二人で残した一枚
俺たちはガイドさんの後を追い、樹齢を重ねた木々の間をゆっくりと上っていく石畳の道を歩いていた。
道の両側には、紅葉や桜の木が並んでいる。
まだ桜が咲く季節でもなければ、紅葉が鮮やかに色づく季節でもない。
それでも、その景色には言葉では言い表せない美しさがあった。
穏やかな風が吹くたびに、木々の葉がかすかに音を立てる。
さっきまで聞こえていた生徒たちの会話も、少しずつ小さくなっていった。
まるで俺たち全員が、いつの間にか声を抑えているようだった。
やがて、石畳の道が終わる。
その先に広がっていたのは、大きな木造の展望台だった。
ガイドさんが俺たちのほうを振り返り、笑顔を見せる。
「東山でも有名な展望スポットへようこそ」
「足元に気をつけて、ゆっくり近づいてください」
俺たちは一人ずつ、展望台の端へと歩いていった。
そして――
目の前に、京都の街が広がった。
「うわ……」
何人もの声が、ほとんど同時に漏れる。
高い場所から見渡す京都は、想像していた以上に広かった。
昔ながらの瓦屋根と、現代的な建物が共存している。
遠くにはいくつもの寺院が見え、その周囲を山々が大きな緑の腕のように包み込んでいた。
風が静かに吹き抜けていく。
何もかもが、不思議なくらい穏やかだった。
「すごい……」
舞夜が小さな声で呟く。
その視線は、景色から離れない。
「うん……」
俺も同じように街を眺めた。
「言葉が出てこないな」
そんな俺たちの様子を見ながら、ガイドさんが説明を始めた。
「京都は、千年以上にわたって日本の都だった場所です」
「多くの通りや寺院、神社が今も大切に保存され、長い歴史を後世へ伝えています」
ガイドさんは話しながら、街のいくつかの場所を指差していく。
京都御所の場所。
歴史的に重要な寺院。
そして、これから数日間の旅行で訪れる予定になっている歴史地区。
俺は説明を聞きながら、真剣に耳を傾けていた。
まさか、ただ遠くから街を眺めるだけで、これほど長い歴史を感じられるとは思っていなかった。
周囲から、次々とカメラのシャッター音が聞こえてくる。
誰もが、この瞬間を写真に残そうとしていた。
俺も父から借りたカメラを、もう一度取り出す。
京都の街並みを何枚か撮影する。
そして――
ゆっくりとレンズの向きを変えた。
舞夜は、まだ京都の街を眺めていた。
風が彼女の髪を優しく揺らしている。
その表情は穏やかで、目の前の景色を心から楽しんでいるようだった。
俺は思わず笑った。
今度は焦らず、ゆっくりとカメラを構える。
「舞夜」
彼女がこちらを振り向いた。
「はい?」
「写真、撮ってもいい?」
舞夜は少しだけ目を見開いた。
それから、柔らかく微笑む。
「はい」
舞夜は自然な動作で木製の手すりのそばに立った。
無理にポーズを取るわけでもない。
ただ、いつものように微笑んでいる。
俺はシャッターを押した。
カシャッ。
画面を確認する。
思っていた以上に、綺麗に撮れていた。
背景には京都の街並み。
そして、その景色全体に命を与えるように、舞夜の笑顔が写っている。
「どうですか?」
俺は画面を見せた。
舞夜は数秒間、写真を眺める。
そして、小さく笑った。
「……すごく好きです」
「よかった」
「帰ったら……」
舞夜が少しだけ遠慮がちに続ける。
「この写真、送ってもらえますか?」
「もちろん」
「やった!」
突然、背後から結衣の声が聞こえた。
「これで証拠ができた!」
俺はため息をつく。
「出てくると思ったよ」
「こんな大事な場面、見逃せないでしょ」
結衣はカメラを覗き込みながら、写真をじっくり確認する。
そして親指を立てた。
「うん、すごくいい写真!」
「でも……」
