それぞれの物語
文学部には、少しずつ部員たちが集まり始めていた。
午前の授業を終えた生徒たちが、次々と部室へ入ってくる。
壁際にかばんを置く者もいれば、本棚へ向かって本を探し始める者もいた。
青龍学園のほかの部活動とは違い、この場所では静寂を守ることが絶対のルールではなかった。
会話も、この部室の大切な一部だったからだ。
物語について語り合うこともまた、物語を書くことにつながっていた。
蓮は鉛筆でテーブルを軽く叩いた。
「始める前に、みんなに伝えたいことがある」
部室の会話は、ほぼ同時に止まった。
まだ十四歳だったが、蓮には不思議な存在感があった。
声を張り上げるわけでもない。
権威を振りかざすわけでもない。
それなのに、彼が話し始めると、誰もが自然と耳を傾けていた。
蓮は白い封筒を取り出した。
「先週、全国青少年文学協会から招待状が届いた」
部員たちは顔を見合わせた。
匠が片方の眉を上げる。
「文学協会から?」
蓮は静かにうなずいた。
「今年、全国の中学生を対象にした特別な文学コンクールが開催される」
部室のあちこちで小さなざわめきが起こった。
一人の部員が手を挙げる。
「去年、匠先輩が優勝したコンクールと同じですか?」
「そうだ」
蓮は答えた。
「ただし、今回は少し違う」
そう言って、封筒をテーブルの上に置いた。
「優勝作品は、全国アンソロジーに掲載されることになっている」
その瞬間、部室のざわめきはさらに大きくなった。
葵は目を輝かせた。
「すごい!」
舞夜も驚きを隠せない様子だった。
自分の物語が本として出版される。
物語を書くことを愛する生徒にとって、それは夢のような出来事だった。
匠は笑みを浮かべた。
それは、自信に満ちた笑顔だった。
「だったら、負けるつもりはないな」
一人の部員が冗談交じりに笑った。
「匠先輩が参加するなら、僕たちに勝ち目なんてありませんよ」
匠は軽く肩をすくめた。
「そんなことはないさ」
「みんなも挑戦するべきだよ」
言葉だけを聞けば、とても謙虚に聞こえた。
しかし、その表情は違っていた。
まるで、自分の勝利を疑っていないかのようだった。
舞夜は数秒間、彼を見つめていた。
その時は、ただ自信があるだけだと思っていた。
けれど、何年も後になってから、彼女はその笑顔を思い出すことになる。
そして理解するのだ。
あの表情の奥には、自信だけではない何かが隠されていたことを。
蓮は封筒をテーブルの上に置いた。
「みんなに一つだけお願いがある」
部室は再び静かになった。
蓮は一人ひとりの顔を見渡した。
「勝つことだけを考えて書かないでほしい」
誰も口を開かなかった。
「本当に書きたいと思う物語を書いてくれ」
彼の声はいつもと変わらず穏やかだった。
「審査員に気に入られることだけを考えてしまえば、自分自身の声を失ってしまう」
すると、葵が授業中の生徒のように勢いよく手を挙げた。
「じゃあ、自分らしい物語を書いて、それで優勝したらどうなりますか?」
蓮は思わず小さく笑った。
「その時は、心からお祝いするよ」
部室のあちこちから笑い声が上がった。
匠も口元を緩めていた。
ほんのひとときだったが、部室には再び穏やかな空気が流れていた。
部活動が終わると、部員たちは少しずつ部室を後にしていった。
机に向かったまま原稿を読み返す者もいた。
中庭へ向かう者もいた。
そんな中、舞夜は窓際の席に座ったまま、青い表紙のノートに向かっていた。
ペンを動かしては立ち止まる。
一文を書いては消す。
そして、もう一度書き直す。
その作業を何度も繰り返していた。
「そんなことを続けていたら、いつまでたっても書き終わらないぞ」
突然、声が聞こえた。
舞夜が顔を上げる。
目の前に立っていたのは匠だった。
彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「見せてくれる?」
そう言いながら、ノートを指さした。
舞夜は少し迷った。
まだ誰かに見せるつもりはなかったからだ。
しかし、数秒後には小さくうなずいていた。
匠は文学部の中でも特に尊敬している先輩だった。
だからこそ、彼の意見を聞いてみたいと思ったのかもしれない。
舞夜は静かにノートを差し出した。
匠は椅子を引き、ゆっくりとページをめくり始めた。
部室には静寂だけが残った。
五分ほどの時間が過ぎた。
舞夜は落ち着かない様子で指先を握りしめていた。
部室の反対側では、葵が興味深そうに二人を見つめている。
ようやく匠はノートを閉じた。
「とてもいい作品だと思う」
舞夜は驚いたように瞬きをした。
「本当に?」
「ああ」
匠はうなずいた。
「感情の描写がとても自然なんだ」
「これは簡単に身につけられるものじゃない」
舞夜の頬がわずかに赤くなった。
尊敬している先輩に物語を褒められたのは、これが初めてだった。
「ありがとうございます」
匠はノートを彼女に返した。
「でも、一つだけ変えたいところがある」
舞夜は首をかしげた。
「どこですか?」
匠は一つのページを指さした。
「この結末だよ」
舞夜は最後のページを開いた。
匠は穏やかな口調で続けた。
「少し悲しすぎる」
「読者は、もっと気持ちが明るくなる物語を求めていると思う」
舞夜はもう一度、最後の一文を読み返した。
そして、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうかもしれません」
彼女は小さく首を横に振った。
「でも、この結末しか思いつかなかったんです」
匠はしばらく彼女を見つめていた。
その時だった。
部室の入り口に立っていた蓮が、二人の会話を静かに見守っていた。
彼の表情に、わずかな変化が現れる。
それは本当に小さなものだった。
誰も気づかないほどの、かすかな違和感。
しかし、何年も後になってから、舞夜は理解することになる。
蓮は誰よりも早く、その危うさに気づいていたのだと。
第百十四話を読んでくださって、ありがとうございました。
文学部は、まだ穏やかな時間に包まれていました。
しかし、それぞれが思い描く「物語」の形には、少しずつ違いが生まれ始めています。
その小さな違和感は、まだ誰にも気づかれていません。
けれど、蓮だけは何かを感じ取っていました。
次回もぜひお楽しみください。




