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認めたくない気持ち

午前中の授業は、いつもより早く終わった気がした。


いや、正確には、そう感じただけかもしれない。


授業に集中できていなかったからか。


まだ舞夜のことを考えていたからか。


あるいは――。


もう、あいつが隣にいることに慣れ始めているからか。


「……いや」


俺はすぐにその考えを振り払った。


「慣れてるわけないだろ」


「何に?」

昼休み


今回は、いつもの場所ではなかった。


校庭の隅にある一本の木の下。


騒がしい生徒たちの声から少し離れた、静かな場所だった。


人通りも少ない。


いつもより落ち着いて昼食を食べられそうだった。


そして何より――。


結衣がいない。


「……平和だな」


「そうですね」


舞夜も静かにうなずく。


俺たちは向かい合って座り、それぞれ弁当を開いた。


風が木の葉を揺らし、夏の匂いを運んでくる。


こうしていると、本当に普通の昼休みみたいだった。


まあ、隣にいるのが八神舞夜じゃなければ、だけど。


そんなことを考えていた、その時だった。


「見つけたー!」


「……最悪だ」


聞き覚えのありすぎる声が、静かな空間を一瞬でぶち壊した。


顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべた結衣が立っていた。


その後ろには、呆れた顔の水子と、少し申し訳なさそうな麻美の姿もある。


「おはよう、二人とも!」


「昼休みなんだから、おはようじゃないだろ」


「細かいことは気にしない!」


「いや、気にするだろ」


俺がため息をつくと、水子が肩をすくめた。


「ごめんね。結衣がどうしても行くって聞かなかったの」


「だって、気になるじゃん」


「何がだよ」


「恋愛小説の続き」


「誰が恋愛小説だ」


「今のところ、かなり面白い展開だけど?」


「面白くない」


「まだ始まったばかりだしね」


「何が?」


「秘密」


絶対に秘密じゃない。


というか、こいつらは本当に俺たちを何だと思っているんだ。


「お前ら、もしかして俺たちを尾行してきたのか?」


試しに聞いてみる。


すると、結衣は迷うことなく笑顔で答えた。


「うん!」


「即答するな」


「本当のことだから」


「だからって堂々と言うな」


「でも、隠す必要ないでしょ?」


「あるんだよ!」


俺が叫ぶと、麻美が小さく苦笑した。


「わ、私も止めたんだけど……」


「止められなかったのか」


「ごめんなさい……」


「いや、麻美は悪くない」


悪いのは百パーセント結衣だ。


すると、結衣は俺の隣に座りながら、にやりと笑った。


「さて、それじゃあ観察を始めますか」


「始めるな」


「えー」


「えー、じゃない」


どうやら、今日の昼休みも静かには終わりそうになかった。


隣の席から、松が不思議そうな顔で聞いてきた。


「別に」


「その返事は、絶対に何かあるやつじゃん」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない」


「気のせいだ」


「違う」


「そうだ」


「違う」


「そうだ」


「……お前、本当に面倒くさいな」


「それはこっちのセリフだ」


松は楽しそうに笑った。


「大樹」


「なんだよ」


「最近、絶対に変わったよな」


「変わってない」


「いや、変わった」


「変わってない」


「変わった」


「……うるさい」


「否定が雑になってるぞ」


「疲れてるんだよ」


「へえ」


嫌な笑みを浮かべる松。


間違いなく、ろくでもないことを考えている顔だった。


「疲れる原因、八神さんだったりする?」


「違う」


「即答」


「当たり前だろ」


「でも、一秒も迷わなかったのは逆に怪しい」


「知らない」


「はい、怪しい」


「黙れ」


「断る」


本当に面倒くさい。


心の底からそう思う。


……でも、松の言葉を完全には否定できない自分がいるのも事実だった。


最近、舞夜のことを考える時間が増えている。


気づけば、あいつの言葉を思い出している。


意味の分からない行動に振り回されている。


なのに――。


なぜか、嫌ではなかった。


「……いや、違う」


「また独り言?」


「うるさい」


そんなやり取りをしているうちに、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。


その瞬間、俺は悟った。


今日も、いつもの流れになるのだと。


そして案の定――。


「南大樹」


聞き慣れた声が聞こえた。


俺はため息をつきながら顔を上げる。


「……分かってる」


「それなら結構です」


舞夜は、まるで最初から決まっていたことのように、俺の机の横に立っていた。


最近では、昼休みになるたびにこうだ。


待ち合わせなんてしていない。


約束した覚えもない。


それなのに、気づけば一緒に昼を食べるのが当たり前になっている。


正直、かなり危険な状況だと思う。


いろいろな意味で。


「これ、もう完全に習慣になってないか?」


そう呟くと、舞夜は少しだけ首を傾げた。


「今さら気づいたんですか?」


「気づきたくなかったんだよ」


「残念でしたね」


「全然嬉しくない」


「私は少し嬉しいです」


「聞いてない」


そう返すと、舞夜は小さく笑った。


……本当に、まずい。


思っていた以上に、この状況に慣れ始めている自分がいた。

危険な観察


全員が昼食を食べ始めた。


……いや、正確には、食べようとしていた。


結衣が、さっきからずっと俺を観察していたからだ。


「……何だよ」


「別に?」


「絶対別にじゃないだろ」


「調査中なの」


「その言い方、普通に怖いんだけど」


「たぶん違法だね」


「自覚あるのかよ」


「あるよ」


「最悪だ」


助けを求めるように水子を見る。


「水子、何とかしてくれ」


「もう諦めた」


「麻美」


「わ、私も無理……」


「裏切り者しかいないのか、このグループは」


すると、結衣が満足そうにうなずいた。


「よし、それじゃあ質問タイム!」


「嫌な予感しかしない」


「安心して。簡単な質問だから」


「お前がそう言う時は絶対に簡単じゃない」


「細かいことは気にしない」


「気にする」


結衣はニヤニヤしながら、俺のほうへ身を乗り出した。


「大樹」


「何だよ」


「八神さんのこと、心配してる?」


……は?


