勝手に人生を決める女
もし昨日、
「お前の人生は明日から一変するぞ」
なんて言われていたら。
きっと俺は笑っていただろう。
「恋愛ドラマの見すぎじゃないか?」
……そう返して終わりだ。
だって、
俺みたいな人間の毎日に、
そんな劇的な出来事が起きるわけがない。
俺の名前は、
南 大輝。
高校二年生。
成績は平均。
運動も平均。
人気は……
まあ、
平均より少し下かもしれない。
特別な才能なんてない。
壮絶な過去もない。
誰かに語れるような悲劇もない。
どこにでもいる、
ごく普通の高校生だ。
……いや。
普通すぎる高校生、と言った方が正しい。
「おーい、大輝。」
聞き慣れた声が飛んできた。
もちろん、
俺には普通じゃない親友がいる。
「いつまで魂抜けたみたいな顔してんだ?」
ゆっくり顔を上げる。
井上松。
いつも騒がしくて、
いつも笑っていて、
頼んでもいないのに人の面倒へ首を突っ込んでくる男だ。
寝癖なのかセットなのか分からない茶色の髪。
いつ見ても能天気そうな笑顔。
たぶん、
こいつだけ別のラブコメ世界から来てる。
「ちゃんと生きてるよ。」
俺は肩をすくめる。
「ただ、少しだけ現実的なペースで。」
「それ、めちゃくちゃ寂しくない?」
「寂しいんだよ。」
いつも通りの朝だった。
教室は生徒たちの話し声で賑わい、
笑い声があちこちから聞こえる。
誰もが、
いつも通りの学校生活を送っていた。
物語なら、
何かが起こる前の、
ありふれた日常。
そして、
俺の日常はいつだって、
「何も起きない」ことで完成している。
「なあ。」
松が俺の机に肘をついた。
「今日、誰が来てるか見た?」
「見てない。」
「マジで?」
「マジ。」
「一回も?」
「一回も。」
松は大げさにため息をつく。
「お前って、本当にすごいよな。」
「ありがとう。」
「褒めてねぇ。」
そう言いながら、
教室の入口へ顎を向ける。
「八神舞夜。」
……
ああ。
もちろん知っている。
知らない方がおかしい。
八神舞夜。
学年でも、
いや、
学校中でも有名な女の子だ。
成績は常にトップクラス。
運動神経も抜群。
容姿だって、
誰も文句をつけようがない。
まさに、
完璧。
完璧すぎて、
逆に近寄りがたいくらいに。
誰とでも話すタイプじゃない。
だからといって、
人付き合いが悪いわけでもない。
ただ、
誰もが自然と一歩引いてしまう。
まるで、
同じ教室にいても、
住む世界が違うような。
そんな存在だった。
「……今、お前の後ろにいるぞ。」
松がニヤリと笑う。
「振り向かない。」
「なんで?」
「理由がない。」
「見られてるかもしれないぞ?」
「ないない。」
「なんで分かる?」
「俺を見る理由がないから。」
少しの沈黙。
「……歩いて来た。」
「来てない。」
「来てる。」
「来てない。」
「大輝。」
「なんだ。」
「目の前。」
……
ため息をつく。
ゆっくり振り返る。
そして、
思考が止まった。
そこに立っていたのは、
八神舞夜だった。
俺の机の前。
……
……え?
頭が理解を拒否する。
いや、
拒否したくなる。
こんなの、
どう考えてもおかしい。
「南くん。」
舞夜は迷いなく俺の名前を呼んだ。
まるで、
ずっと前から知っていたみたいに。
「……はい。」
反射的に返事をしてしまう。
隣では松まで黙っていた。
こいつが静かになるなんて、
かなり珍しい。
舞夜は小さく頭を下げる。
「少し、お話があります。」
……
「嫌です。」
即答だった。
教室が静まり返る。
……いや、
少なくとも俺たち三人だけは。
隣から、
「ぶっ……!」
と笑いを堪える声が聞こえた。
舞夜は一度だけ瞬きをする。
「……え?」
「今、忙しいので。」
「何もしていませんよね?」
「考え事をしています。」
「そうは見えません。」
「頭の中の作業なので。」
……
何なんだ、
この会話。
どうして学校一の美少女と、
こんな漫才みたいなやり取りをしているんだ。
「どうして学校一の美少女と、
こんな漫才みたいなやり取りをしているんだ……。」
頭の中が完全に追いついていなかった。
どうして八神舞夜が、
俺なんかに話しかけている?
どうして俺の名前を知っている?
