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帰り道

最後の授業が終わる頃には、校舎の向こうへ傾き始めた太陽が、辺りを夕色に染めていた。


教科書を鞄にしまい、スマートフォンを確認する。


まだ舞夜からのメッセージは届いていなかった。


別に珍しいことではない。きっと、荷物を片づけたり、クラスメイトと話したりしているのだろう。


それでも、僕はいつの間にか彼女からの連絡を待っていた。


また、だ。


「大樹」


顔を上げると、松が鞄を肩に掛けて僕の机のそばに立っていた。


「帰るのか?」


「うん。舞夜を待ってる」


松はにやりと笑った。


「だろうな」


「その言い方、何とかならない?」


「別に怪しいことだとは思ってないぞ。むしろ感心してる」


「感心なんてしなくていいよ」


「じゃあ、褒めてやろうか?」


「それもいらない」


「毎日彼女を探しに行く功績を称えて、勲章でも授与するか?」


僕は松をじっと見た。


「舞夜は彼女じゃないから」


松が眉を上げる。


「まだ、な」


「松!」


松は声を上げて笑うと、そのまま教室の出口へ向かった。


「じゃあ、邪魔しないでおいてやるよ。楽しいデートをな!」


「デートじゃない!」


廊下に松の笑い声が響き、やがて遠ざかっていった。


僕はため息をついた。


本当に、どうにかして友達に僕の恋愛事情を娯楽として扱うのをやめさせたい。


……いや、そもそもの問題は、僕自身が舞夜との関係をどう呼べばいいのか、まだ分かっていないことなのかもしれない。


僕たちは恋人同士ではない。


けれど、以前とまったく同じ関係だとも言えなかった。


毎日、お互いを探して会いに行く。


二人だけの秘密を共有する。


手をつなぐ。


約束を交わす。


そして、舞夜が笑いかけてくれるたびに、僕の心は少しずつ変わっていく。


今すぐ、その関係に名前をつける必要はないのかもしれない。


でも、自分の気持ちとどう向き合っていくのかは、ちゃんと考えなければならなかった。


そのとき、スマートフォンが震えた。


舞夜からだった。


『大樹、もう授業終わった?』


『うん。舞夜も?』


『今、終わったところだよ。昇降口で待ち合わせしない?』


『すぐ行くね』


返信してスマートフォンをしまい、教室を出た。


昇降口に着くと、靴箱のそばで舞夜が待っていた。


肩には鞄を掛け、両手でスマートフォンを持っている。


僕に気づくと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「ちょうどいいタイミングだね」


「待たせたくなかったから」


「最近、それよく言うよね」


「それって?」


「待たせたくないってこと」


舞夜は少し近づいてきた。


「私、そう言ってもらえるの好きだよ」


思わず笑みがこぼれる。


「じゃあ、これからも言うよ」


「毎回言わなくてもいいんだけどね」


舞夜は小さく首を傾げた。


「言葉にするだけじゃなくて、行動で見せてくれてもいいんだよ?」


何のことか聞き返す前に、彼女が僕の手を取った。


その瞬間、いつものように、普通に返事をする能力がどこかへ消えてしまった。


「行こっか」


舞夜に促され、僕たちは手をつないだまま校門を出た。


春の空気は心地よかった。


街路樹の花は少しずつ散り始めていて、風が吹くたびに、花びらが歩道の上をふわりと舞っていく。


僕たちは急ぐことなく歩いた。


舞夜は、来週の授業で新しい活動が予定されていることや、里奈がクラスのみんなを説得して、かなり難しそうな案を採用させようとしていることを話してくれた。


僕は、松が提出物を出し忘れたことや、先生に対してノートが未知の次元に閉じ込められたと言い訳していたことを話した。


舞夜はあまりにも大笑いするので、途中で立ち止まってしまった。


「ちょっと待って! 本当にそんなこと言ったの?」


「本当だよ。しかも、ものすごく真剣な顔で」