一瞬、意味が分からなかった。


「何だよ、その質問」


「そのままの意味だけど?」


「意味が分からない」


「じゃあ、答えて」


「答える必要ないだろ」


「あるよ」


「ない」


「ある」


「ない」


「ある」


「……」


本当にしつこい。


俺は深いため息をついた。


「別に、特に心配なんてしてない」


そう答えた瞬間だった。


「嘘ですね」


静かにそう言ったのは、舞夜だった。


「……は?」


思わずそちらを見る。


舞夜は平然とした顔のまま、弁当をつついていた。


「今朝、私のことを心配していたじゃないですか」


「は?」


「『何かあったのか?』って聞いてくれましたよね」


「ちょっと待て」


俺は思わず立ち上がりそうになった。


「何で言うんだよ!」


「聞かれたので」


「それは理由になってない!」


「私の中では十分な理由です」


「十分じゃない!」


結衣の顔を見る。


……最悪だった。


完全に面白がっている顔だ。


水子も呆れながら笑っているし、麻美は困ったように視線を泳がせている。


「へえ〜」


「その反応やめろ」


「いや、だって面白いし」


「面白くない」


「かなり面白い」


「面白くない」


「面白い」


「……」


結衣は箸を置きながら、楽しそうに笑った。


「意外だなあ」


「何が」


「大樹って、もっと冷たいタイプだと思ってた」


「冷たいだろ」


「全然」


「いや、冷たい」


「少なくとも、八神さんにはそうじゃないよね」


「違う」


「違わない」


「違う」


「違わない」


「……」


なぜ俺は、毎日こんな会話をしているんだろう。


その答えは、まだ自分でも分からなかった。

何かがおかしい


そんな騒がしいやり取りが続く中、ふと気になることがあった。


舞夜が、ほとんど食べていなかった。


一口。


そして、もう一口。


それだけだった。


「……それだけか?」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


舞夜は小さく瞬きをする。


「何がですか?」


「全然食べてないだろ」


「食べていますよ」


「それは食べてるうちに入らない」


「入ります」


「入らない」


「入ります」


「入らない」


「入ります」


「……」


結局、先に折れたのは舞夜だった。


「……少しだけです」


「少しだけじゃないだろ」


その瞬間、結衣と水子が同時にこちらを見た。


「わあ」


「何だよ」


「大樹が八神さんを叱ってる」


「叱ってない」


「いや、かなり叱ってるよ」


「叱ってないって」


「少なくとも、心配はしてるね」


「してない」


「してる」


「してない」


「してる」


「……」


もう誰も俺の話を聞いていなかった。


仕方なく、もう一度舞夜のほうを見る。


「朝飯は?」


その質問に、舞夜は一瞬だけ黙り込んだ。


その沈黙だけで、十分だった。


「食べてないのか」


「……お腹が空いていなかったので」


「嘘だろ」


「嘘じゃありません」


「嘘だ」


「違います」


「嘘だ」


「違います」


「……」


数秒後、舞夜は小さくため息をついた。


「……少しだけ、嘘です」


「やっぱりな」


なぜだか分からない。


でも、その言葉を聞いた瞬間、少し腹が立った。


別に俺には関係ないはずなのに。


舞夜が朝ご飯を食べようが、食べまいが、本来なら俺には関係ない。


それなのに――。


妙に気になった。


いや、違う。


気になるというより、心配だった。


そして何より、それが初めてのことではないような気がした。


まるで舞夜にとって、朝食を抜くことが当たり前みたいだったからだ。


その時、優しい風が木々を揺らした。


葉の隙間から差し込む光が、舞夜の横顔を照らしている。


気づけば、誰も話していなかった。


いつもなら気まずくなるはずの沈黙。


なのに、不思議と嫌じゃなかった。


舞夜は静かに空を見上げていた。


何かを考えているような、何も考えていないような、不思議な表情だった。


