家族の中の居場所
あの会話のあと、午後の時間は驚くほど自然に流れていった。
舞夜も、もう最初のように緊張した様子を見せていなかった。
いつの間にか、まるでずっと前から知っていたかのように、母さんや妙子と会話をしている。
「舞夜ちゃん、これ食べてみる?」
母さんが小さな皿をテーブルに置いた。
「はい。ありがとうございます」
舞夜は一口食べる。
その瞬間、目が輝いた。
「……美味しいです」
「よかった」
「大樹くんも、いつもこれを食べているんですか?」
「食べられる時はね」
妙子が答える。
「ただ、大樹はいつも『みんな食べすぎだ』って文句を言うけど」
「それは違うだろ!」
俺は席から反論した。
「本当だよ」
「違うって」
「本当」
「だから違うって!」
舞夜が吹き出す。
「ふふっ……なるほど」
「何が?」
「大樹くんがどうしてそんな感じなのか、少し分かった気がします」
「そんな感じって?」
「小さなことで言い合いになるところです」
妙子と母さんが顔を見合わせた。
「確かに」
「ほら、やっぱり舞夜ちゃんもそう思うんだ」
「二人とも、俺の味方をしてくれよ……」
俺がぼやくと、三人が笑い始めた。
最初にあった緊張感は、もう完全になくなっていた。
しばらくすると、母さんが立ち上がってカップを片付け始める。
すると舞夜もすぐに立ち上がった。
「私も手伝います」
「いいのよ。座ってて」
「いえ、手伝いたいです」
そう言って、舞夜は母さんと一緒にキッチンへ向かった。
今度は、俺も心配しなかった。
もう舞夜は、この家に自然に馴染んでいるように見えたからだ。
俺はリビングに残り、妙子と二人きりになった。
「……二人、すごく仲良くなったな」
俺が言うと、妙子が笑った。
「うん。すごくね」
「よかったよ」
「大樹、嬉しそうだね」
「え?」
「舞夜ちゃんが来てから、ずっと」
俺は少し考える。
「そりゃ嬉しいだろ」
「俺の友達なんだから」
妙子が片眉を上げた。
「……ただの友達?」
俺は黙った。
「妙子、そういうのやめろよ」
「何も言ってないけど?」
「今、絶対何か考えただろ」
「さあ?」
妙子は楽しそうに笑う。
俺は小さくため息をついた。
「……まだ、どういう関係なのかは分からないんだ」
妙子はからかうのをやめた。
「でも、一緒にいたいとは思ってるんでしょ?」
「……うん」
「だったら、急がなくていいんじゃない?」
俺は妙子を見る。
その言葉は、少し前に舞夜から言われたものと同じだった。
「それ……舞夜にも言われたよ」
「じゃあ、二人とも同じことを考えてるんだね」
俺は自然と笑った。
「……そうみたいだな」
それから数分後。
キッチンから舞夜が戻ってきた。
「何のお話をしていたんですか?」
「何でもない」
俺はすぐに答えた。
舞夜が目を細める。
「……それ、怪しいですね」
「今なら、その気持ちが分かるだろ?」
俺がそう言うと、舞夜は声を出して笑った。
「ふふっ……そうですね」
そのまま午後の時間はゆっくりと過ぎていった。
やがて舞夜が時計を見る。
「……そろそろ帰らないと」
母さんが少し驚いた顔をする。
「もう帰るの?」
「はい。あまり遅くなるといけないので」
「またいつでも来ていいからね」
母さんがそう言うと、舞夜は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
そして、少し照れながら笑う。
「今日は、本当に楽しかったです」
「こっちもよ。来てくれて嬉しかったわ」
妙子も手を上げる。
「次は『また今度』なんて言って断るのは禁止だからね」
「ふふっ……分かりました」
舞夜は笑った。
「では、また来ます」
その言葉には、迷いがなかった。
俺は少し驚いた。
もう、最初に来た時のような緊張した客ではない。
本当に、もう一度ここへ来たいと思ってくれている。
そんなふうに見えた。
俺は舞夜を玄関まで見送った。
舞夜は靴を履き、コートを手に取る。
「今日は招待してくれて、ありがとうございました」
「こっちこそ、来てくれてありがとう」
「少し緊張していたんです」
「そうだったのか?」
「はい。変な空気になったらどうしようって……」
舞夜は少し恥ずかしそうに笑う。
「でも、今は?」
俺が尋ねると、舞夜は俺を見る。
そして、穏やかに笑った。
「……また来てもいいんだって思えます」
「もちろん」
「家族も喜ぶと思う」
「……そうだと嬉しいです」
俺たちは玄関の扉を開けた。
冷たい午後の空気が、二人の間を通り抜ける。
「駅まで送るよ」
「はい。お願いします」
俺たちは並んで歩き始めた。
しばらくの間、どちらも何も話さなかった。
ただ、隣を歩いている。
それだけで、不思議と心地よかった。
「大樹くん」
「ん?」
「大樹くんの家族って……本当に優しいですね」
「そう思ってくれたならよかった」
「それに……」
舞夜が少しだけ言葉を止める。
「もっと、みなさんのことを知りたいです」
俺は驚いて舞夜を見る。
「本当に?」
「はい」
舞夜は前を向いたまま、静かに続ける。
「今日、大樹くんがどんなところで育ったのか、少し分かった気がします」
そして、柔らかく笑った。
「それに……まだ知らなかった大樹くんの一面を、知ることができた気がします」
俺は、すぐには何も言えなかった。
ただ、自然と笑みがこぼれた。
俺たちはそのまま歩き続けた。
やがて、遠くに駅が見えてくる。
いつもの帰り道。
いつもの駅。
それなのに――。
この日の別れは、これまでとは少し違うものになろうとしていた。
舞夜が電車に乗る前に。
俺には、まだ一つだけやりたいことがあった。
今日の午後ずっと、やってみようか、それともやめておこうかと迷い続けていたこと。
そして今。
その瞬間が、少しずつ近づいていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
舞夜にとって、南家は少しずつ特別な場所になってきました。
そして大樹には、まだ一つやりたいことがあるようです。
次回もお楽しみに!




