思いがけない誘い
休み時間は、あっという間に終わってしまった。
二人だけの秘密の場所で舞夜と過ごし、心地よい気分のまま教室へ戻った僕は、その後の授業も穏やかな気持ちで受けていた。
ただ、一つだけ問題があった。
朝、舞夜から届いたメッセージのことが、頭から離れなかったのだ。
『お礼に、いつかおいしいものをごちそうしてくれてもいいよ』
舞夜は冗談だと言っていた。
けれど、僕はもう何を食べに行こうか考え始めていると返してしまった。
そして改めて考えてみると、そのアイデアは悪くないどころか、かなり楽しそうだった。
何か特別な日を待つ必要なんてない。
カフェに行ったり、甘いものを食べたり、まだ知らない街を散歩したり。
二人で一緒に出かける理由なんて、いくらでも作れる。
それに、僕たちの思い出リストには、まだまだ新しい予定を書き込む余地があった。
僕はノートを取り出し、空いているページに一つの言葉を書いた。
『舞夜と新しいカフェに行く』
数秒間、その文字を眺める。
そして、勢いよくノートを閉じた。
……僕は何をやっているんだろう。
いつの間にか、授業のノートまで自分の気持ちを記録するものになり始めている気がする。
「大樹」
顔を上げると、結衣が僕の机の向こうからこちらを見ていた。
「何を書いてたの?」
「ノートだよ」
「何の授業?」
「授業のノート」
「何その怪しい答え!」
松も自分の席から身を乗り出してきた。
「舞夜の名前でも書いてたのか?」
「違う!」
思わず即答してしまった。
結衣が口元に手を当てる。
「やっぱり!」
「何も分かってないだろ!」
「じゃあ、そのノートを見せてよ」
僕は慌ててノートを胸に抱えた。
「絶対に嫌だ!」
結衣と松が顔を見合わせる。
そして、二人そろって笑った。
……しまった。
かなり大きな失敗をした気がする。
「まあ、心配するなよ、大樹」
松が言った。
「お前のプライバシーは尊重してやる」
「ようやくまともなことを言ってくれたな」
「でも、いつか舞夜との初デートの場所を選ぶのに困ったら、俺に相談してくれていいぞ」
「デートじゃない!」
思わず声が教室中に響いた。
何人かのクラスメイトが、こちらを振り返る。
僕はその場で固まった。
結衣が僕の肩をぽんぽんと叩く。
「落ち着いてよ。誰もデートだなんて言ってないでしょ?」
「今、二人とも……」
「何のこと?」
反論できなかった。
結衣は満足そうに微笑んだ。
「それより、舞夜をどこかに誘うなら、ちゃんと舞夜が喜びそうな場所を選びなよ」
「分かってるよ」
「それから、緊張しないこと」
「緊張なんてしてない」
「それなら、今すぐ誘えるね」
僕はスマートフォンを見た。
それから結衣を見る。
「……今?」
「もちろん!」
「でも、まだ授業中だよ」
「授業が終わってからに決まってるでしょ」
「そんなこと分かってるよ」
松が吹き出した。
「どうやら、俺たちの友達には特訓が必要みたいだな」
「特訓なんて必要ない!」
二人がまた笑い始めたところで、チャイムが鳴った。
こんなに授業の始まりをありがたく思ったのは初めてかもしれない。
授業が終わると、僕は教科書をしまい、教室を出た。
舞夜とは昇降口で待ち合わせている。
靴箱の近くまで行くと、彼女が僕を見つけて手を振った。
「大樹くん!」
笑顔で近づいてくる。
「帰ろうか?」
「うん。でも、その前に一つ聞きたいことがあるんだ」
舞夜が瞬きをした。
「どうしたの?」
肩に少し力が入るのを感じた。
別に緊張するようなことじゃない。
ただ、カフェに誘うだけだ。
ごく普通のこと。
友達同士だって、何の問題もなくできることだ。
それなのに、どうしてこんなに言い出しにくいんだろう。
僕は深く息を吸った。
「舞夜、土曜日って何か予定ある?」
彼女は少し驚いた顔をした。
「土曜日? たぶん、何もないと思うけど……どうして?」
「一緒に行ってみたいカフェがあるんだ」
舞夜は黙って僕を見つめている。
僕は勇気がなくなる前に、続けた。
「おいしいデザートがあるって聞いたんだ。よかったら一緒に行かない? 思い出リストにも追加できるし」
数秒間、舞夜は何も言わなかった。
僕は少しずつ不安になってきた。
もしかして、誘うタイミングが悪かったのだろうか。
週末はゆっくり休みたいのかもしれない。
あるいは、すでに別の予定があるのかもしれない。
それとも……。
「行きたい!」
舞夜の声が、僕の考えを遮った。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「ぜひ一緒に行きたい!」
肩に入っていた力が、一気に抜けた。
「本当に?」
「もちろん!」
舞夜はあまりにも早く答えたことに気づいたのか、少し咳払いをした。