昨日の出来事だけでも十分意味が分からなかったのに、
今日は学校で普通に話しかけてくるなんて。
理解できるはずがない。
舞夜は相変わらず落ち着いた表情のまま、
静かに口を開く。
「そんなに時間は取りません。」
「みんなそう言うんだよ。」
思わずため息が漏れる。
「『少しだけ』って言って、一時間くらい付き合わされるやつ。」
「数分で終わります。」
「それもよく聞く。」
隣で松が交互に俺たちを見比べる。
そして、
楽しそうに口元を緩めた。
「俺、ちょっと離れてるわ。」
「……え?」
「いやぁ、これは邪魔しちゃ悪いだろ。」
「待て。」
すぐに引き止める。
「どこ行く気だ。」
「空気読んでるだけ。」
「読まなくていい。」
「もう遅い。」
そう言って、
松はニヤニヤ笑いながら教室の後ろへ行ってしまった。
……裏切り者。
小さくため息をついて、
もう一度舞夜を見る。
彼女はまだそこに立っていた。
急かすこともなく、
怒ることもなく、
ただ静かに俺を待っている。
そんな態度が、
かえって落ち着かない。
「……それで。」
観念したように口を開く。
「何の用?」
舞夜はすぐには答えなかった。
一度だけ教室の中を見渡し、
再び俺へ視線を戻す。
そして、
静かに言った。
「放課後。」
嫌な予感しかしない。
「二年B組の教室で。」
「行かない。」
即答だった。
「待っています。」
「行かない。」
「来てください。」
「だから行かない。」
しばらく沈黙が続く。
やがて舞夜は、
小さく息をついて言った。
「これはお願いではありません。」
……
その言葉に、
胸が小さくざわつく。
昨日も、
まったく同じようなことを言われた。
『お願いじゃない。』
『決定よ。』
嫌でも思い出してしまう。
俺は額に手を当てた。
「八神。」
疲れた声が漏れる。
「これ、昨日の続きなのか?」
舞夜は一瞬だけ黙り、
まっすぐ俺を見つめた。
「大切な話です。」
その一言だけだった。
だけど、
昨日とは少し違う。
命令するような口調じゃない。
もっと真剣で、
どこか切羽詰まった響きがあった。
その表情を見ていると、
簡単に断ってはいけない気がしてしまう。
理由なんて分からない。
それでも、
胸の奥で何かが引っかかっていた。
「……五分。」
ようやく口を開く。
「五分だけだから。」
舞夜は静かに頷いた。
「ありがとうございます。」
それだけ言い残し、
彼女は自分の席へ戻っていった。
舞夜が席へ戻ると、
教室は何事もなかったかのように、
再びいつもの賑やかさを取り戻した。
笑い声。
他愛のない会話。
誰もが普段通りの朝を過ごしている。
だけど、
俺の中だけは違った。
昨日から続く違和感が、
少しずつ現実になろうとしている。
「……おい。」
後ろから声が飛んでくる。
振り向く間もなく、
松が勢いよく俺の机に身を乗り出した。
「今の何だ!?」
教室中に聞こえそうな勢いだった。
「知らない。」
「いやいやいや!」
両手を大きく振る。
「知らないじゃ済まないだろ!」
「本人が一番知りたい。」
「八神だぞ!?」
「そうだな。」
「お前に話しかけたんだぞ!?」
「そうみたいだ。」
「しかも放課後に呼び出された!」
「五分だけ。」
「五分でも呼び出しは呼び出しだ!」
松は信じられないものを見るような目で俺を見る。
「お前さ……。」
「何。」
「いつの間に八神と知り合った?」
「知り合ってない。」
「絶対嘘だ。」
「嘘じゃない。」
昨日まで、
まともに話したことすらなかった。
それは本当だ。
「じゃあ何なんだよ?」
「俺が聞きたい。」
心の底からそう思う。
理由が分からない。
昨日の放課後も。
今日の朝も。
全部、
意味が分からない。
松は腕を組みながら唸る。
「うーん……。」
何かを考えているらしい。
嫌な予感しかしない。
そして、
予感は外れなかった。
「もしかしてさ。」
にやりと笑う。
「告白じゃね?」
「違う。」
即答だった。
「いや、でも――」
「違う。」
「まだ分からなく――」
「違う。」
松は肩をすくめる。
「夢がないなぁ。」
「現実を見てるだけ。」
「青春ってもっと可能性を信じるもんだろ。」
「その青春が俺を避けて通ってるんだよ。」
「寂しいこと言うなって。」
そう言って笑う松を見て、
小さくため息をつく。
……だけど。
本当は、
俺も少しだけ考えてしまっていた。
どうして俺なんだ。
学校中に男子なんて山ほどいる。
その中で、
どうしてわざわざ俺なんだ。
考えれば考えるほど、
答えは見つからない。
そして、
一つだけ、
どうしても頭から離れない言葉があった。
『あなたは、私に恋をしなさい。』
昨日、
誰もいない教室で、
舞夜が俺に告げた言葉。
あれは夢なんかじゃない。
現実だ。
だからこそ、
今日また俺を呼び出した理由も、
きっとあの言葉と関係している。
放課後。
二年B組。
そこで俺は、
昨日の続きを聞くことになる。
……そう思っていた。
少なくとも、
その時の俺は。
あの五分が、
俺の日常を完全に壊すことになるなんて、
まだ知る由もなかった。
第二話を読んでいただき、ありがとうございました。
少しずつ物語が動き始めました。
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それでは、次回もよろしくお願いいたします!




