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いつもの二人

午前中の最後の授業が終わり、ノートを片づけていると、背後から声が聞こえた。


「大樹」


振り返らなくても、誰なのかはすぐに分かった。


「何だよ、結衣」


「ずいぶんな挨拶ね。大切な友達に向かって」


「その笑顔で近づいてくるときは、たいてい面倒なことが起きるからな」


「ひどい! 友達に挨拶することすら許されないの?」


「許すよ。ただ、心の準備をしておきたいだけだ」


結衣は胸に手を当て、傷ついたふりをした。


「松、今の聞いた? 私たち、もう信用されてないんだって」


荷物を片づけていた松が顔を上げる。


「俺はもともと、お前のことをそこまで信用してないけどな」


「なんでよ!?」


「今までの経験から」


「裏切り者!」


二人のやり取りを、僕はしばらく眺めていた。


この二人は、どうやって三年生になるまで退学にならずに済んだんだろう。


……いや、授業中に騒ぐのを止めず、むしろ一緒になって付き合ってきた僕にも責任はあるのかもしれない。


「まあ、その話は置いといて」


結衣が僕に向き直った。


「今日も舞夜とお昼を食べるの?」


「うん」


「じゃあ、放課後も一緒に帰る?」


「時間が合えばね」


結衣はにっこりと笑った。


「優しいねえ」


「何が?」


「別にー」


彼女は僕に少し近づき、声を潜めた。


「ただ、いつまで舞夜と一緒にいるための口実を探し続けるのかなって」


僕は固まった。


松も荷物をしまう手を止めた。


二人そろって、こちらを見ている。


「……何だよ」


「何でもないよ。ただ、最近の大樹を観察するのが面白くて」


「面白い?」


「ものすごくね」


松も大げさに真剣な顔でうなずいた。


「前は舞夜の話になると、すぐ別の話題に変えようとしてたのに、最近はお前から予定や好きなものの話をするだろ。好きな飲み物まで覚えてるし」


「それは友達だからだよ」


「そうだよねえ」


結衣の笑顔が、さらに深まった。


「世界一仲のいい友達だもんね。ある女の子が好きな飲み物を、わざわざ聞かなくても正確に買ってあげられるくらいには」


「好きなものを知ってるのは、ちゃんと覚えてるからで……!」


「そう! ちゃんと覚えてるんだよね!」


結衣が勝ち誇ったように指を立てた。


「それだけ舞夜のことをよく見てるってこと!」


僕は口を開いた。


閉じた。


もう一度開いた。


けれど、何を言っても墓穴を掘る未来しか見えなかった。


松が僕の肩をぽんぽんと叩く。


「頑張れよ、大樹。いつか反論できる日が来るさ」


「お前にだけは言われたくない」


「何でだ?」


「さっきから結衣の味方ばっかりしてるだろ」


「だって、結衣の言ってることは筋が通ってるし」


「松!」


二人は顔を見合わせて笑い出した。


僕は諦めてため息をついた。


そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。


取り出して画面を見る。


舞夜からのメッセージだった。


『もう授業終わった?』


思わず頬が緩む。


『うん。いつもの場所で会う?』


『会いたいな』


『すぐ行くよ』


返信してスマートフォンをしまい、立ち上がった。


「じゃあ、またあとで」


結衣が目を細める。


「舞夜?」


「うん」


「何て言ってたの?」


「会いたいって」


「それで、大樹は何て返したの?」


「すぐ行くって」


結衣は僕をじっと見つめた。


それから、ゆっくりと松のほうを振り向く。


「……見た?」


「見た」


「全然隠そうとしてないんだけど!」


「もう手遅れだな」


「おい、二人とも! 聞こえてるぞ!」


抗議しても、二人はまったく気にしていない。


結衣は両手を胸の前で合わせ、楽しそうに言った。


「舞夜が呼んだら、どれくらいの速さで来るのか、一度本人に教えてあげたいなあ」


「たぶん、遅刻しないように来てくれたんだって思うだけだよ」


「つまんない返事!」


二人が盛り上がっている隙に、僕は教室を抜け出した。


