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舞夜の秘密

午後の時間は、思っていたよりも早く過ぎていった。


久那さんとの会話が終わってから、家の中の空気もずいぶん柔らかくなっていた。


千代子さんがもう一度お茶とお菓子を用意してくれて、舞夜は俺の隣に座っている。


「大樹くん」


「ん?」


「これ、食べてみませんか?」


舞夜がお菓子を一つ差し出してくる。


「いいの?」


「はい」


俺はそれを口に入れた。


「……美味しい」


「でしょう?」


「うん」


舞夜が嬉しそうに笑う。


「お母さん、お菓子作るの上手なんですよ」


「ありがとう」


テーブルの向こうから千代子さんの声が聞こえる。


「気に入ってくれてよかったわ」


舞夜も笑った。


それからしばらく、俺たちはのんびりと話を続けていた。


やがて、千代子さんが娘を見る。


「舞夜」


「はい?」


「ちょっとキッチンを手伝ってくれる?」


「もちろん」


舞夜が立ち上がる。


そして母親の後について、キッチンへ向かった。


二人が歩きながら、千代子さんはリビングのほうをちらりと見る。


「心配しなくていいわよ」


「変なことは聞かないから」


舞夜はほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます……」


二人がキッチンへ入る。


千代子さんが食器を片付け始める。


「でも、一つだけ聞きたいことがあるの」


舞夜の動きが止まった。


「……何ですか?」


「どうして大樹くんを見るたびに、そんなに緊張してるの?」


舞夜の顔が一瞬で赤くなる。


「緊張なんてしてません!」


「そう?」


千代子さんが笑う。


「じゃあ、どうして大樹くんが話すたびに、さっきからずっと嬉しそうに笑ってるの?」


「お母さん……」


「ただ聞いてるだけよ」


舞夜は視線を落とした。


「それは……」


その瞬間、駅での出来事が頭に浮かんだ。


小さなキス。


驚いた大樹の顔。


そして、その直後の自分の恥ずかしさ。


舞夜は小さく息を吐く。


「……実は、あったんです」


千代子さんが片眉を上げる。


「何か?」


舞夜はゆっくりとうなずいた。


「この前、大樹くんが家に来てくれた日の帰り……」


少し間を置く。


「駅まで送ってもらったんです」


「うん」


「その時……」


舞夜は頬を赤くしながら続けた。


「大樹くんに、キスしました」


千代子さんの動きが止まった。


「……キス?」


舞夜は小さくうなずく。


「はい」


「あなたが?」


「……はい」


「大樹くんに?」


「はい……」


千代子さんは何とか真剣な表情を保とうとした。


けれど、無理だった。


口元に笑みが浮かぶ。


「ふふっ……」


「お母さん!」


「ごめんなさい」


千代子さんは笑いをこらえながら言った。


「まさか、舞夜のほうから最初の一歩を踏み出すなんて思わなかったの」


舞夜は両手で顔を隠した。


「私も、こんなことになるとは思ってませんでした……」


「それで、大樹くんはどうしたの?」


「完全に固まってました」


「まあ……」


千代子さんが少し笑う。


「可哀想に」


「そのあと……」


舞夜は少しだけ口元を緩めた。


「私と同じように、嬉しかったって言ってくれました」


千代子さんが優しく微笑む。


「じゃあ、そんなに恥ずかしがる必要はないんじゃない?」


「でも……すごく衝動的だったので」


「そういう瞬間に、大切なことが起きることもあるのよ」


舞夜は黙った。


そして、手首のブレスレットを見る。


「……いつ、ちゃんと自分の気持ちを話せるようになるのかは分かりません」


「でも……」


舞夜は小さく笑った。


「少しずつ進んでいくのが、今は好きなんです」


千代子さんがうなずく。


「それなら、それでいいのよ」


「急ぐ必要なんてないわ」


「……はい」


舞夜はもう一度、自分のブレスレットを見る。


「このままがいいんです」


「このまま?」


「自然な感じで」


舞夜はゆっくりと言葉を続ける。


「一緒に出かけたり」


「話したり」


「写真を撮ったり」


「思い出を作ったり……」


そして、少しだけ笑う。


「これからも、大樹くんの隣にいたいです」


千代子さんは舞夜の肩にそっと手を置いた。


「じゃあ、その気持ちを大切にしなさい」


舞夜が顔を上げる。


「……え?」


「それがあなたの望みなら、怖がらなくていいのよ」


舞夜は嬉しそうに笑った。


「……ありがとう、お母さん」


「さあ、そろそろ戻りましょう」


千代子さんが笑う。


「大樹くんが、私たちが何か企んでると思う前に」


「……たぶん、もう思ってますよ」


二人は顔を見合わせる。


そして、同時に笑った。


リビングへ戻ると、俺が二人を見る。


「……大丈夫?」


「はい」


舞夜がすぐに答えた。


「何を話してたの?」


「女の子同士の話よ」


千代子さんが笑う。


「……またその答えか」


俺はため息をついた。


「絶対、何か隠してるだろ」


舞夜は笑いをこらえながら、少しだけ首を傾げた。


「……どうでしょう?」


「ほら!」


俺が言うと、千代子さんと舞夜がまた笑った。


午後は、そのまま穏やかに過ぎていった。


けれど、舞夜の中には一つ、新しい確信が生まれていた。


家族は、自分の気持ちを知っている。


そして――。


驚いたことに、その気持ちを受け入れてくれている。


そう思うと、駅で踏み出した小さな一歩が、少しだけ怖くなくなった。


大樹が両親と楽しそうに話している姿を見つめながら、舞夜は思う。


もしかしたら――。


次の一歩も、そんなに難しいことではないのかもしれない。


ただ。


その時が来るまで、ゆっくり待てばいい。


今は、それで十分だった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


舞夜の秘密を、千代子は知ることになりました。


小さな一歩を踏み出した舞夜は、次の一歩へ進む準備を少しずつ始めています。


次回もお楽しみに!

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