「先生は信じたの?」


「まさか」


「松、かわいそうに」


「本人はあんまり気にしてなさそうだったけどね」


また舞夜が笑った。


僕たちは、彼女がまだ笑いをこらえきれないまま、歩き続けた。


こういう時間が好きだった。


わざわざ特別なお出かけを計画する必要もない。


何か大きな出来事が起こる必要もない。


ただ一緒に歩きながら、その日にあったくだらないことを話すだけでいい。


それなのに、最近の僕は、こうした帰り道がもう少し長ければいいのにと思うことが増えていた。


道がもっと続いていれば。


今まで知らなかった路地を見つけて、少し寄り道できたら。


何でもいいから、もう少しだけ別れずに済む理由があれば。


「大樹」


「うん?」


舞夜は笑うのをやめていたけれど、その表情には穏やかな温かさが残っていた。


「ちょっと聞いてもいい?」


「もちろん」


「私たちが、放課後に一緒に帰るようになった頃のこと、覚えてる?」


僕はうなずいた。


「覚えてるよ」


「最初の頃は、私が大樹を待っていることのほうが多かったよね」


「そうだね」


「大樹が先に帰っちゃわないように、何か理由を考えたりしたこともあったんだよ」


僕は思わず彼女を見た。


「本当に?」


舞夜は少し照れくさそうに笑った。


「……たぶんね」


「舞夜……」


「そんな目で見ないでよ! あの頃は、もっと大樹と一緒にいたかったんだから」


僕は小さく笑った。


「一緒に帰りたいって、普通に言ってくれればよかったのに」


「もし断られたら、どうするの?」


その質問に、僕は言葉を失った。


舞夜は僕の手を離さないまま、再び歩き始めた。


「大樹が私のことをどう思っているのか、分からなかったんだよ。私から近づいてみても、大樹も同じように一緒にいたいと思ってくれているのか、自信がなかったの」


彼女は少しだけ視線を落とした。


「だから、一緒に帰ってくれるって言ってくれるたびに、すごく嬉しかったんだ」


僕は黙って話を聞いていた。


あの頃のことを思い返す。


舞夜に誘われて、一緒に帰った日々。


その時間が特別だとは、最初から思っていたわけではなかった。


ただ、彼女と過ごすのが楽しかった。


けれど、いつからか、僕もその時間を待ち遠しく思うようになっていた。


そして今では、舞夜のそばにいるための理由を探しているのは、むしろ僕のほうだ。


「……今なら、少し分かる気がする」


僕がそう言うと、舞夜が顔を上げた。


「何が?」


僕はゆっくり息を吸った。


「前は、舞夜と一緒に歩くのが楽しかったから、誘われたら一緒に帰ってたんだと思う。でも、今は……」


そこで、言葉が途切れた。


僕が立ち止まると、舞夜も足を止めた。


「今は?」


彼女の瞳が、僕を見つめている。


僕はその目を見返した。


「今は、これからもずっと、僕たちの帰り道が同じだったらいいなって思うんだ」


舞夜が、わずかに目を見開いた。


風が彼女の濃い紫色の髪を揺らす。


舞夜は顔にかかった髪をそっと耳に掛けながら、僕を見つめ続けていた。


「……大樹」


自分が口にした言葉の意味に、僕自身も気づいていた。


まだ直接伝える勇気のない気持ちに、思いのほか近づいてしまったことにも。


一瞬だけ視線をそらした。


けれど、今度は取り消そうとは思わなかった。


「卒業したあと、どうなるのかは分からない。どこで何をしているのか、何年後にどんな生活をしているのかも、まだ想像できない」


僕は彼女の手を優しく握った。


「でも、これからも舞夜と一緒に、こういう時間を過ごしたいんだ」


舞夜は、しばらく何も言わなかった。


やがて、彼女の指が僕の指に、もう少し強く絡んだ。


「……私も、そうしたい」


舞夜は微笑んだ。


「だから、学校に通わなくなってからも、私を散歩に誘ってね」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


