新しい物語のページ
聖龍学園から戻ってきてから、二週間が過ぎていた。
夏は、少しずつ終わりを迎えようとしていた。
俺たちの学校の廊下には、再び生徒たちの話し声や笑い声、そして授業に遅れないよう慌てて走る足音が戻っていた。
どこにでもある、いつもの一日。
そう思えた。
けれど――
俺たちにとっては、もう何もかもが以前と同じではなかった。
文芸部にも、ようやく穏やかな時間が戻ってきていた。
結衣は小説をめくっていた。
もっとも、いつものことながら、本を読むよりも窓の外を眺めている時間のほうが長そうだった。
「今、何ページ読んだ?」
「五ページ」
「三十分経ってるぞ」
「表紙の芸術性をじっくり鑑賞してたの」
思わず笑いながら首を振る。
変わらない人間もいる。
そして、そういうことも悪くないのかもしれない。
真耶は窓際の席に座っていた。
そよ風が彼女の髪を優しく揺らす中、真新しいノートに何かを書いていた。
緑色のノートではない。
葵の原稿でもない。
まったく別の物語。
真耶自身が書いている物語だった。
俺は静かに近づいた。
「何を書いてるんだ?」
真耶は慌てたようにノートを閉じた。
「まだ秘密」
「じゃあ、きっと大事なことなんだな」
彼女は微笑んだ。
「うん。
すごく大事なこと」
俺がさらに聞こうとした、その時だった。
コンコン。
文芸部の扉がノックされた。
入ってきたのは、学校の郵便を届ける職員だった。
「文芸部か?」
「はい」
そう答えると、丁寧に封をされた一通の封筒を差し出された。
差出人の名前は書かれていなかった。
ただ、表には美しい文字でこう記されていた。
『文芸部の皆さんへ』
俺たちは顔を見合わせた。
好奇心を抑えきれないまま、俺は封筒を開いた。
中には、一枚の便箋が入っていた。
俺は声に出して読み始めた。
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「ありがとう」
「真実を信じ続けた人たちに、その真実を取り戻してくれて」
「蓮は、すべての出来事を知りました」
「彼は、皆さんにこう伝えてほしいと言いました」
「もう誰のことも恨んではいない、と」
「そして、いつかまた会うことがあるなら――」
「今度は、これから書いていく物語について話したい、と」
「きっと葵も、同じ気持ちだと思います」
「感謝を込めて」
星野美月
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しばらくの間、誰も何も言わなかった。
真耶はその手紙をそっと両手で持っていた。
そして――
微笑んだ。
悲しみのない笑顔だった。
罪悪感もない。
ただ、そこには穏やかな安らぎだけがあった。
真耶は手紙を、文芸部の原稿を保管している棚の中へそっとしまった。
「ここなら、きっと大丈夫」
俺は頷いた。
その手紙があるべき場所は、きっとここだった。
その時、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
結衣は勢いよく本を閉じた。
「行こう! また遅れたら、先生に教室の掃除をさせられるわよ!」
「三十分で五ページしか読まなかったからだろ」
「深い読書だったの!」
真耶が笑った。
その笑い声につられて、俺たちも思わず笑ってしまう。
そんな何気ない笑い声が、以前よりもずっと大切なものに思えた。
文芸部を出る時、俺は一瞬だけ立ち止まった。
美月の手紙が眠る棚を見つめる。
聖龍学園の古い校舎。
温室。
歴史資料室。
流した涙。
そして――
ようやく辿り着いた真実。
いろいろな記憶が、頭の中を静かに過ぎ去っていった。
そして俺は理解した。
すべての物語が、いつまでも開かれたままでいる必要はない。
終わるべき物語もある。
そうして初めて、人は前へ進むことを学べるのかもしれない。
俺は部室の電気を消し、扉を閉めた。
カチリ、と。
ドアノブの音が静かな廊下に響いた。
それはまるで――
一つの章が終わったことを告げる音のようだった。
そして同時に。
もっと明るい、新しい章の始まりを告げる音でもあった。
なぜなら――
俺たちの物語で、本当に大切なページは。
まだ、何も書かれていなかったのだから。
第155話を読んでいただき、本当にありがとうございました。
一つの物語が終わり、新しい物語が始まります。
過去を乗り越えた彼らのこれからには、どんな日々が待っているのでしょうか。
これからも、彼らの物語を見守っていただけたら嬉しいです。
また次のお話でお会いしましょう。