そして、何とか落ち着こうとするように言い直す。
「えっと……いいと思うよ」
僕は彼女を見た。
舞夜は視線をそらしている。
頬が、ほんのりと赤く染まっていた。
それを見ているうちに、僕の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「じゃあ、土曜日にしようか」
「うん!」
舞夜は鞄を開け、思い出リストのノートを取り出した。
新しいページを開き、楽しそうにペンを走らせる。
『大樹と新しいカフェに行く』
その下には、日付も書き加えられていた。
書き終えると、彼女は僕にページを見せてくれる。
「はい、これで決まり!」
「早いね」
「だって、大事な予定だもん!」
舞夜は顔を上げた。
「それに、大樹くんが前に言ってたでしょ。二人でまた来たいと思える場所を見つけたいって」
「そうだったね」
「だったら、まずは一つ目を見つけなきゃ」
僕は微笑んだ。
「舞夜の言うとおりだね」
彼女はノートを閉じ、丁寧に鞄へしまった。
それから、僕たちは駅へ向かって歩き始めた。
道中は、カフェについて話した。
舞夜は季節限定のケーキを食べてみたいらしい。
僕は、その店でしか飲めない特別なドリンクが気になっていた。
それから、思い出に残すためにカメラも持っていこうと決めた。
すべて順調に決まっていった。
……舞夜が、ある質問をするまでは。
「ねえ、大樹くん」
「うん?」
「そのカフェ、誰かと行ったことある?」
「ないよ」
「松くんとは?」
「ない」
「結衣とも?」
「もちろんないよ」
舞夜は数秒間、黙っていた。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、私たちが初めて行くんだね」
「うん」
「嬉しいな」
僕は彼女を横目で見た。
「どうして?」
舞夜は鞄の端を指先でいじりながら、小さな声で答えた。
「誰よりも先に、大樹くんと一緒に行ってみたい場所があるんだよ」
心臓が、また速くなった。
舞夜は顔を上げた。
「変かな?」
僕は首を横に振った。
「ううん」
そして、微笑みながら答えた。
「僕も、そうしたいと思ってるよ」
舞夜は僕を見つめた。
一瞬、何かを言いたそうにしていたけれど、やがて僕の手を取った。
「じゃあ、約束だね」
「何の約束?」
「これからも二人で、新しい場所を見つけていく約束」
僕は彼女の指を優しく握り返した。
「うん。約束」
そのまま駅まで歩き、そこで別れることになった。
明日も学校で会おうと約束して、舞夜を見送る。
電車を待っている間、スマートフォンを取り出すと、新しいメッセージが届いていた。
舞夜からだった。
『大樹くん、誘ってくれてありがとう』
僕は微笑んだ。
『お礼なんていらないよ。僕も舞夜と行きたかったから』
『うん。分かってるよ』
数秒後、もう一通届いた。
『でも、大樹くんから誘ってくれたことが嬉しいんだ』
そのメッセージを、僕は二度読み返した。
それからスマートフォンをしまう。
一緒に出かけるのは、今回が初めてではない。
旅行もしたし、お祭りにも行った。
何度も散歩をして、たくさんの思い出を作ってきた。
けれど、今回の誘いには、どこか違うものがあった。
何かのお祝いがあるわけでもない。
一緒に行かなければならない理由があるわけでもない。
ただ、僕が舞夜と過ごす午後を作りたいと思った。
そして、舞夜も僕と一緒にいたいと思ってくれたから、誘いを受けてくれた。
電車がホームに入ってくるのを見ながら、僕は自分たちの関係が少しずつ変わっていることを感じていた。
舞夜を探しに行くことが、ますます自然になっている。
一緒に過ごしたいと伝えることも、以前よりずっと簡単になってきた。
そして、これがただの友達同士の関係のままでいいのか、分からなくなってきている。
僕は、彼女から届いた最後のメッセージをもう一度思い出した。
『大樹くんから誘ってくれたことが嬉しいんだ』
思わず笑みがこぼれる。
土曜日までは、まだ数日ある。
でも、もう楽しみな予定ができた。
新しいカフェ。
きっとおいしいデザート。
アルバムに残す一枚の写真。
そして、舞夜と一緒に過ごす午後。
初めて、彼女から誘われるのを待たなくてもいいのだと思えた。
僕自身の意思で、彼女を誘いに行こうとしているのだから。
今回も読んでくださって、ありがとうございます!
今度は大樹から舞夜への、思いがけないお誘い。
二人の思い出リストに、新しい予定が一つ増えましたね。
土曜日のカフェでは、どんな時間が待っているのでしょうか。
これからも二人の物語を見守っていただけたら嬉しいです。
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次回もよろしくお願いします!




