旅立ちの前夜
気がつけば――。
出発まで、あと一日しかなかった。
修学旅行の準備ができるように、その日の学校はいつもより早く終わった。
先生たちは、いつもの注意事項を何度も繰り返していた。
「グループから勝手に離れないこと」
「時間はきちんと守ること」
「必要のないものを買わないこと」
「それから、できるだけ早く寝るように」
最後の言葉を聞いた瞬間、教室のあちこちから笑い声が聞こえた。
誰もが分かっていた。
今日、早く眠る生徒なんて、ほとんどいないだろう。
放課後のチャイムが鳴ると、教室は言葉にできないほどの熱気に包まれた。
すでにスーツケースを持ってきている生徒もいる。
リュックサックの大きさを比べている者もいる。
そして――予想通り。
由衣は、また何かを企んでいた。
「大樹! 舞耶!」
俺たちは彼女の方へ近づいた。
「どうした?」
由衣は小さな布袋を取り出した。
「修学旅行のお菓子交換!」
俺は首をかしげた。
「お菓子交換?」
「そう! みんなそれぞれ、移動中に分け合うお菓子を持ってくるの」
少し間を置いてから、由衣は胸を張った。
「伝統よ!」
「……いつから?」
「えっと……」
由衣は一瞬だけ視線を逸らした。
「今、作った伝統だけど」
「なるほど。それで色々納得した」
舞耶がくすりと笑う。
「でも、悪くないアイデアだと思うわ」
「ほら!」
由衣は誇らしげに指を一本立てた。
「楽しさ委員会の委員長は、絶対に間違えないの!」
「そんな委員会、いつできたんだよ」
「十秒前」
思わず笑ってしまった。
その後、俺たちはそれぞれ別れて家へ向かった。
大通りを歩いていると、空は少しずつオレンジ色に染まり始めていた。
夕方の風が心地いい。
俺は、今年度が始まってから起こった様々な出来事を思い出していた。
素晴らしい人たちと出会った。
今まで想像もしなかったような出来事を経験した。
そして、いつの間にか――。
俺はこの旅行を、ずっと楽しみにしていた。
こんな気持ちになるのは、いつ以来だろう。
◇◇◇
家に帰ると、母さんがすでに玄関の近くにスーツケースを置いていた。
「スマホの充電器、ちゃんと入れた?」
「入れたよ」
「歯ブラシは?」
「それも」
「薬は?」
「必要ないって」
母さんは腕を組んだ。
「一応、確認しなさい」
俺はため息をついた。
「はいはい、母さん……」
結局、三回目の確認を終えてから、俺は自分の部屋へ戻った。
時計を見ると、もう夜の十時だった。
本を読もうとした。
……集中できなかった。
パソコンの電源を入れた。
五分後には消していた。
天井を眺めた。
……それでも眠れそうになかった。
無理だ。
楽しみすぎて、全然落ち着かない。
そんな時。
スマホが通知音を鳴らした。
舞耶からだった。
『まだ起きてる?』
思わず笑う。
『うん』
返事はすぐに届いた。
『私も眠れない』
『俺だけじゃなかったんだな』
『きっと、みんな同じだと思う』
その後、俺たちはしばらくメッセージを送り合った。
明日、どんな服を着るか。
どんなお土産を買いたいか。
どこを訪れてみたいか。
特別な話をしていたわけじゃない。
ただの、何気ない会話だった。
それなのに――。
なぜか、この時間が終わってほしくなかった。
しばらくすると、舞耶から最後のメッセージが届いた。
『おやすみ、大樹』
『明日は、きっと素敵な一日になるね』
俺はゆっくりと返信を打った。
『ああ』
『おやすみ、舞耶』
『おやすみなさい』
スマホをベッドサイドの机に置いた。
そして、ランプを消す。
目を閉じながら、一つのことを考えた。
明日から始まるこの旅は――。
きっと、一生忘れられないものになる。
まだ、この時の俺は知らなかった。
忘れられない思い出は、訪れた場所だけで生まれるわけじゃない。
誰と一緒に。
どんな時間を過ごしたのか。
そのすべてが――。
旅の一番大切な思い出になるのだということを。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
いよいよ明日から、大樹たちの修学旅行が始まります。
どんな場所を訪れ、どんな出来事が待っているのでしょうか。
そして、その旅の中で生まれる新しい思い出とは――。
次回もぜひお楽しみに!
また次の章でお会いしましょう!