「うん。誘うよ」


「約束?」


「約束」


舞夜はつないだ手を少し持ち上げて、しばらく眺めていた。


「じゃあ、これから大樹といっぱい歩くことになるね」


「疲れるのが心配?」


「ううん」


彼女はいたずらっぽく笑った。


「大樹が私に飽きちゃわないか、心配なの」


僕は驚いて彼女を見た。


「どうして僕が舞夜に飽きるんだよ?」


「さあ? いつか、私っておしゃべりすぎるなって思うかもしれないでしょ?」


「それはもう知ってるよ」


舞夜がぴたりと足を止めた。


「……今、何て言ったの?」


「何でもないよ」


「大樹?」


「だから、舞夜の話を聞くのが好きだって!」


彼女は数秒、僕を見つめていた。


それから、とうとう笑い出した。


「最初に言ったことと違うじゃない!」


「だって、怒ると思ったから!」


「怒らないよ!」


「今、怒ってるじゃん!」


「怒ってない!」


そんな言い合いをしながら、僕たちはまた歩き始めた。


もちろん、どちらも真面目な顔を保つことなんてできなかった。


やがて駅に着く頃には、空がすっかりオレンジ色に染まっていた。


そろそろ別れる時間だ。


僕たちは駅の入口の前で立ち止まった。


舞夜が、ゆっくりと僕の手を離す。


「一緒に帰ってくれて、ありがとう」


「お礼なんて言わなくていいよ」


「うん、分かってる」


舞夜は笑った。


「でも、言いたいんだもん」


僕はしばらく彼女を見つめた。


本当は、もう一つ伝えたいことがあった。


歩いている間に交わした冗談よりも、ずっと素直な気持ちを。


「舞夜」


「なあに?」


「明日も、一緒に帰らない?」


舞夜は瞬きをした。


そして、僕の心臓がまた速くなるほど、嬉しそうに微笑んだ。


「もちろん!」


「よかった」


「でも……」


舞夜は小さく首を傾げた。


「もっと早く誘ってくれると思ってた」


「もっと早く?」


「うん。大樹が誘ってくれるの、待ってたんだよ」


僕は彼女を見つめたまま、言葉を失った。


舞夜はくすくすと笑った。


「私たち、同じことを考えて待ってたみたいだね」


何も言い返せなかった。


舞夜は僕の前に小さく一歩近づく。


「じゃあ、また明日ね、大樹」


「うん。また明日」


彼女が駅の中へ入っていくのを見送り、僕はしばらくその場に立っていた。


それから、自分の乗る電車のホームへ向かいながら、さっきの会話を思い返した。


舞夜は、僕が一緒に帰ろうと誘ってくれるのを待っていた。


そして僕も、彼女を誘う機会を待っていた。


何でもないことだ。


ほんの小さな出来事で、数か月前なら、きっと特別な意味なんて感じなかっただろう。


でも今は、その小さな選択が大切なのだと分かる。


自分から会いに行くこと。


彼女を待つこと。


もう少しだけ一緒に歩こうとすること。


誰かに決められたわけでも、そうしなければならない理由があるわけでもないのに、一緒に過ごす時間を選ぶこと。


恋に落ちるというのは、ただ胸が高鳴ることだけじゃないのかもしれない。


一緒に過ごせる相手がたくさんいる中で、それでも何度だって一緒にいたいと思える人を見つけること。


そして、僕にはもう、その相手が誰なのか分かっていた。


舞夜だ。


初めて会ったときのように、偶然同じ道を歩くことだけを望んでいるわけじゃない。


これからは、自分から彼女のもとへ歩いていきたい。


何度でも。


これから先も、ずっと。

今回も読んでくださって、ありがとうございます!


少しずつ、自分の気持ちを言葉にできるようになってきた大樹。

二人がこれから歩いていく道は、どんなものになるのでしょうか。


これからも大樹と舞夜を見守っていただけたら嬉しいです。

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次回もよろしくお願いします!

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