新たな思い出の始まり
大きな問題を解決した後、人生は元通りになる――。
そんなことを言う人がいる。
……嘘だ。
人生は、決して以前とまったく同じには戻らない。
聖龍学園から帰ってきて、二週間あまりが過ぎていた。
授業はいつも通り続いている。
先生たちは相変わらず、理解不能なほど複雑な公式で黒板を埋め尽くしていた。
テストは、こちらが油断した頃に突然現れる。
そして結衣は相変わらず、どんな穏やかな時間であっても新しい方法で邪魔をしてくる。
一見すると――
何も変わっていないように見えた。
けれど、俺には分かっていた。
何かが変わったのだと。
たぶん、真耶が以前よりずっと多く笑うようになったからだ。
あるいは、誰かが聖龍学園の名前を口にしても、もう俯かなくなったからかもしれない。
文芸部も、以前とは違っていた。
あの居心地の悪い沈黙は、もう消えていた。
今では、この部室が再び生きているように感じられる。
「大輝」
真耶の声が、俺の考えを中断させた。
読んでいるふりをしていた本から顔を上げる。
「どうした?」
彼女は、一枚の原稿に書かれた言葉を指差した。
「どっちのほうがいいと思う?」
「『哀愁』か『郷愁』」
俺は近づき、文章に目を通した。
「場合によるな」
「場合?」
「読者に何かを思い出させたいのか……それとも、もう一度その時間を生きたいと思わせたいのか」
真耶は数秒間、原稿を見つめていた。
そして微笑んだ。
「……後者にしようかな」
「なら、『郷愁』だな」
「うん」
彼女は迷いなく、その言葉を書き込んだ。
整った、美しい文字だった。
思わず笑みがこぼれる。
数か月前まで、心の中に抱えた痛みを隠しながら、まともに会話を続けることさえ難しそうだった彼女が――
今はまた、物語を書いている。
そしてなぜか。
そんな真耶の姿を見ていると、俺まで嬉しくなった。
「また見てるの?」
俺は驚いて顔を上げた。
結衣が、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべながら俺の机に身を乗り出していた。
「な、何のことだよ」
「別に?」
「ただ、大輝が五分間も真耶のこと見つめたまま、一ページも本をめくってないなって思っただけ」
慌てて本を見る。
確かに。
開いたページは、さっきから一度も変わっていなかった。
「そんなわけないだろ」
「あるある」
真耶が顔を上げた。
「何の話?」
「大輝がね――」
結衣が言い終える前に、俺は慌てて彼女の口を手で塞いだ。
「何でもない!」
結衣は俺の手を振りほどこうとしながら、大声で笑った。
真耶はそんな俺たちを数秒間見つめていた。
そして、小さく笑った。
自然な笑顔。
思わずこぼれたような笑い声。
たったそれだけのことなのに。
一つの笑い声が、部屋全体の空気を変えてしまうのだから不思議だった。
その時、文芸部の扉が開いた。
「ごめんなさい。少し失礼するわね」
入ってきたのは、文芸部の顧問の先生だった。
両腕には、何枚もの書類を抱えている。
「みんな、教室に戻ってちょうだい。二年生に向けて、校長先生から大切なお知らせがあるの」
俺たちは顔を見合わせた。
何の予告もなく、学年全体が集められることは珍しい。
五分後。
教室には、二年生の生徒たちが集まっていた。
ざわめきは、次第に大きくなっていく。
「またテストじゃない?」
「いや、時間割が変わるんじゃないか?」
「新しい先生が来るって聞いたぞ」
さまざまな憶測が飛び交う。
そして――
校長先生がマイクを手にした。
全員の視線が自分に向いたことを確認してから、ゆっくりと微笑んだ。
「二年生の皆さん」
教室が静かになる。
「来月、皆さんには本校伝統の――」
一度、言葉を区切る。
「修学旅行に行ってもらいます」
数秒間。
教室は静まり返った。
そして次の瞬間――
「「「うおおおおおおおおおっ!!」」」
教室中が歓声に包まれた。
何人かは勢いよくハイタッチをしている。
誰とバスで隣の席に座るのか、すでに話し始めている生徒もいた。
先生たちでさえ、再び教室を落ち着かせるのに苦労していた。
俺は真耶のほうを向いた。
すると――
彼女もこちらを見ていた。
一瞬だけ、目が合う。
そして、ほとんど同時に。
俺たちは笑った。
その時の俺たちは、まだ知らなかった。
この旅行が――
俺たちの高校生活の中で。
もっとも大切な思い出の一つを。
俺たちに与えてくれることになるなんて。
第156話を読んでいただき、ありがとうございました!
一つの過去に区切りをつけた大輝たちの前に、今度は新しい思い出が待っています。
修学旅行で、彼らはどんな時間を過ごすのでしょうか。
次回もぜひお楽しみに!
また次のお話でお会いしましょう。




