約束
その後の数日間は、いつもより早く過ぎていった。
……いや。
俺がそう感じていただけなのかもしれない。
毎朝、教室に入るたびに、誰かが修学旅行の話をしていた。
「もうお菓子買ったよ」
「京都のお菓子って、すごく美味しいらしいよ」
「私はお土産でスーツケースをいっぱいにするつもり!」
どこへ行っても、その話題から逃げることはできなかった。
ついには先生たちまで、話題を変えようとすることを諦めたらしい。
修学旅行は、正式に今学期最大の楽しみになっていた。
昼休み。
文芸部でも、結局話題は修学旅行になった。
井上由衣が観光雑誌を両手に抱えて部室へ入ってくる。
「見て、これ!」
そう言って、彼女は雑誌を机の上に広げた。
「恋愛成就のお守りを売ってる神社があるんだって!」
八神舞耶が、わずかに頬を赤くした。
「ど、どうしてわざわざそのページを開くの……?」
「面白そうだから」
「それだけには見えないけど……」
由衣は楽しそうに笑った。
「しかもね、同じ日に二人で同じお守りを買うと――」
俺は思わず額に手を当てた。
「頼むから、始めるな」
「……二人の関係がもっと深まるんだって」
「どう考えても、お守りをたくさん売るための宣伝だろ」
「大樹って、本当に想像力がないわね!」
舞耶は湯呑みの後ろに、小さな笑顔を隠していた。
「でも……その場所、一度行ってみるのもいいかもしれないわね」
俺は一瞬、彼女を見つめた。
「そうだな……俺もそう思う」
数秒間。
俺たちの視線が重なった。
その空気を壊したのは――。
「……あーあ!」
由衣だった。
俺と舞耶は同時に視線を逸らした。
「な、何もなかったからな!」
俺は慌てて言った。
「そうね、何もなかったわ」
由衣は両手の上に顎を乗せる。
「まだ修学旅行も始まってないのに、新婚さんみたいなんだから」
「なっ!?」
「由衣!」
俺たち二人の抗議を聞いて、由衣は声を上げて笑い始めた。
「本当に、二人をからかうのって面白い!」
舞耶は呆れたようにため息をついた。
「いつか飽きる日が来ると思うわ」
「絶対に来ない」
その後、雑誌を片付けると、俺たちはしばらく静かに過ごした。
でも、不思議と気まずくはなかった。
それぞれが本を読んだり。
何かを書いたり。
ただ同じ場所で、それぞれの時間を過ごしていた。
そんな時だった。
舞耶がゆっくりとノートを閉じた。
「大樹」
「ん?」
「ありがとう」
俺は思わず瞬きをした。
「急にどうしたんだ?」
舞耶はすぐには答えなかった。
窓の外を見つめてから、静かに口を開く。
「数か月前の私だったら……修学旅行を楽しみにするなんて、想像もできなかったと思う」
俺は彼女が過ごしてきた時間を思い出した。
青龍学園。
黒沢蓮。
水島葵。
そして。
今でも彼女の心に残っている傷のことを。
「でも、今は違う」
舞耶は笑った。
「今は、楽しみにできる」
そして。
少しだけ、優しい声で続けた。
「たぶん……もう一人じゃないって思えるから」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が大きく揺れた。
何か気の利いた言葉を返そうとした。
けれど。
そんな言葉は、何も思いつかなかった。
だから俺は、ただ素直に答えた。
「もう二度と、一人にはさせない」
舞耶は少しだけ目を見開いた。
そして。
とても温かい笑顔を浮かべながら、静かに頷いた。
その瞬間だけは。
周りの世界なんて、どうでもよくなった。
――キーンコーン。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「さて……休み時間も終わりね」
由衣が大きく伸びをしながら立ち上がった。
「先生に怒られる前に戻りましょう」
俺たちは部室を出た。
けれど。
歩きながらも、俺の頭の中には、さっき自分が口にした言葉が残っていた。
――もう二度と、一人にはさせない。
もしかしたら。
あの時は、深く考えずに口にしただけだったのかもしれない。
それでも――。
心の奥では。
俺は本当に、その約束を守りたいと思っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
少しずつ変わっていく日常の中で、大樹と舞耶の距離もまた、ゆっくりと近づいていきます。
そして、もうすぐ始まる修学旅行――
二人を待っているのは、どんな思い出なのでしょうか。
次回もぜひお楽しみに!
また次の章でお会いしましょう!