結衣は一瞬だけ黙る。
「何か足りない」
「何が?」
俺が聞こうとした、その瞬間。
結衣は手を上げた。
「先生ー!」
先生が驚いたように振り返る。
「どうした、田中?」
「クラスのみんなで写真を撮ってもらえませんか?」
先生は笑顔で頷いた。
「もちろん」
「それはいい思い出になりそうだな」
数分後。
俺たちは全員、展望台の前に集まっていた。
ガイドさんがカメラを持ってくれることになり、何列かに分かれて並ぶ。
背の高い生徒は後ろ。
それ以外の生徒は前へ。
「それじゃあ、笑って!」
カシャッ。
最初の集合写真は、笑い声に包まれながら撮影された。
ところが、結衣はすぐに手を上げた。
「もう一枚!」
「もう一枚?」
先生が聞き返す。
「はい!」
「今度は、もっと自然な感じで!」
何人かの生徒が面白いポーズを取る。
別の生徒たちは親指を立てたり、ふざけた表情を作ったりした。
二枚目の写真は、最初の写真以上に賑やかなものになった。
撮影が終わると、生徒たちは再びそれぞれの場所へ散っていく。
その中で、結衣が俺と舞夜のところまで歩いてきた。
そして、俺たちを数秒見つめる。
それから――
いつもの、あの笑顔を浮かべた。
「あと一枚、足りないね」
「何の写真だよ?」
俺は嫌な予感を覚えながら尋ねた。
「決まってるじゃん」
「二人の写真」
「え?」
「「え?」」
俺と舞夜の声が、また同時に重なった。
結衣が楽しそうに笑う。
「いい思い出になると思うよ?」
「別に、撮らなくても……」
「必要ないだろ」
俺たちは、また同時に答えた。
結衣はさらに笑い出す。
「ほら!」
「また同じこと言ってる!」
「それ、ちょっと心配になるレベルだよ」
舞夜は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。
俺はただ、ため息をつく。
すると、さっきから一部始終を見ていた松が大笑いした。
「いいじゃん、大樹」
「写真くらい、減るもんじゃないだろ」
「お前まで言うなよ……」
「俺はただ、何年か経ったら、その写真を撮っておいてよかったって思うんじゃないかって言ってるだけ」
俺は舞夜を見る。
彼女はまだ恥ずかしそうに顔を隠していた。
けれど、数秒後――
ゆっくりと両手を下ろした。
そして俺を見る。
少し照れたような笑顔。
「も、もし……南くんが嫌じゃなければ……」
「一枚くらい、一緒に撮ってもいいですよ」
胸が、小さく跳ねた。
俺も笑う。
「もちろん」
「俺も撮りたい」
その瞬間、結衣が両手を高く上げた。
「やったー!」
まるで大会で優勝したかのような喜び方だった。
「絶対、二人とも撮ると思ってた!」
結衣は嬉しそうに俺からカメラを受け取る。
「じゃあ、二人とももう少し近づいて!」
「これくらい?」
俺が聞く。
「もうちょっと!」
舞夜が、小さく一歩近づいた。
肩が、ほとんど触れ合う。
お互いに緊張しているのが、なんとなく分かった。
「完璧!」
結衣がカメラを構える。
「そのまま動かないでね」
結衣は満面の笑みを浮かべた。
「三……」
「二……」
「一……」
カシャッ。
シャッター音が、静かな展望台に響いた。
その瞬間の俺たちは、まだ知らなかった。
京都旅行の初日に何気なく撮った、たった一枚の写真が――
この旅で残る、かけがえのない思い出の一つになることを。
第174話を読んでいただき、ありがとうございます!
京都の美しい景色を前に、大樹と舞夜は二人だけの一枚を残しました。
何気なく撮ったこの写真が、二人にとってどんな意味を持つことになるのでしょうか。
次回も楽しんでいただけたら嬉しいです!
これからも応援よろしくお願いします!




