文化祭の審査
考える時間なんて、ほとんどなかった。
昼休みが終わったからだ。
そして、それと同時に――。
再び、教室は戦場になった。
「六番テーブル、注文入りました!」
「ホットチョコレートを一つ!」
「ケーキが二つ足りません!」
「四番のトレー、誰が持ってる!?」
あちこちから声が飛び交う。
俺は小さく息を吐いた。
――また始まった。
午前中も十分忙しかった。
だが、午後の混雑は比べものにならない。
教室の中はもちろん、廊下にまで人があふれている。
外には、入店を待つ生徒たちの列までできていた。
「毎年、こんなに人が来るのか?」
俺は何枚もの皿をトレーに載せながら尋ねた。
すると、結衣が得意げに胸を張る。
「私たちのクラス、人気店になっちゃったのよ」
「それは逆に心配なんだけど」
「どうして?」
「人気者ほど、働かされるからだよ」
「確かに、それはそうね」
そこへ、洗い終わった皿の入った箱を抱えた松が現れた。
「文句言ってないで、さっさと動け」
「お前はどうなんだよ」
「俺も文句を言いながら働いてる」
「それは納得だな」
そんなくだらないやり取りを交わしながらも、俺たちの手は止まらない。
文化祭は、まだまだ終わりそうになかった。
そのとき、校内放送のスピーカーから短い電子音が響いた。
ピンポンパンポーン――。
『ご来場の皆様にお知らせします』
校長先生の声が、校舎全体に響き渡る。
『三十分後、文化祭の最優秀企画を決める審査が始まります』
一瞬だけ、教室が静まり返った。
「審査?」
俺が首をかしげると、朝美がうなずいた。
「毎年、先生たちと保護者の代表が各クラスを回るのよ」
「それで、一番良かった企画に賞が贈られるんです」
瑞希が説明を付け加える。
すると、結衣が勢いよく拳を突き上げた。
「絶対に優勝するわよ!」
「なんでそんなに自信満々なんだ?」
俺が呆れながら聞くと、結衣は迷いなく答えた。
「だって、舞夜がいるもの」
その言葉に、クラス全員が一斉にうなずいた。
だが、当の本人は――。
「……期待しすぎです」
そう小さくつぶやき、どこか居心地が悪そうに視線を逸らしていた。
「大げさだろ」
俺がそう言うと、松が苦笑しながら肩をすくめた。
「いや、全然大げさじゃないぞ」
「そうそう」
朝美もすぐに同意する。
「この教室の飾りつけも、メニューの配置も、接客の流れも、ほとんど舞夜が考えたんだから」
「そこまで言うほどじゃありません」
舞夜は小さく首を横に振った。
「私一人じゃ、何もできませんでしたから」
「謙遜しなくていいって」
松が笑いながら言う。
「お前がいなかったら、今ごろ俺たちは段ボールに囲まれて途方に暮れてたぞ」
「それは否定できないわね」
結衣まで真顔でうなずいた。
すると、舞夜は困ったように視線を落とした。
「……みんなが協力してくれたからです」
そう言った直後だった。
舞夜が、ふと俺のほうを見る。
「それに、南くんもたくさん手伝ってくれました」
その瞬間、教室中の視線が一斉に俺へ集まった。
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
結衣は、にやりと笑った。
「ほら見て。お互いをかばい合ってる」
「別に、かばってないだろ」
「まだ、ね」
「その『まだ』って何だよ」
教室のあちこちから笑い声が上がる。
舞夜は何も言わず、少しだけ視線を逸らした。
けれど、その横顔は、ほんの少しだけ赤く見えた気がした。
三十分後――。
教室の扉が開いた。
入ってきたのは、三人の教師と、保護者会の代表二人だった。
全員がクリップボードを手にしている。
さっきまで騒がしかった教室が、一気に静まり返った。
「こんにちは」
一人の教師が穏やかな声で挨拶する。