階段へ向かう途中、背後から結衣の声が飛んでくる。


「大樹ー! 舞夜によろしくねー!」


振り返らず、片手だけを上げて応えた。


そして、そのまま歩き続ける。


だって、認めるのは少し悔しいけれど。


僕は、舞夜に会うのが楽しみで仕方なかったのだから。


いつもの場所に着くと、舞夜はベンチのそばで僕を待っていた。


僕に気づくと、嬉しそうに手を振ってくれる。


「早かったね」


「待たせたくなかったから」


「ありがとう」


舞夜が少し横にずれて、僕の座る場所を空けてくれた。


隣に腰を下ろし、鞄から飲み物を取り出す。


「はい」


舞夜は目をぱちぱちさせた。


「私に?」


「うん。好きなやつ」


受け取った彼女の顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。


「覚えててくれたんだ」


「もちろん」


舞夜はボトルの蓋を開け、一口飲んだ。


それから、いたずらっぽい表情で僕を見る。


「ねえ、大樹」


「何?」


「大樹って、ときどき私に優しすぎない?」


「優しすぎる?」


「うん」


彼女は小さく首を傾げた。


「このままだと、私、すっかり慣れちゃうよ?」


僕は舞夜を見つめた。


「慣れていいよ」


答えは、考えるより先に口から出ていた。


舞夜の笑顔が、一瞬だけ止まる。


紫色の瞳が、まっすぐに僕を見つめた。


「……本当に?」


「うん」


自分でも、どうしてあんなことを自然に言えたのか分からない。


気づいたときには、もう取り消せなくなっていた。


舞夜はボトルに視線を落とした。


頬が、ほんのりと赤く染まっている。


「じゃあ……慣れるように頑張るね」


心臓が大きく跳ねた。


たったそれだけの会話なのに、どうしてこんなにも嬉しいんだろう。


舞夜はもう一口飲むと、午前中に教室であった出来事を話し始めた。


先生から出された課題のことや、恒一が簡単な作業をわざわざ難しくしてしまったこと。


「それで、里奈が『そんなの無理でしょ』って言ったの」


「実際、難しかったの?」


「ううん。説明をちゃんと読めばできることだったよ」


僕は思わず笑った。


「恒一らしいな」


「でしょ? しかも、ようやく理解したと思ったら、まるで秘密の公式を発見したみたいな顔をするんだよ」


「その場面、見てみたかったな」


「見てたよ。私、恒一の前の席だったから」


舞夜も楽しそうに笑った。


僕は彼女の話に耳を傾けながら、その横顔を眺めていた。


こうして、何でもない日常の出来事を聞くのが好きだった。


特別な事件なんて起きなくてもいい。


舞夜が今日あったことを話してくれるだけでいい。


くだらない出来事を思い出して笑う彼女を見ているだけで、十分に楽しかった。


「……大樹?」


不意に名前を呼ばれ、僕は瞬きをした。


「ん?」


舞夜がこちらを見ている。


「まただよ」


「また?」


「私が話してるとき、ずっとこっちを見てた」


僕は固まった。


「ちゃんと聞いてたよ」


「うん、知ってる」


舞夜の笑顔が、少しだけ柔らかくなる。


「でも、笑ってたでしょ?」


返事に困った。


舞夜はボトルを脇に置くと、静かに言った。


「ねえ、知ってる?」


「何を?」


「私ね、大樹がそういう顔で見てくれるの、好きだよ」


顔に一気に熱が集まった。


「そ、そういう顔って?」


「一緒にいられて嬉しいって、顔に書いてあるみたいな顔」


心臓がうるさいくらいに鳴っている。


だって、そのとおりだった。


僕は舞夜と一緒にいることが嬉しい。


自分でも、うまく言葉にできないくらいに。


「……実際、嬉しいから」


ようやく、それだけ答えた。


舞夜が少しだけ目を見開く。


そして、言葉にできないほど優しく微笑んだ。


「そっか。嬉しいな」


しばらく、二人とも何も言わなかった。


風が吹き、木々の葉がさらさらと揺れる。


遠くからほかの生徒たちの声が聞こえてくるけれど、ここだけは穏やかな時間が流れていた。


やがて、舞夜がそっと僕の手を取った。


「大樹」


「うん?」


