放課後
その日の最後の授業は、いつもよりずっと長く感じられた。
きっと、授業が終わればまた舞夜に会えると分かっていたからだろう。
不思議なものだ。
去年は一年間、ずっと同じ教室で過ごしていた。
特別なことをしなくても、ほとんど毎日、彼女の姿を見ることができた。
けれど、今は違う。
休み時間か、放課後になるまで待たなければならない。
教室同士はほんの少ししか離れていないのに、これまで当たり前だと思っていたことが、どれほど恵まれていたのか、ようやく分かり始めていた。
そして、ようやく帰りのチャイムが鳴った。
僕は教科書やノートを鞄にしまう。
「大樹」
振り返ると、結衣が後ろに立っていた。
「舞夜のところに行くの?」
「うん」
「じゃあ、また明日ね」
自分の席に座ったまま、松も手を上げた。
「明日は遅刻するなよ!」
「何で遅刻するんだよ?」
「さあな。何があるか分からないだろ?」
結衣が吹き出した。
「もう、放っておきなよ。新しいクラスになって、松も浮かれてるんだから」
「結衣だって楽しそうじゃないか」
「まあ、ちょっとはね」
結衣は鞄を肩にかけた。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
二人に別れを告げ、僕は教室を出た。
けれど、今回は三年二組へまっすぐ向かわなかった。
校舎の出入り口の近くで、舞夜を待つことにした。
数分後、凛奈と一緒に歩いてくる舞夜の姿が見えた。
僕に気づいた彼女は、すぐに笑顔になった。
「大樹くん」
「やあ」
「待った?」
「いや、全然」
すると、凛奈が僕たちを交互に見た。
「じゃあ、私は先に帰るね」
舞夜が驚いたように目を瞬かせる。
「えっ、もう?」
「うん。ちょっと用事があるから」
そう言って、凛奈は軽く手を振り、去っていった。
……本当に用事があるのだろうか。
それとも、僕たちに気を遣ってくれたのだろうか。
どちらにしても、今さら追いかけて確かめる気にはなれなかった。
舞夜が僕の隣にやってくる。
「みんな、私たちが一緒に帰るって分かってるみたいだね」
「結衣も知ってるよ」
「結衣ちゃんは何でもお見通しだもんね」
「隠し事をするのは難しいよ」
「ふふっ、確かに」
舞夜が楽しそうに笑う。
僕たちは並んで歩き始めた。
しばらくの間、特に会話はなかった。
ただ、二人で同じ道を歩いていく。
いつもと変わらない時間。
それなのに、どこか不思議な感覚があった。
舞夜と一緒にいることが変わったわけじゃない。
ただ、僕たちの状況が少し変わったことを、二人とも意識しているからだろう。
新しい一年が始まった。
これから、まだまだ経験することがたくさんある。
そんなことを考えていると、隣から声が聞こえた。
「ねえ、大樹くん」
「ん?」
「クラスが別々になったこと、嫌だった?」
僕は少し考えてから答えた。
「最初はね」
舞夜がこちらを見る。
「じゃあ、今は?」
「今は、これでもいいかなって思ってる」
「どうして?」
「だって、こうしてお互いに会いに行く理由ができたから」
舞夜は一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうに微笑んだ。
「……それ、いいね」
「そうかな?」
「うん。すごくいいと思う」
そう言って、彼女はまた前を向いた。
僕たちは、そのまま並んで歩き続けた。
しばらくすると、舞夜が道沿いの小さな店を指さした。
「ねえ、あのお店に入ってみない?」
「何があるの?」
「分からない」
「分からないのに入りたいの?」
「うん」
「それ、理由になってないよ」
「私にとっては、ちゃんとした理由だよ?」
舞夜は悪びれる様子もなく笑った。
……本当に、舞夜らしい。
僕は小さくため息をついた。
「分かったよ。入ろう」
「やった!」
そんなに嬉しそうにされると、断らなくてよかったと思ってしまう。
店内は、文房具や小物、ちょっとした雑貨を扱う小さな店だった。
舞夜は興味津々といった様子で棚を眺めていく。
