に座りきる前から、松は机に片手をつき、妙に真剣な表情でこちらを見ていた。


「お前もおはよう」


「今朝、もう挨拶しただろ」


「それで、何の用?」


松は目を細めた。


「お前に何が起きているのか知りたい」


「別に何も起きてないよ」


「そういうことを言う奴に限って、何か起きてるんだよな」


俺はため息をついた。


休み時間に結衣から逃げてきたというのに、教室に戻っても落ち着かせてもらえないらしい。


「放っておいてくれない?」


「できるけど、したくない」


「随分と親切な友達だな」


松は笑いながら前の席に座り、椅子を回転させて俺の方を向いた。


「なあ、大樹。俺たち、結構長い付き合いだろ。お前がテストを心配しているときも、怒っているときも、何かを考えすぎているときも分かるんだぞ」


「それで、今の俺はどう見えるんだ?」


「恋してる顔だな」


危うくペンを落とすところだった。


松が大きく目を見開く。


「おお! 否定しないのかよ!」


「いきなり言われて驚いただけだ!」


「それは否定じゃないだろ!」


「松!」


周囲のクラスメイトが笑い始めたので、俺は声を少し落とした。


松は何かを確信したように、満足げな顔で身を乗り出してくる。


「それで、ついに舞夜に告白するつもりなのか?」


俺は黙った。


すると、ここまで笑っていた松の表情が初めて真剣になった。


「……待てよ。本当に考えてるのか?」


俺は窓の外に目を向けた。


桜の枝が風に揺れている。花びらのいくつかは校庭の端に引っかかり、ほかの花びらはまだ空を漂っていた。


「うん」


少し考えてから答える。


「舞夜に気持ちを伝えようと思ってる」


松は冗談を言わなかった。


それだけでも、俺にはかなり意外だった。


「じゃあ、何が引っかかってるんだ?」


「自分でもよく分からない」


不完全な答えだった。


けれど、それが今の俺にできる一番正直な返事だった。


「自分の気持ちは分かってる。もう迷ってないよ。舞夜と一緒にいたい。卒業してからも、ずっと時間を共有したい。これから経験することにも、彼女がいてほしいと思ってる」


そこで一度言葉を切る。


「でも、いざ伝える瞬間を想像すると、何を言っても足りない気がするんだ」


松は黙って俺を見ていた。


「それは、誰にとって足りないんだ?」


「え?」


「舞夜にとってか? それとも、お前自身にとってか?」


俺はすぐには答えられなかった。


松は椅子の背もたれに寄りかかった。


「まあ、俺はこういうことの専門家じゃないけどな。もしそうだったら、休み時間にお前の恋愛相談を聞いているより、もっと面白い人生を送ってるはずだし」


「それはどうだろうな」


「最後まで聞けよ!」


思わず笑ってしまう。


松も笑顔になり、それから話を続けた。


「でも、お前はまだ起きてもいないことを解決しようとしてるんじゃないか? 完璧な言葉も、完璧なタイミングも、完璧な伝え方も探してる。でも、どれだけ考えたって、実際にどうなるかは分からないだろ」


少し声を落とす。


「結局、お前にできるのは、それが本当の気持ちだって確かめることくらいだ」


その言葉が、胸の中に残った。


本当の気持ちであること。


特別な感情を演出する必要なんてない。


映画の主人公みたいな告白を考える必要もないし、舞夜に自分が恋愛小説の主人公になれると証明する必要もない。


ただ、ずっと心の中で育ってきた気持ちを伝えればいい。


「ありがとう、松」


松が瞬きをした。


「え?」


「ありがとうって言ったんだよ」


「待て待て、何で礼を言うんだよ! 急にそんなこと言われると、こっちが落ち着かないだろ!」


「忘れてくれ」


「いや、忘れられるか! もう一回言ってみろよ!」


先生が教室に入ってきたことで、俺たちの会話は終わった。


正直、助かった。


松に、今の自分が本当に役立つ助言をもらったと知られたら、しばらくからかわれそうだったからだ。


けれど、話はそれで終わらなかった。


次の休み時間、今度は結衣がペットボトルのお茶を持って俺の席にやってきた。


「松と随分面白い話をしていたみたいね」


俺は警戒しながら彼女を見る。


「誰から聞いたんだ?」


「松よ」


「あいつ、余計なことまで喋ったのか」


「私より先に何かを見つけたと思って、かなり興奮していたわ」


結衣は松が座っていた椅子に腰掛ける。


「それで、本当なの?」


「何が?」


「告白しようと考えているって話」


俺は周囲を確認した。


「もう少し声を小さくしてくれ」


結衣の目が輝く。


「やっぱり本当なんだ!」


「結衣!」


「分かった、分かった」


口元に手を当てる結衣。けれど、笑顔は隠しきれていなかった。


数秒後、彼女の表情が少し落ち着く。


「いつからそう思っていたの?」


俺は椅子の背もたれに寄りかかった。


「正確には分からない。少しずつ気持ちが変わっていったんだと思う」


「それは知ってる。そうじゃなくて、迷いがなくなったのはいつ?」


その質問について考えた。


舞夜が写真を見せてくれて、どうしてその思い出が大切なのか話してくれた午後。


手を繋いだまま歩いた帰り道。


朝に届くメッセージ。


俺が誘うたびに、嬉しそうに笑ってくれる彼女の姿。


そして、二人の未来について話したときのこと。


すべてが変わった、たった一つの瞬間があったわけじゃない。


小さな出来事が積み重なっていった。


そして、ある日気づいたのだ。


もう、舞夜のいない未来を想像したくないと思っていることに。


「最近かな」


俺は答えた。


「でも、たぶん自分で認めるより前から、舞夜に恋をしていたんだと思う」


結衣は、どこか優しい表情で俺を見つめた。


「そう言ってくれて嬉しいわ」


「どうして?」


「大樹と舞夜が近づき始めてから、あの子がどれだけ変わったか見てきたから」


結衣は手に持ったペットボトルに視線を落とした。


「最初の頃の舞夜は、どうすれば大樹ともっと一緒にいられるか、いつも考えていたの。予定を考えたり、誘う理由を探したり、何とかして気を引こうと頑張っていた。時々、思うようにいかなかったら傷ついてしまうんじゃないかって心配になることもあったわ」


