『三年間、待ち続けた人
声が途絶えた。
再び、古びた建物の中を静寂が支配する。
数秒間、誰も動かなかった。
校長は階段を見つめながら、懐中電灯をしっかりと握りしめていた。
「そこにいるのは誰だ?」
低く、強い声で問いかける。
しかし、すぐには返事がなかった。
割れた窓から吹き込む風の音だけが、かすかに聞こえていた。
そして――。
一人の人物が、ゆっくりと木製の階段を降り始めた。
その人物は隠れようとはしていなかった。
一歩。
また一歩。
足音が、誰もいない建物の中に響き渡る。
やがて、私たちの懐中電灯の光が、その人物の顔を照らした。
二十五歳ほどの女性だった。
彼女は星龍学園の制服を身に着けていた。
長い年月が経っているためか、制服にはわずかな古さが感じられた。
それでも、驚くほど丁寧に手入れされていた。
長い黒髪が肩まで流れ、その瞳には深い疲れが宿っていた。
けれど同時に――。
どこか不思議なほどの穏やかさも感じられた。
真夜が驚いたように目を見開いた。
「あなたは……?」
女性は懐かしそうに微笑んだ。
「久しぶりね、真夜」
「まだ私のことを覚えていてくれるなんて……思ってもいなかった」
真夜は一歩、前へ出た。
そして、もう一歩。
女性のすぐ目の前まで歩いていく。
しばらくの間、真夜は彼女の顔を見つめていた。
まるで、記憶の奥に埋もれていた何かを探しているように。
そして――。
突然、真夜の表情が変わった。
「……瑞希……!」
女性はゆっくりとうなずいた。
「ええ」
「星野瑞希よ」
「図書室の補助スタッフとして働いていて、文学部が展示会やコンクールを開くときには、よく手伝っていたの」
坂本先生が口元に手を当てた。
「そうだった……!」
「今、思い出したわ……」
瑞希は少し寂しそうに微笑んだ。
「葵さんとは、よく一緒に展示用の原稿を整理していました」
「彼女はいつも言っていたんです」
「私だけが、みんなが会議のあとに残していく散らかったものを片づけられるって」
その言葉を聞いて、由衣が安心したように息を吐いた。
「一瞬、本当に私たちを追いかけていた人なのかと思いました」
瑞希は優しく首を横に振った。
「いいえ」
「あなたたちを追いかけていたわけじゃない」
少しだけ間を置いて、彼女は続けた。
「ただ……あなたたちが、正しい順番で手がかりを見つけられるようにしていただけ」
私はゆっくりと、ポケットから羽の形をしたペンダントを取り出した。
「これも見つけた」
瑞希はそれを見つめ、数秒間、黙っていた。
「それも見つけたのね」
「あなたのものだったのか?」と私は尋ねた。
彼女はうなずいた。
「ええ」
「あれは、私が温室にわざと置いたの」
由衣が目を丸くする。
「わざと?」
「ええ」
「あなたたちが、本当に正しい道を進んでいるのか確認するためには、それしか方法がなかった」
校長が眉をひそめた。
「では……あの手紙も、あなたが書いたのですか?」
瑞希は静かに答えた。
「はい」
「すべて、私が書きました」
その言葉に、空気が変わった。
真夜は驚いたように彼女を見つめている。
瑞希は続けた。
「三年前に、すべて準備したの」
「あなたたちがいつ戻ってくるのかは分からなかった……」
「それでも」
彼女は真夜をまっすぐに見つめた。
「真夜なら、いつか必ず星龍学園に戻ってくると信じていた」
真夜は、しばらく何も言わなかった。
そして、静かに尋ねた。
「……どうして、三年間も待ったの?」
瑞希の瞳が、わずかに揺れた。
「私一人では……真実を証明できなかったから」
彼女はゆっくりと視線を落とした。
「何度も、誰かに話そうとした」
「何度も、証拠を集めようとした」
「でも……そのたびに」
彼女の声が小さくなる。
「証拠は消えた」
「書類は書き換えられた」
「そして、この事件を知っている人たちは……みんな忘れようとした」
ゆっくりと、瑞希は頭を下げた。
「私は……臆病だったの」
「もっと戦うべきだった」
「もっと早く、真実を明らかにするべきだった」
「でも……できなかった」
真夜はすぐに首を横に振った。
「違う」
その声には、迷いがなかった。
瑞希が顔を上げる。
真夜は、まっすぐに彼女を見つめた。
「もし本当に全部を諦めていたなら……」
「三年間も待っていなかった」
瑞希の表情が、少しだけ変わった。
そして――。
初めて、本当に心から笑った。
「……そうね」
「あなたの言う通りかもしれない」
そう言うと、瑞希は深く息を吸った。
そして、古い北棟の暗い廊下へと視線を向けた。
その先には、一枚の古びた鉄製の扉があった。
太い錆びついた鎖によって、固く閉ざされている。
瑞希は、その扉を指さした。
「あの扉の向こうに……」
「昔の文学部の資料保管庫がある」
私の心臓が大きく脈打った。
「そこに、証拠があるのか?」
瑞希はゆっくりとうなずいた。
「ええ」
「あそこには、誰も見つけられなかった証拠が隠されている」
彼女は一度、言葉を止めた。
そして、静かに付け加えた。
「……いえ」
「誰も見つけられなかったんじゃない」
その瞳から、穏やかさが消える。
「誰も……見つけようとしなかった証拠よ」
背筋に、冷たいものが走った。
私たちは、数え切れないほどの小さな手がかりを追って、ここまで来た。
日記。
失われたページ。
隠された鍵。
改ざんされた記録。
そして、何者かが残した数々のメッセージ。
今、ようやく――。
誰かが私たちを、最後の秘密へと直接導こうとしていた。
瑞希は鉄の扉へ一歩近づいた。
しかし、その直前で足を止める。
振り返った彼女の表情は、先ほどまでとは違っていた。
真剣だった。
「でも……その前に」
誰も言葉を挟まなかった。
瑞希はゆっくりと、私たち全員を見渡した。
そして、低い声で言った。
「あなたたちには、知っておかなければならないことがある」
冷たい風が、壊れた窓から建物の中へ吹き込んだ。
「もし、この扉の向こうにあるものを知ったら……」
彼女は一度、目を閉じた。
「一人の人生が……永遠に変わることになる」
真夜が、わずかに息をのむ。
私は思わず尋ねた。
「それは……本当の犯人のことか?」
瑞希はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
そして――。
「変わるのは、犯人の人生だけじゃない」
その言葉が、静まり返った北棟の中に響いた。
私たちはまだ知らなかった。
あの扉の向こうに隠されていた真実が――。
三年前に壊れてしまった四人の関係だけではなく。
私たち自身の未来まで、大きく変えることになることを。
第百四十六話を読んでいただき、ありがとうございました。
三年間待ち続けていた人物との再会。
そして、ついに目の前に現れた最後の扉。
その向こうに隠された真実とは――。
次回も、ぜひ読んでください。