僕もその後ろをついて回った。
そして、数分後。
「大樹くん、これ見て!」
舞夜が手に取ったのは、小さな使い捨てカメラだった。
「カメラ?」
「うん!」
彼女はカメラを両手で持ち、嬉しそうに僕に見せた。
「今年はこれで写真を撮らない?」
「スマートフォンでも撮れるけど……」
「それとは違うんだよ」
舞夜は少しだけ頬を膨らませた。
「いつもの写真とは違う、特別な写真も残したいの」
その言葉を聞いて、僕は去年のことを思い出した。
二人で出かけた旅行。
京都のお寺で見た景色。
一緒に笑って、手をつないで、何枚も写真を撮ったこと。
そして、ホワイトデーに撮った、夕暮れの公園での一枚。
気づけば、僕たちの思い出は写真と一緒に増えていた。
「……いいね。それ」
僕が頷くと、舞夜の顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、買おう!」
「舞夜が払うの?」
「二人で出し合うのはどう?」
「それなら公平だね」
僕たちは代金を出し合い、カメラを購入した。
店を出ると、舞夜は大切そうにカメラを抱えていた。
「三年生になって、最初の思い出だね」
「まだ一枚も撮ってないけど?」
「だから、今から撮るの!」
「今?」
「今!」
舞夜は迷いなく頷いた。
そして、道端に立つ小さな木を指さした。
枝には、春の花がたくさん咲いていた。
「ここで撮ろうよ」
「分かった」
舞夜はカメラを構えた。
「もっとこっちに来て」
「また?」
「また、だよ」
僕が隣に立つと、彼女は満足そうに頷いた。
「はい、笑って!」
「笑ってるよ」
「全然そう見えないんだけど」
「ちゃんと笑ってるって」
「もう、いいから!」
舞夜はくすくす笑いながら、シャッターを押した。
カチッ。
小さな音が響く。
カメラから、撮影したばかりの写真がゆっくりと出てきた。
舞夜はそれを手に取ったものの、すぐには中身を確認できないことを思い出したらしい。
「……どんな写真になったんだろう?」
「現像するまで分からないね」
「それも楽しみだよ」
舞夜は写真を大切そうにしまった。
「どんなふうに撮れてるか、現像するまでのお楽しみだね」
僕は彼女を見つめた。
春の風が、舞夜の暗い紫色の髪を優しく揺らしている。
首元では、星と花のペンダントがきらりと光っていた。
三年生になったばかりの、まだ何も始まっていないような一日。
それなのに、僕たちはもう、新しい思い出を一つ作っていた。
クラスが別々にならなければ、今日、この店に立ち寄ることもなかったかもしれない。
そう考えると、何だか不思議だった。
舞夜が僕の顔を覗き込む。
「……どうしたの?」
「え?」
「さっきから私のことを見てるから」
「……別に」
「嘘。見てたよね?」
「うん。見てた」
今度は、素直に認めてみた。
舞夜は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これからも見てていいよ?」
「……そういうこと、簡単に言わないでよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
答えに困る僕を見て、舞夜は楽しそうに笑った。
結局、僕は何も言い返せなかった。
そのまま、僕たちは再び歩き始めた。
クラスが別々になっても、会うための道はちゃんとつながっている。
一日の終わりに、こうして隣にいられる。
それだけで、十分だった。
これからも、きっと何度だって会いに行く。
舞夜が僕を探してくれるなら、僕も彼女を探しに行こう。
そうして一緒に歩いていけば、きっとまた新しい思い出が増えていくはずだから。
第307話を読んでくださって、ありがとうございます!
放課後、二人が選んだのは新しい思い出を残すための小さなカメラ。
どんな写真になったのかは、現像してからのお楽しみですね。
三年生になった二人の毎日を、これからも見守っていただけたら嬉しいです!
次回もよろしくお願いします!