俺は黙って聞いていた。


最初からずっと舞夜のそばにいた結衣が、どんなものを見てきたのか。


俺はあまり考えたことがなかった。


「でも、少しずつ変わっていったのよ」


結衣は続けた。


「大樹と一緒にいたい気持ちがなくなったわけじゃない。ただ、大樹も自分から近づいてきてくれるって、信じられるようになったんだと思う」


結衣が顔を上げる。


「最近は、大樹が休み時間に会いに来てくれたとか、どこかへ誘ってくれたとか、そういう話をすると本当に嬉しそうなの。本人は隠しているつもりみたいだけどね」


彼女は微笑んだ。


「それに、誰も見ていないと思っているとき、時々、大樹が選んでくれたペンダントに触れているのよ」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


その仕草は知っていた。


何度か目にしたことがある。


けれど、それが舞夜にとってどんな意味を持っているのか、深く考えたことはなかった。


「大樹。明日告白しなさいとか、こういう方法で伝えなさいとか、そんなことを言うつもりはないわ」


結衣の声が少し真剣になる。


「それはあなた自身が決めることだから」


そして、まっすぐ俺の目を見た。


「でも、一つだけ分かっておいてほしいの。舞夜は、完璧な告白で愛情を証明してほしいわけじゃない。二人で過ごしてきた時間が、大樹にとってどんな意味を持っているのか。それを知りたいんだと思う」


俺は息を呑んだ。


「だから、いざというときに冗談にしないで。恥ずかしいからって、笑ってごまかしたり、ふざけた返事で逃げたりしないこと。それから、舞夜が聞きたいと思っている言葉を想像して、それを言うんじゃなくて」


結衣は少しだけ微笑んだ。


「大樹自身の本当の気持ちを伝えてあげて」


数秒間、俺は何も答えられなかった。


結衣は再び、少しいたずらっぽい笑顔を浮かべる。


「まあ、もしロマンチックなデートを計画するのに困ったら、相談に乗ってあげてもいいけどね」


「自分で何とかするよ」


「ひどい!」


「それに、どうせ桜の花びらとか、背景の音楽とか、完璧な夕焼けとかを用意しろって言うんだろ」


結衣は胸に手を当てた。


「それは芸術的な感性というものよ!」


「それは舞台演出って言うんだよ」


「やっぱり松の言う通りね! 恋をしてから、随分生意気になったわ!」


俺は思わず笑ってしまった。


結衣も最後には笑い出し、しばらくはいつも通りのやり取りに戻った。


けれど、彼女が席に戻ろうと立ち上がったとき、俺の隣で足を止めた。


「最後にもう一つだけ」


「何?」


「卒業式の前日まで、告白を先延ばしにしないでね」


俺は彼女を見た。


結衣は優しく微笑んだ。


「二人には、まだ一緒に過ごせる時間がたくさんあるんだから。怖がっているせいで、今から始められる思い出まで逃さないでほしいの」


そう言って、彼女は自分の席へ戻っていった。


俺は窓から差し込む光を眺めながら、しばらく考え込んでいた。


松は、完璧な言葉を探す必要はないと教えてくれた。


結衣は、冗談で気持ちを隠さずに伝えることが大切だと思い出させてくれた。


二人とも正しかった。


緊張しなくなるとは思わない。


きっと本番になれば、言葉に詰まるだろうし、勢いで何か変なことを言ってしまう可能性だってある。


それでも、恥ずかしさを理由に黙り込むのは、もうやめたい。


舞夜と話したい。


彼女の目を見て、自分にとってどんな存在なのかを伝えたい。


二人で過ごした時間も、撮った写真も、何気なく残してきた思い出も、その一つ一つが自分の中に何を残してくれたのか。


そして、それをもう自分だけのものにしておきたくないということも。


ようやく、少し分かってきた気がする。


これから準備する告白は、どれだけ舞夜のことを考えてきたかを証明するためのものじゃない。


ずっと自分の中にしまってきた気持ちを、彼女と分かち合うためのものなのだ。


俺はスマートフォンを取り出し、写真アルバムを開いた。


最初に表示されたのは、あのカフェで撮った写真だった。


舞夜は笑顔を浮かべている。


けれど、カメラを見てはいない。


俺を見ていた。


そして俺も、ポーズを取ることなく彼女を見つめていた。


写真を拡大して、しばらく眺める。


「本当に、どうしようもないな……」


小さく呟いた。


けれど、今度はそれを嘆くようには言わなかった。


俺は笑った。


舞夜に恋をして、いつも彼女のことを考えるようになって、廊下を歩くたびに姿を探して、退屈な日でさえ一緒に過ごしたいと思うようになったのなら。


もう、この気持ちから逃げる必要なんてない。


あとは、彼女に伝える勇気を見つけるだけだ。


そして、そのときが来たら、今度こそ逃げない。

読んでいただき、ありがとうございます!


松と結衣、それぞれの言葉が大樹の背中を押してくれました。

大樹が自分の気持ちを伝える日は、少しずつ近づいています。


次回もよろしくお願いします!

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