そして、俺は初めて気づいた。


八神舞夜は、こういう顔もするんだと。


誰かをからかう時の笑顔でもない。


何かを隠している時の表情でもない。


ただ、肩の力を抜いて、静かに空を見上げる、一人の普通の女の子の顔だった。


……そっちのほうが、ずっと自然だった。


「……何ですか?」


不意に声をかけられ、俺は慌てて視線をそらした。


「いや、別に」


「今、私を見ていましたよね?」


「見てない」


「見ていました」


「見てない」


「見ていました」


「……」


まずい。


完全に見られていた。


「……少しだけ」


観念してそう言うと、舞夜は小さく笑った。


「やっぱり」


……くそ。


最近、本当に調子が狂う。

結衣の一言


「さて、と」


突然、結衣がニヤリと笑った。


嫌な予感しかしない笑顔だった。


いや、むしろ嫌な予感しかしない時しか、こいつはこんな顔をしない。


「……何だよ」


「うーん。やっと分かったかも」


「何が」


「君たち二人の問題」


嫌な予感がさらに強くなった。


「問題?」


「そう」


結衣は楽しそうに箸を振りながら言った。


「二人とも、分かってないんだよ」


「何を」


「一番分かりやすいことを」


「意味が分からない」


「そりゃそうでしょ。分かってたら、こんな面白いことになってないし」


「全然面白くないんだけど」


「私は面白いよ」


「聞いてない」


隣では、水子が呆れたようにため息をついた。


「結衣、その辺にしておきなさい」


「えー、まだ何も言ってないよ?」


「その顔で言われても説得力がない」


「ひどいなあ」


そう言いながらも、結衣はまったく反省していなかった。


むしろ、今からが本番と言わんばかりの顔をしている。


嫌な予感しかしない。


「大樹」


「……何だよ」


結衣は、真っすぐ俺を指差した。


そして、あっさりと言った。


「大樹ってさ、もう自分で思ってる以上に、八神さんのこと気にしてるよね」


――その瞬間。


時間が止まった気がした。


「……は?」


かろうじて、それだけを返す。


結衣は平然としていた。


水子は額を押さえ、麻美は困ったように目を逸らしている。


そして舞夜は――。


何も言わなかった。


ただ、静かに俺を見ていた。


「何言ってるんだ、お前」


「そのままの意味だけど?」


「違う」


「違わない」


「違う」


「違わない」


「だから違うって――」


そこまで言いかけて、言葉が止まった。


止まってしまった。


いつもなら、すぐに否定できたはずだった。


いつもなら、「あり得ない」の一言で終わっていたはずだった。


なのに、その瞬間だけは違った。


本当に違うのか?


そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。


ほんの一瞬。


それだけだった。


それだけだったはずなのに――。


妙に胸がざわついた。


「……撤回しろ」


ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。


すると結衣は、楽しそうに笑った。


「嫌です」


「何でだよ」


「図星だから」


「違う」


「そういうところだよ」


意味が分からない。


本当に分からない。


でも、一番怖かったのは、結衣の言葉じゃなかった。


ほんの一瞬、俺が何も言い返せなかったこと。


そして、それこそが、今の俺が一番認めたくないことだった。


◇第十三話『認めたくない気持ち』・完◇

第十三話『認めたくない気持ち』を読んでいただき、ありがとうございました。


昼休みの何気ない会話の中で、大樹は少しずつ自分の気持ちと向き合い始めています。


舞夜を気にしているのか、それともただ放っておけないだけなのか。


その答えは、まだ大樹自身にも分かっていません。


しかし、二人の距離が少しずつ変わっていることだけは確かです。


それでは、また第十四話でお会いしましょう。

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