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放課後の教室

今日、一番最悪だったことは、文化祭の代表に選ばれたことじゃない。


その相方が誰なのかを知ってしまったことだ。


……いや、嘘だ。


最初から分かっていた。


だからこそ、余計に最悪だった。


「お前のせいだ」


放課後の教室でそう言うと、向かいの席に座る八神舞夜は、何事もないような顔でこちらを見た。


「違います」


「いや、絶対そうだろ」


「違います」


「そうだ」


「違います」


「そうだ」


しばらく睨み合ったあと、舞夜は小さく息をついた。


「……少しだけです」


「かなりだよ」


思わず頭を抱える。


放課後の教室には、もうほとんど人が残っていなかった。


帰宅した生徒たちのざわめきも、今では遠くから聞こえるだけだ。


残っているのは、文化祭実行委員の何人かと――。


俺たち二人。


またしても、俺と八神舞夜だけだった。


「それじゃあ、始めるぞ」


先生はそう言って、机の上に一冊のファイルを置いた。


「お前たちはクラス代表として、文化祭の準備を進めてもらう」


「嫌です」


「却下だ」


「まだ何も言ってません」


「どうせ断るつもりだっただろ」


「……否定はしません」


先生は満足そうにうなずいた。


いや、なぜ満足そうなんだ。


「今から説明するから、ちゃんと聞けよ」


そうして始まった説明は、思っていた以上に長かった。


予算。


スケジュール。


飾りつけ。


校則。


注意事項。


次々と飛び出してくる単語を聞きながら、俺の脳はゆっくりと停止していった。


正直、半分以上はもう覚えていない。


いや、半分どころか九割くらい消えている気がする。


そんな中、ある言葉だけが耳に飛び込んできた。


「なお、最終的な企画書は一週間後までに提出してもらう」


思わず顔を上げる。


「一週間後?」


「そうだ」


先生は当然のように答えた。


「クラス全員の意見をまとめて、代表のお前たちが提出するんだ」


……待て。


それってつまり。


「俺たち、しばらく一緒に作業するってことですか?」


「当たり前だろ」


先生は不思議そうな顔をした。


俺は机に突っ伏した。


終わった。


完全に終わった。


これから一週間。


俺は八神舞夜と、毎日一緒に文化祭の準備をしなければならないらしい。


それは間違いなく――。


今週最大の問題だった。

先生の説明が終わると同時に、教室の空気が一気に静かになった。


そして――。


先生は、驚くほどの速さで姿を消した。


「じゃあ、あとは頼んだぞ」


その言葉だけを残して、さっさと職員室へ戻っていく。


残されたのは、俺と舞夜だけだった。


沈黙。


長い。


とても長い。


そして、気まずい。


「……さて」


俺が口を開く。


舞夜は小さくうなずいた。


「そうですね」


再び沈黙。


なんなんだ、この空間は。


さっきまで散々言い合っていたのに、いざ二人きりになると何を話せばいいのか分からなくなる。


「とりあえず、出し物を決めないとな」


「はい」


「何か案はあるのか?」


舞夜は机の上のファイルを開いた。


そして、何事もないように答える。


「コンセプトカフェはどうでしょう」


「予算オーバーだろ」


「お化け屋敷」


「準備が大変すぎる」


「文化展示」


「絶対につまらない」


舞夜は顔色一つ変えない。


「南くんは、なかなか難しいですね」


「自覚はある」


「少しは反省してください」


「無理だな」


「そうですか」


会話が終わった。


いや、終わらせた。


そもそも、俺たちはこういう真面目な話をする関係じゃない。


……たぶん。


「じゃあ、南くんは何か案があるんですか?」


突然、舞夜がそう聞いてきた。


「いや、特には」


「何も考えていなかったんですか?」


「考えてたぞ」


「例えば?」


「……まだ秘密だ」


「何も考えていませんね」


「なんで分かった」


「顔を見れば分かります」


ひどい。


完全に見抜かれている。


俺がため息をつくと、舞夜は小さく笑った。


本当に小さく。


でも、確かに笑っていた。


その瞬間、ふと思った。


こうして放課後の教室で、どうでもいい話をしながら一緒に何かを決める。


そんな時間を、俺は意外と嫌いじゃないのかもしれない、と。

「――見つけた!」