「これから、文化祭の審査を行います」
その言葉を聞いた瞬間、教室の空気が変わった。
みんな、さっきまで以上に慎重に動き始める。
注文を取る者。
料理を運ぶ者。
食器を片づける者。
誰一人として無駄な動きをしていなかった。
飲み物は次々と運ばれ、デザートも完璧な状態でテーブルへ届けられていく。
そして、その中心にいたのは――舞夜だった。
舞夜は、まるで別人のように教室の中を動き回っていた。
客を席へ案内し、注文を確認し、笑顔で応対する。
どんな質問をされても、落ち着いた声で答えていく。
慌ただしいはずなのに、その姿には不思議なほど余裕があった。
正直、見とれてしまうくらいだった。
このクラスが舞夜を信頼する理由が、少しだけ分かった気がした。
すべてが順調に進んでいた。
少なくとも、その瞬間までは。
一人の教師が席を立つ。
そのとき、足がテーブルクロスの端に引っかかった。
次の瞬間――。
テーブルの上に置かれていたティーポットが、ゆっくりと縁へ滑り始める。
「危ない!」
誰かの叫び声が教室に響いた。
本当に、一瞬の出来事だった。
最初に動いたのは舞夜だった。
そして、ほぼ同時に俺も駆け出していた。
落ちかけたティーポットを、舞夜がとっさに両手で受け止める。
俺は、その下にあったトレーを支えた。
カップは一つも落ちなかった。
床に紅茶がこぼれることもなかった。
教室全体が、しんと静まり返る。
誰も声を出せなかった。
だが、数秒後――。
あちこちから拍手が沸き起こった。
「すごい反射神経だ!」
「今のを止めたのか!?」
「息ぴったりじゃないか!」
そんな声が次々と聞こえてくる。
俺は急に恥ずかしくなって、思わず視線を逸らした。
一方、舞夜は小さく頭を下げる。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありません」
落ち着いた声だった。
まるで、何事もなかったかのように。
けれど、ティーポットを持つ彼女の指先が、ほんの少しだけ震えているのを、俺は見逃さなかった。
審査員たちは、教室を一通り見て回り、最後に入口の近くで立ち止まった。
一人の教師が、穏やかな笑みを浮かべる。
「皆さんの努力がよく伝わってきました」
別の教師も、うなずきながら続けた。
「特に、クラス全体の連携が素晴らしかったです」
そして、ゆっくりと俺たちのほうを見る。
「責任者同士の息もぴったりでしたね」
その言葉に、クラスの何人かが一斉にこちらを振り向いた。
俺は少し気まずくなりながら、
「ありがとうございます」
とだけ答えた。
隣では、舞夜が静かに頭を下げている。
やがて、審査員たちは教室を後にした。
扉が閉まった瞬間――。
クラス全員が同時に大きな息を吐いた。
「生き残った……」
俺がそうつぶやくと、松が疲れたように笑った。
「今のところはな」
結衣は、なぜか自信満々に親指を立てる。
「私、確信したわ」
「何をだ?」
「優勝するってこと」
俺は思わず苦笑した。
「気が早すぎるだろ」
「いいえ、絶対よ」
結衣は迷いなく言い切った。
それが文化祭の賞のことなのか。
それとも、別の何かを指しているのか。
俺には分からなかった。
いや――。
本当は、聞かなくても分かっていたのかもしれない。
ただ、その答えを知るのが少し怖かっただけなんだ。
そんなことを考えているうちに、窓の外では夕日が校舎を赤く染め始めていた。
文化祭は、まだ終わらない。
第三十話『文化祭の審査』を読んでいただき、ありがとうございました。
文化祭も終盤に入り、大樹たちは最後の忙しい時間を迎えます。
少しずつ変わっていく大樹と舞夜の関係。
しかし、文化祭はまだ終わりません。
それでは、第三十一話でお会いしましょう。




