前日
明日は、バレンタイン。
そう考えるだけで、心臓が少しだけ速くなる。
家へ帰る道の途中も、俺はずっと舞夜との会話を思い出していた。
『明日……放課後、少しだけ残っていてください』
もう、疑う余地はない。
舞夜は何かを準備している。
そして、俺が何を考えているのかも、おそらく本人には分かっている。
それでも、俺は待つことにした。
自分から聞いて、その瞬間を壊したくなかった。
その頃――。
舞夜の家では。
「……これで、完成です」
舞夜は最後のチョコレートを箱の中へ入れた。
今度は、自分でも満足できる出来だった。
小さなハート型のチョコレート。
一つ一つ、丁寧にデコレーションされている。
その中央には、少しだけ違うものが一つ。
ホワイトチョコレートを使って、小さな飾りを作っていた。
「……これは、大樹くんの分です」
舞夜が小さな声で呟く。
その様子を、ドアのところから見ていた千代子が微笑んだ。
「頑張ったわね」
「はい」
舞夜は箱を閉じる。
そして、用意していたカードを取り出した。
もう一度、書かれている言葉を読む。
『ハッピーバレンタイン、大樹くん。
自分で作ったものを、大樹くんに渡したいと思いました。』
一度。
二度。
そして、三度。
舞夜は何度も読み返した。
「……大丈夫」
カードを箱の中へ入れる。
その上から蓋を閉じ、紫色のリボンを丁寧に結んだ。
そして、完成した箱を両手で大切に持つ。
「……これで、準備はできました」
「準備はできた?」
千代子が尋ねる。
舞夜は数秒間、黙っていた。
「……たぶん」
「緊張してる?」
「……すごく」
千代子が舞夜のそばへ歩み寄り、乱れていた髪をそっと整える。
「難しいことを言わなくてもいいのよ」
「……はい」
「ただ、素直になればいいの」
舞夜は小さく頷いた。
「……頑張ってみます」
「それから、焦らなくてもいいからね」
「分かっています」
舞夜は微笑んだ。
「ただ……大樹くんに、私が大樹くんのことを考えて作ったって分かってほしいんです」
千代子も頷く。
「それなら、きっと明日で十分よ」
舞夜は箱をバッグの中へしまった。
けれど、閉じる前にもう一度中を確認する。
カード。
チョコレート。
リボン。
全部、ちゃんと入っている。
これで準備は終わった。
───
そして翌日。
ついに、バレンタイン当日がやってきた。
俺はいつもより数分早く学校へ着いた。
どうして早く来たのか、自分でも分からない。
……たぶん。
放課後、舞夜を待たせたくなかったからだ。
教室に入る。
けれど、まだ舞夜は来ていなかった。
俺は自分の席に座る。
そして、また考え始めた。
――何て言えばいいんだろう。
「ありがとう」
……いや。
それだけじゃ、あまりにも簡単すぎる。
「すごく嬉しい」
それなら、まだいいかもしれない。
でも、それでも自分の気持ちを全部伝えられるわけじゃない。
「……俺、何やってるんだ?」
思わずため息が出た。
「バレンタインのこと考えてるのか?」
「うわっ!」
背後から松の声がした。
「いつからそこにいたんだよ!」
「結構前から」
「……何も聞いてないだろうな?」
「十分聞いた」
松はニヤッと笑った。
「頑張れよ」
「……頑張れ?」
「お前には必要だろ」
そう言って、松は笑った。
俺が何か言い返すより先に――。
教室のドアが開いた。
舞夜が入ってきた。
俺たちの視線が合う。
舞夜が微笑んだ。
けれど――。
すぐに分かった。
今日は、いつも以上に緊張している。
両手でバッグをしっかりと持っている。
そして俺には、その中に何が入っているのか分かっていた。
舞夜が俺のところへ近づいてくる。
「おはようございます、大樹くん」
「おはよう」
「……昨日のことなんですが」
「うん」
「放課後……」
「残るよ」
舞夜が嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
そして、自分の席へ戻っていった。
それから午前中の間、俺たちはその話題を一度も口にしなかった。
けれど――。
二人とも分かっている。
今日は、何かが起こる。
時間が進むにつれて、俺の中には不思議な感覚が膨らんでいった。
緊張。
期待。
そして、それだけでは説明できない何か。
初めてだった。
早く一日が終わってほしくないと思ったのは。
むしろ――。
その時間が来てほしかった。
舞夜が何を準備してくれたのか知りたい。
そして何より――。
そのチョコレートを渡す瞬間の舞夜が、どんな表情をするのか。
俺は、それを見たかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回もぜひ読んでください。
また次の話でお会いしましょう。