勢いよく教室の扉が開いた。


嫌な予感しかしない。


いや、予感じゃない。


確信だった。


「……げっ」


思わず声が漏れる。


扉の前に立っていたのは、もちろん田中結衣だった。


しかも、一人じゃない。


後ろには、浅見と水子の姿まである。


「なんでお前は毎回現れるんだよ」


俺が呆れながら言うと、結衣は胸を張った。


「宇宙が私を愛してるから」


「宇宙はお前に罰を与えてるんだよ」


「それも否定できない」


否定しろよ。


結衣は当然のように近くの椅子を引っ張ってきて、俺たちの向かいに座った。


まるで最初から会議のメンバーだったかのような態度だ。


「で、何してるの?」


「仕事」


「つまんない」


「じゃあ帰れ」


「嫌」


「帰れ」


「嫌」


「帰れ」


「嫌」


しばらく睨み合ったあと、結衣は肩をすくめた。


「……少しだけ帰りたいかも」


「今すぐ帰れ」


「やっぱり嫌」


「知ってた」


隣では、浅見が苦笑していた。


「二人とも、相変わらずだね」


「相変わらずなのは結衣だけだろ」


「ひどっ!」


その横で、水子は呆れたようにため息をついた。


「というか、本当に文化祭の企画を考えてるの?」


「一応な」


「今のところ、何も決まってないけど」


俺がそう言うと、結衣は楽しそうに笑った。


「じゃあ、私たちが手伝ってあげようか?」


「いらない」


「即答!?」


「むしろ、お前がいると話が進まない」


「失礼だなあ」


「事実だろ」


「否定できないね」


浅見が笑いながらそう言った。


結衣は不満そうに頬を膨らませる。


そんな騒がしいやり取りを横目に、舞夜は静かに資料へ視線を落としていた。


……と思っていた。


気づけば、彼女は小さく口元を緩めていた。


ほんの少しだけ。


誰にも気づかれないくらい、本当に少しだけ。


だけど、俺はその表情を見逃さなかった。


そして、その時――。


教室の外の廊下に、何人かの男子生徒が立っていることに気づいた。

結衣たちと騒いでいる最中、不意に違和感を覚えた。


廊下のほうから、誰かの視線を感じたのだ。


何気なく顔を上げる。


すると、教室の外には数人の男子生徒が集まっていた。


ひそひそと何かを話しながら、こちらを見ている。


いや――。


正確には、見ているのは俺じゃない。


八神舞夜だった。


まあ、別に珍しいことじゃない。


舞夜は学校でも有名人だ。


頭が良くて、容姿も整っていて、しかも近寄りがたい雰囲気まである。


男子たちが気になるのも当然だった。


しかし、その中の一人が意を決したように前へ出た。


そして、教室の扉をゆっくりと開ける。


「や、八神さん」


教室が静まり返った。


さっきまで騒いでいた結衣でさえ、面白そうな顔をしながら黙っている。


舞夜は顔を上げ、男子生徒のほうを見た。


「何でしょうか?」


いつも通りの落ち着いた声。


だが、男子のほうは明らかに緊張していた。


「あ、あのさ……」


言葉を探すように視線を泳がせる。


耳まで真っ赤になっていた。


「明日の放課後、みんなで遊びに行くんだけど、その……八神さんも来ないかなって」


――なるほど。


そういうことか。


教室の空気が、一瞬で変わった。


結衣は口元を押さえながら肩を震わせている。


浅見は不安そうな顔をしていて、水子は静かに目を閉じていた。


まるで、この後の展開をすべて知っているかのように。


そして俺は――。


なぜか、妙に気になっていた。


別に理由なんてない。


ただのクラスメイトが、別のクラスメイトを誘っているだけだ。


それだけの話だ。


なのに、どうしてか目をそらせなかった。


舞夜は男子生徒をじっと見つめる。


数秒。


長い沈黙。


そして――。


「すみません。明日は予定がありますので」


返事は、驚くほど早かった。


迷いなんて、まったく感じられない。


「あ……そ、そっか」


男子生徒の肩が、目に見えて落ちる。


「ごめんなさい」


「い、いや! 気にしないで!」


そう言い残し、男子は慌てて教室を飛び出していった。


廊下の友人たちに慰められながら、遠ざかっていく背中。


結衣が小さくため息をつく。


「うわぁ、完全敗北だね」


誰も否定しなかった。

「ずいぶん冷たいね」


男子生徒が去っていくのを見送りながら、結衣がそう言った。


舞夜は何事もなかったかのように資料へ視線を戻す。


