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これでおあいこ

午後も終わりに近づいていた。


千代子さんと久那さんに別れを告げ、俺は玄関で靴を履く。


「今日は、本当にありがとうございました」


軽く頭を下げる。


「そんなにかしこまらなくていいのよ」


千代子さんが笑った。


「いつでも遊びに来てね」


久那さんも小さくうなずく。


「また来なさい」


「ありがとうございます」


舞夜が俺の隣に立つ。


「それじゃあ、また」


「気をつけてね、舞夜」


母親に言われ、舞夜がうなずく。


「はい」


俺たちは家を出た。


冷たい午後の空気が、頬に触れる。


「駅まで送ります」


舞夜が言った。


「いいよ。大丈夫」


「私が送りたいんです」


「……分かった」


俺たちは並んで歩き始めた。


最初の数分は、他愛のない話をしていた。


「……大樹くん」


「ん?」


「私の家族、どうでした?」


「みんな優しかったよ」


「……父も?」


「父親も含めて」


舞夜が少し笑う。


「それは奇跡ですね」


「ははっ」


俺も笑った。


「たぶん、気に入ってもらえたと思う」


「はい」


「どうして分かるの?」


「また来てもいいって言われたでしょう?」


舞夜が微笑む。


「それは、かなり大きな意味があります」


「じゃあ……」


俺は少し胸を張る。


「尋問は無事に生き残ったってことか」


「……ぎりぎりです」


「舞夜!」


舞夜が声を出して笑う。


俺たちはそのまま歩き続けた。


通りには、夕方の最後の光が残っている。


駅に近づくにつれて、遠くから電車の音が聞こえてきた。


その時。


舞夜が口を開いた。


「大樹くん」


「ん?」


「お正月は予定ありますか?」


「まだ決めてない」


「一月一日は?」


「特にないけど」


「それなら……」


舞夜が足を止めた。


俺も立ち止まる。


舞夜はバッグのストラップを少しだけ握り直した。


「一緒に神社へ行きませんか?」


俺は驚いて舞夜を見る。


「神社?」


「はい」


「初詣に」


「初詣?」


「はい」


舞夜が少し恥ずかしそうに笑った。


「大樹くんと一緒に行きたいです」


俺は数秒間、何も言えなかった。


新しい年を、舞夜と一緒に始める。


そう考えると――。


思っていた以上に嬉しかった。


「……行きたい」


舞夜の目が輝く。


「本当ですか?」


「うん」


「じゃあ、決まりですね」


舞夜が嬉しそうに笑った。


「一月一日……一緒に行きましょう」


「約束だな」


「はい。約束です」


俺たちは再び歩き始めた。


けれど、今度は少しだけ空気が違っていた。


ただ十二月を一緒に終えるだけじゃない。


新しい一年を、一緒に始める約束までできた。


やがて駅に到着する。


俺が乗る電車が来るまで、まだ少し時間があった。


俺たちはホームの前で立っていた。


「今日は、送ってくれてありがとうございました」


「だから、俺が送りたかったんだって」


「……はい」


短い沈黙。


その時、俺はふと思い出した。


数日前。


舞夜が俺の頬にキスをしたこと。


どうやら舞夜も同じことを思い出したらしい。


頬が少しずつ赤くなっていく。


「……大樹くん」


「ん?」


「あの日のことなんですけど……」


「キスのこと?」


舞夜が視線を落とす。


「……はい」


「まだ覚えてるよ」


「私もです」


俺は少しだけ笑った。


そして――。


ふと思った。


今度は、俺の番なんじゃないか。


「舞夜」


「はい?」


俺は一歩、近づいた。


舞夜が顔を上げる。


そして、舞夜が反応するより先に――。


俺は、その頬に小さくキスをした。


ほんの一瞬。


それだけだった。


けれど、舞夜は完全に固まった。


俺もすぐに離れる。


顔が熱い。


心臓も、さっきからずっと騒がしい。


「……これで」


俺は小さく息を飲んだ。


「これで、おあいこだな」


舞夜はゆっくりと自分の頬に手を当てた。


顔は真っ赤だった。


「……おあいこ?」


「うん」


「この前、私が駅まで送ってもらった時にキスしたでしょう?」


「だから今回は……」


俺は少し照れながら続ける。


「俺の番」


舞夜は数秒間、何も言わなかった。


そして――。


小さく笑った。


「……ずるいです」


「どうして?」


「何の前触れもなかったからです」


「舞夜だって、何も言わなかっただろ」


「それは……違います!」


俺は思わず笑った。


舞夜も、つられるように笑う。


それから、少しだけ俯いた。


「でも……」


「ん?」


「……嬉しかったです」


俺の心臓が、また大きく跳ねた。


「……それなら、よかった」


「はい」


その時、駅のアナウンスが流れ始めた。


俺の乗る電車が近づいている。


「来ましたね」


舞夜が言う。


「ああ」


電車がゆっくりとホームへ入ってくる。


扉が開く。


俺は舞夜を見る。


「一月一日に会おう」


「はい」


舞夜が微笑む。


「遅刻しないでくださいね」


「しないよ」


「それと……」


舞夜が少しだけ間を置く。


「少し早いですけど――」


「良いお年を」


「良いお年を」


俺は電車に乗り込んだ。


扉が閉まる前に、もう一度舞夜を見る。


舞夜が手を上げた。


俺も手を上げ返す。


やがて電車が動き始める。


窓の向こうで、舞夜の姿が少しずつ遠ざかっていく。


俺は自分の頬にそっと触れた。


そして、笑った。


今度は俺から踏み出した。


そして、なぜか――。


あの最初のキスとは、少し違う気がした。


どちらが大切というわけじゃない。


ただ――。


今の俺たちは、お互いに分かっている。


これからも、こうやって小さな一歩を重ねていきたい。


そのことを。


◇


舞夜は、電車が見えなくなるまでホームに残っていた。


やがてスマートフォンを見る。


新しいメッセージが届いている。


『一月一日』


『忘れないで』


大樹からだった。


舞夜は微笑む。


『忘れるわけありません』


そう返信して、スマートフォンをしまう。


そして、自分の頬に手を当てた。


まだ、あのキスの熱が残っているような気がする。


「……これで、おあいこ……」


小さく呟く。


けれど、すぐに笑顔になった。


「……でも、最後じゃなかったらいいな」


舞夜は冬の空を見上げる。


今年も、もうすぐ終わる。


そして、新しい一年が待っている。


その始まりは――。


初詣。


大樹と二人で。


まだ二人は知らない。


その一月一日が――。


二人の関係を、さらに大きく変える一日になることを。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


大樹からも、小さな一歩が踏み出されました。


次はいよいよ、二人で迎える新年です。


次回もお楽しみに!

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