家で待っていた箱
家に帰ると、俺はできるだけいつも通りに振る舞おうとした。
「ただいま」
「おかえり」
リビングから母さんの声が返ってくる。
靴を脱ぎ、バッグを自分の部屋に置く。
何も変わらない、いつもの一日。
……ただ一つを除いて。
舞夜からもらった小さな箱が、まだバッグの中に入っている。
俺はそれを慎重に取り出した。
そして、机の上に置く。
数秒間、じっと見つめた。
紫色のリボンは、綺麗に結ばれている。
「……これが」
舞夜が俺のために作ってくれたチョコレート。
そう考えるだけで、また心臓が速くなる。
箱を渡してくれたときの舞夜の表情を思い出す。
赤くなった頬。
緊張した声。
『ハッピーバレンタイン、大樹くん』
俺は机の前に座った。
家で開けると約束した。
なら――。
もう待つ理由はない。
ゆっくりとリボンをほどく。
そして、蓋を開けた。
中には、小さなハート型のチョコレートがいくつも入っていた。
一つ一つ、丁寧にデコレーションされている。
ホワイトチョコレートを使った小さな飾りがあるものもあれば、色とりどりのデコレーションが施されているものもある。
その中央には、一つだけ少し違うチョコレートがあった。
俺は、それを慎重に手に取る。
「……すごく頑張ったんだな」
思わず笑顔になる。
そのとき――。
チョコレートの下に何かがあることに気づいた。
小さなカード。
俺はそれを取り出した。
また、心臓が速くなる。
ゆっくりと開く。
そこには、舞夜の手書きで短い言葉が書かれていた。
『ハッピーバレンタイン、大樹くん。
自分で作ったものを、大樹くんに渡したいと思いました。』
俺は、しばらくそのカードを見つめていた。
長いメッセージではない。
でも――。
それで十分だった。
その文字を書いている舞夜の姿が、簡単に想像できる。
きっと何度も迷ったんだろう。
何を書けばいいのか。
どんな言葉なら、自分の気持ちを伝えられるのか。
そう考えながら、この言葉を選んだのかもしれない。
俺はカードの上を、そっと指でなぞった。
「……ありがとう、舞夜」
届くはずのない言葉。
それでも、自然と口から出ていた。
そして、もう一度チョコレートを見る。
不思議な気持ちになった。
これは、ただのお菓子じゃない。
一つ一つのチョコレートに、舞夜が費やした時間が詰まっている。
きっと何度も失敗した。
どうすれば美味しく作れるのか悩んだ。
俺が気に入ってくれるか心配した。
そして最後には――。
これを俺に渡すための勇気を出した。
俺はハート型のチョコレートを一つ手に取った。
ゆっくりと口元へ運ぶ。
けれど、食べる直前で止めた。
「……そうだ」
舞夜の言葉を思い出す。
『気に入ってくれるといいんですけど』
俺は小さく笑った。
「……じゃあ、明日ちゃんと伝えないとな」
そして――。
チョコレートを口に入れた。
甘い味が、ゆっくりと広がっていく。
最初に浮かんだのは――。
笑顔だった。
「……美味しい」
本当に美味しかった。
でも、それだけじゃない。
誰が作ったのかを知っているからこそ、この味が特別に感じられた。
俺はもう一度、カードを見る。
そして、なぜだろう。
胸の奥が、今までとは違う温かさで満たされていくのを感じた。
少し前まで。
舞夜からチョコレートをもらえるのかどうか。
俺は、ただそれだけを考えていた。
でも今――。
そのチョコレートは、俺の手の中にある。
そして、考えれば考えるほど分かってくる。
この小さなプレゼントが、自分にとってどれほど大きな意味を持っているのか。
俺はまだ、その気持ちを上手く言葉にできなかった。
読んでいただき、ありがとうございます!
次の話でまたお会いしましょう!