「必要なことでしたので」


「いや、必要以上だった気がするけど」


「そんなことはありません」


「あるよ」


「ありません」


「ある」


「ありません」


「ある」


しばらく沈黙が続く。


そして、舞夜は小さくため息をついた。


「……少しだけかもしれません」


「ほら、やっぱり」


結衣は満足そうにうなずいた。


だが、俺が気になっていたのは別のことだった。


八神舞夜が誘いを断ること自体は、珍しくない。


むしろ、いつものことだ。


学校でも有名な話だった。


だから、断ったことに驚きはない。


問題は――。


返事が早すぎたことだ。


まるで、最初から答えが決まっていたみたいに。


まるで、放課後の予定を誰よりも優先しているみたいに。


そんなことを考えていると、結衣がにやにやしながら舞夜の顔を覗き込んだ。


「もしかして、明日も予定があるの?」


「あります」


「へえー。例えば?」


舞夜は一瞬だけ黙り込み、ちらりと俺のほうを見た。


本当に、一瞬だけ。


「文化祭の準備です」


「……あー」


結衣はわざとらしく大きくうなずいた。


「なるほどねぇ」


「何ですか、その反応は」


「別に?」


絶対に別にじゃない。


浅見は苦笑し、水子は呆れたようにため息をつく。


俺はというと、なぜか落ち着かなかった。


理由は分からない。


分かりたくもない。


ただ、さっきの返事が妙に頭から離れなかった。


そして、その理由を考え始めている自分自身が、一番厄介だった。

それからしばらくして――。


結衣たちも、ようやく帰っていった。


奇跡だった。


本当に奇跡だ。


あいつが自分から帰るなんて、明日は雪でも降るんじゃないかと思ったくらいだ。


再び静けさを取り戻した教室には、俺と舞夜だけが残っていた。


また二人きりだ。


最近、多すぎる気がする。


窓の外を見ると、太陽はもう傾き始めていた。


夕焼けの光が教室をオレンジ色に染めている。


昼間の騒がしさが嘘みたいに、静かな時間だった。


誰も話さない。


不思議と、その沈黙は嫌じゃなかった。


むしろ、心地よかった。


そんな空気を破ったのは、舞夜だった。


「……気になりましたか?」


突然の質問に、思わず顔を上げる。


「何が?」


舞夜は少しだけ視線を落とした。


「さっきの誘いです」


一瞬、言葉に詰まる。


そんなことを聞かれるとは思っていなかった。


「別に。なんで俺が気にするんだよ」


できるだけ平静を装って答える。


すると、舞夜は小さくうなずいた。


「そうですか」


それだけ言って、窓の外へ視線を向けた。


けれど、その横顔はどこか寂しそうにも見えた。


「……なんでそんなこと聞くんだ?」


気づけば、俺はそう尋ねていた。


舞夜は少し黙り込む。


夕日の光が、彼女の横顔を優しく照らしていた。


そして、数秒後――。


「分かりません」


静かな声だった。


「ただ、知りたかったんです」


その言葉に、なぜか胸の奥がざわついた。


まるで、本当に答えを知りたがっているような。


そんなふうに聞こえたからだ。


やがて時計の針が、会議の終わりを告げる。


俺たちは資料を片づけ、教室を後にした。


廊下を並んで歩く。


いつもなら口論の一つくらい始まりそうなのに、その日は違った。


言い争いもない。


からかい合いもない。


ただ、静かに歩いていた。


校門を出る頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。


そして、その時、ふと思った。


今まで俺は、八神舞夜を「面倒事」だと思っていた。


けれど、今日だけは違った。


隣を歩いているのは、ただの問題なんかじゃない。


ごく普通の、一人の女の子だった。


――そして、それは噂なんかよりも、ずっと危険なことだった。

第十九話『放課後の教室』を読んでいただき、ありがとうございました。


文化祭の準備が始まり、大樹と舞夜は放課後を一緒に過ごす時間が増えていきます。


そんな中、舞夜の何気ない言葉や行動に、大樹は少しずつ戸惑い始めていました。


夕焼けの教室で交わされた、たった一つの質問。


その意味を、二人はまだ知りません。


少しずつ変わっていく二人の関係は、これからどこへ向かうのでしょうか。


それでは、また第二十話でお会いしましょう。

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