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恐怖の正体

翌日――。


青龍学園では、すでに事件の噂が広まっていた。


文学部から原稿が盗まれたという話は、もう秘密ではなかった。


普段なら、テストや部活動、文化祭の話で賑わっている廊下。


しかし、その日は誰もが同じ話題を口にしていた。


「聞いた?」


「文学部の部長が活動停止になったらしいよ」


「鍵を持っていたのは、あの人だけだったんだろ?」


「じゃあ……やっぱり、あの人がやったんじゃない?」


噂は、人から人へと広がっていく。


そして――。


誰かの口から語られるたびに、少しずつ形を変えていった。


最初はただの疑いだった。


それが、いつの間にか事実のように語られるようになっていた。


舞夜は葵と並んで廊下を歩いていた。


二人とも、周囲から聞こえてくる会話に何も言わなかった。


「……分からない」


葵が小さく呟く。


「昨日まで、こんなこと誰も言ってなかったのに……」


舞夜は強く拳を握った。


「誰かが噂を広め始めたのよ」


「そして今は、みんながそれを本当のことみたいに信じてる」


葵はうつむいた。


蓮の名前に、「泥棒」や「裏切り者」という言葉が結びつけられていく。


それを聞くたびに、胸が痛くなった。


やがて二人は、文学部の部室へたどり着いた。


扉を開ける。


そこには、窓際に座っている蓮がいた。


しかし、彼は何も書いていなかった。


ただ、校庭を静かに見つめている。


「蓮先輩……」


蓮はゆっくりと振り返った。


二人を見ると、いつものように穏やかな笑顔を浮かべる。


「おはよう」


葵も笑おうとした。


けれど――。


うまく笑えなかった。


「……大丈夫?」


蓮は数秒間、黙っていた。


そして、静かに答える。


「今までで一番辛い日々……ってほどじゃないけど」


「まあ、良い日ではないな」


その正直な言葉に、部室の空気がさらに重くなった。


その時――。


扉が再び開いた。


匠が鞄を肩に掛けたまま入ってくる。


蓮を見る。


そして、舞夜と葵を見る。


「おはよう」


三人も挨拶を返した。


匠は椅子に鞄を置くと、何気ない口調で話し始めた。


「さっき図書室を通ってきたんだけど」


「戸棚の近くに、足跡が残っていたって話を聞いたよ」


蓮が顔を上げる。


「足跡?」


匠はうなずいた。


「そう言ってる人がいた」


「まあ、本当かどうかは分からないけどね」


そこへ、坂本先生が部室へ入ってきた。


話を聞いた先生は、少し険しい表情を浮かべる。


「噂を真に受けないで」


「学園側は、まだ決定的な証拠を何も見つけていないわ」


匠は軽く頭を下げた。


「すみません、先生」


「ただ聞いた話を伝えただけです」


その口調には、何の悪意もないように聞こえた。


しかし――。


舞夜は、なぜか妙な違和感を覚えていた。


匠の言葉は、誰かを直接責めているわけではない。


それなのに。


彼が何かを話すたびに――。


蓮への疑いが、ほんの少しずつ強くなっているように感じた。


その日の活動が終わった後。


葵は廊下で蓮を呼び止めた。


「蓮先輩」


「少し……話してもいいですか?」


蓮は静かにうなずいた。


二人は、校舎の内側にある庭園を見渡せるバルコニーへ向かった。


風が静かに木々を揺らしている。


しばらくの間、二人とも何も話さなかった。


やがて――。


葵が口を開く。


「……ごめんなさい」


蓮は不思議そうに葵を見る。


「どうして謝るんだ?」


「だって……」


葵は手を握りしめる。


「もし、あの人の顔をもっとちゃんと見ていたら……」


「こんなことには、ならなかったかもしれないから」


蓮は静かに首を横に振った。


「違う」


「葵のせいじゃない」


「でも……」


「聞いてくれ」


蓮は穏やかな声で葵の言葉を遮った。


「葵は、自分にできることを全部やった」


「だから、自分のものじゃない責任まで背負うな」


葵はうつむいた。


その言葉に、ほんの少しだけ心が軽くなる。


けれど――。


胸の奥に芽生え始めた罪悪感まで消えることはなかった。


――現在。


舞夜は長いため息をついた。


「蓮は……いつも誰かを守っていた」


「自分自身が助けを必要としている時でさえ……」


大樹は何も言わなかった。


話を聞けば聞くほど――。


目の前の事件で疑われている蓮と、舞夜の記憶に残る蓮の姿が、どうしても重ならなかった。


舞夜は再び手紙を持ち上げる。


次に書かれていた文章は、それまでとは少し違っていた。


まるで、書き手が何かを強く伝えようとしているかのようだった。


「『あの日、私はようやく気づいた』」


「『本当の敵は、泥棒ではなかった』」


舞夜は一度、言葉を止める。


そして、続きを読む。


「『恐怖だった』」


「『恐怖は、どんなに優しい人でさえ――』」


「『愛する人を疑わせてしまう』」


その文章の下には――。


それまでとは違う、濃い色のインクで一文が書かれていた。


舞夜は、その文字を見た瞬間に動きを止めた。


「『そして翌日――』」


「『蓮黒沢を決定的に追い詰める証拠が現れた』」


大樹の背筋を、冷たいものが走った。


もし、その証拠が誰かによって用意されたものだったのなら――。


本当の犯人は、ただ原稿を盗んだだけではない。


一つずつ。


慎重に。


蓮を追い詰めるための罠を、完成させようとしていたのだ。

第百二十五話を読んでくださって、ありがとうございました。


少しずつ広がっていく噂。


それでも、変わらず蓮を信じようとする仲間たち。


しかし――。


静かに近づいてくる何かに、彼らはまだ気づいていませんでした。


次回もぜひお楽しみください。

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