舞夜の家
舞夜が俺の家に遊びに来てから、数日が経った。
その間、少しだけ変な感じがしていた。
別に、何か悪いことが起きたわけじゃない。
むしろ、その逆だ。
あの日、駅で別れた時から――。
舞夜を見るたびに、頬に触れた小さなキスを思い出してしまう。
そして、なぜか舞夜も、俺の顔を長く見ていられないようだった。
少し目が合うだけで、すぐに顔を赤くしてしまう。
その日の朝もそうだった。
「おはようございます」
「おはよう」
俺たちは顔を見合わせる。
沈黙。
舞夜が慌てて視線を逸らした。
「……寒いですね」
「うん」
「すごく……」
「そうだな」
また沈黙。
「……大樹くん」
「ん?」
「そんなに私の顔を見なくてもいいですよ」
「見てないけど」
「見てました」
「いや、ただ……」
そこまで言って、俺は言葉を止めた。
舞夜はマフラーで顔を半分隠す。
「……もういいです」
その数メートル後ろから、結衣が怪しそうな笑顔でこちらを見ていた。
「……なるほどね」
「何も言わないで」
舞夜がすぐに反応する。
「まだ何も言ってないけど?」
「でも、絶対何か考えてる」
「まあ、少しは?」
結衣は楽しそうに俺たちの隣まで歩いてきた。
「そういえば、舞夜」
「何?」
「大樹をいつ家に招待するか、もう決めた?」
舞夜が足を止めた。
「……え!?」
「だって、それが次の予定じゃなかったっけ?」
「結衣!」
「何よ?」
結衣は悪びれる様子もない。
「大樹くんが舞夜の家族に会ったんだから、今度は舞夜が同じことをすればいいじゃん」
俺は舞夜を見る。
「……家に招待してくれるの?」
舞夜は完全に顔を赤くしていた。
「……私の家に」
「舞夜の家?」
「はい」
舞夜は声を少し落とした。
「両親に、大樹くんを紹介したいです」
俺は数秒、何も言えなかった。
「……行きたい」
舞夜が顔を上げる。
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ……」
舞夜は少し考えてから言った。
「明日、来ませんか?」
「もちろん」
結衣が満面の笑みを浮かべた。
「完璧!」
「……何がそんなに面白いんだ?」
俺が尋ねると、結衣は笑いながら答える。
「別に」
「二人が少しずつ進んでいくのを見るのが楽しいだけ」
舞夜がため息をついた。
「いつか、結衣を無視できるようになりたいです」
「それ、何ヶ月も前から言ってるよね?」
「……そうでした」
舞夜がまたため息をつく。
放課後。
俺と舞夜は二人で駅へ向かって歩いていた。
今度は、周りに誰もいない。
「……明日のことなんですけど」
舞夜が口を開く。
「うん」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですからね」
「舞夜のほうが緊張してない?」
「それは……別です」
「どうして?」
舞夜は少しだけ考える。
「……私の家族だからです」
そして、小さく息を吐いた。
「大樹くんには、両親に気に入ってもらいたいので」
「俺、そんなに気に入ってもらえないと思う?」
「違います」
舞夜はすぐに首を横に振った。
「きっと大丈夫です」
「大樹くんなら、絶対に気に入ってもらえると思います」
「じゃあ、問題ないな」
「……一つだけ問題があります」
「何?」
舞夜が少しだけ視線を落とした。
「……父です」
「お父さん?」
「久那です」
舞夜は少し困ったような顔をする。
「その……」
「厳しい?」
「少しだけ」
「舞夜に?」
「……何に対しても、です」
それから、舞夜は慌てて付け加えた。
「でも、心配しなくて大丈夫です」
「ただ……」
舞夜は俺を見る。
「いつも通りの大樹くんでいてください」
「それならできる」
舞夜が微笑んだ。
「よかったです」
やがて駅に到着した。
別れる前に、舞夜が俺をじっと見つめる。
「……大樹くん」
「ん?」
「この前のことなんですけど……」
俺の心臓が、また少し速くなる。
「……キスのこと?」
舞夜の顔が一気に赤くなる。
「そ、そういうふうに直接言わないでください……」
「ごめん」
「私……」
舞夜は少し俯いた。
「ただ、言いたかったんです」
「……何を?」
「その……」
舞夜が小さな声で続ける。
「嬉しかったです」
俺は黙った。
そして、正直に答えた。
「……俺も」
舞夜が顔を上げる。
視線が重なる。
ほんの数秒。
けれど、今までより少しだけ長かった。
「……それなら、よかったです」
舞夜が恥ずかしそうに笑った。
「また明日」
「うん。また明日」
舞夜がホームへ向かって歩き始める。
数歩進んだところで、振り返った。
「それから……」
「ん?」
「明日は、私の家に来るお客さんですからね」
「分かってるよ」
「忘れないでくださいね」
「絶対に忘れない」
「……よかった」
ちょうどその時、電車がホームに入ってきた。
舞夜が乗り込む。
扉が閉まる直前、舞夜は控えめに手を上げた。
俺も手を上げ返す。
やがて電車が動き出し、その姿が見えなくなった。
俺はスマートフォンを取り出す。
すると、すぐにメッセージが届いていた。
舞夜からだった。
『明日、遅れないでくださいね』
俺は思わず笑った。
『分かってるよ』
送信すると、すぐにもう一通届いた。
『それと……来てくれるって言ってくれて、ありがとうございます』
俺は少し考えてから返信する。
『俺を招待してくれて、ありがとう』
スマートフォンをポケットにしまう。
今度は俺の番だった。
舞夜が俺の家族に会った。
そして明日、俺は舞夜の家族に会う。
まだ、何も知らなかった。
八神家が、俺をどんなふうに迎えるつもりなのか。
ただ一つだけ分かっていた。
明日はきっと――。
これまでとは、少し違う一日になる。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
次回は、いよいよ大樹が八神家を訪れます。
舞夜の家族は、どんな反応をするのでしょうか。
次回もお楽しみに!