「最近の大樹が、どうしてなのか分からないんだ」


僕は彼女を見つめた。


「どういうこと?」


「前から優しかったよね。いつだって、私が困ったときにはそばにいてくれた」


舞夜の指が、僕の指に絡む。


「でも最近は、何かが違う気がするの」


胸の鼓動が、また速くなった。


舞夜は少し声を落とした。


「それが何なのか、聞いてもいいのかなって……迷ってる」


僕は彼女を見つめたまま、しばらく言葉を探した。


今なら、話せるかもしれない。


自分の気持ちが変わってきたこと。


もう、ただの友達という言葉の陰に隠れていたくないこと。


舞夜のいない未来なんて、想像するのが難しくなっていること。


けれど、頭の中にある気持ちは、まだうまく言葉になってくれなかった。


だから僕は、今できることをした。


彼女の手を、そっと握り返す。


「ちゃんと自分の気持ちが分かったら、話すよ」


舞夜は黙って僕を見つめていた。


やがて、小さくうなずく。


「……うん。分かった」


失望した様子はなかった。


無理に聞き出そうとすることもない。


ただ、僕の肩にそっと自分の肩を寄せてきた。


「待ってるね」


その言葉が、胸の奥に残った。


待ってる。


それは、要求でもなければ、約束を迫る言葉でもなかった。


僕を信じてくれているからこそ、言える言葉だった。


だからこそ、ちゃんと答えたいと思った。


舞夜はずっと、僕に恋をしてもらおうと頑張ってきた。


そして今、ようやく僕は自分の気持ちを理解し始めている。


だからこそ、思いつきの言葉で返事をしたくなかった。


僕が舞夜に伝えたいのは、ただ好きだという一言だけじゃない。


彼女に言われたから、そばにいるわけじゃない。


一緒にいてほしいと頼まれたから、会いに来ているわけでもない。


僕自身が、そうしたいからだ。


毎日、舞夜のそばにいたいと思う理由が増えていく。


何か特別なことがなくても、少しの時間を一緒に過ごすだけで、その日が幸せなものになる。


そんな気持ちを、ちゃんと伝えたかった。


やがて、予鈴が鳴った。


舞夜はゆっくりと僕の肩から離れる。


「そろそろ戻らなきゃね」


「そうだね」


二人で立ち上がり、校舎へ向かって歩き出す。


廊下に着くと、舞夜は自分の教室へ向かう前に、こちらを振り返った。


「大樹」


「どうしたの?」


彼女は笑顔で言った。


「会いに来てくれて、ありがとう」


僕は少しだけ笑った。


「そんなこと、わざわざお礼を言わなくてもいいのに」


「どうして?」


「だって、僕がそうしたいんだから」


舞夜はその場で立ち止まった。


それから、胸元のペンダントにそっと手を添える。


「……じゃあ、またあとでね」


「うん。またね」


彼女が教室へ向かう背中を見送ってから、僕も自分の教室へ戻った。


そして、歩きながら思わず笑みを浮かべる。


結衣と松の言うことにも、一理あるのかもしれない。


最近の僕は、自分の気持ちを隠すのが下手になっている。


けれど、以前ほど嫌ではなかった。


もう、舞夜が自分にとって特別な存在ではないふりをしたくない。


彼女は、僕の人生にいる大勢の人のうちの一人なんかじゃない。


そして僕は、少しずつ、そのことを彼女に伝えられるところまで近づいている。


……もっとも、結衣のことだから、僕が一言でも告白する前に、何もかも察して騒ぎ始める可能性は高い。


できれば、先走ってお祝いの準備なんて始めないでほしい。


正直なところ、そんなことをされたら、告白する前に僕のほうが耐えられなくなりそうだから。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


大樹の気持ちは、もう隠しきれないところまで来ているようですね。

舞夜にその想いを伝える日は、いったいいつになるのでしょうか。


これからも二人の歩みを見守っていただけたら嬉しいです。

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次回もよろしくお願いします。

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