届かなかった真実
雨は完全に止んでいた。
家の中に響いているのは、壁に掛けられた時計の音だけだった。
一秒ごとに、時間の流れが遅くなっていくように感じられた。
舞夜は両手で手紙を握りしめていた。
指先はまだわずかに震えている。
結衣は隣に座ったまま、彼女の手を優しく包んでいた。
俺は二人の向かい側に座っていた。
誰も急いではいなかった。
ここまで話を聞いて、ようやく理解したからだ。
この物語を一度に語ることはできない。
記憶と記憶の間には、時間が必要だった。
心の傷にも、呼吸するための時間が必要だった。
舞夜はゆっくりと息を吸った。
そして、視線を手紙へと落とした。
「これから読む部分は...」
彼女は小さく唇を震わせた。
「一番読むのが怖かったところなの」
部屋の空気が静かに張りつめていった。
舞夜は次のページをゆっくりと開いた。
紙は少し黄ばんでいた。
黒いインクで書かれた文字は、今でもはっきりと残っている。
彼女は小さく息を吸った。
そして、静かに読み始めた。
「『もし、この手紙をここまで読んでいるのなら、あなたはまだ前に進む力を失っていないということです』」
部屋の中には、彼女の声だけが響いていた。
「『その前に、どうしても謝らなければならないことがあります』」
舞夜の声がわずかに震える。
「『あなたに嘘をついたからではありません』」
彼女は一度言葉を止めた。
そして、再び視線を紙へと戻した。
「『本当のことを伝えるべきだった時に、私は黙ってしまったからです』」
静かな空気が部屋を包み込んだ。
誰も口を開かなかった。
その手紙を書いた人物が、長い間、大きな後悔を抱えていたことだけははっきりと伝わってきた。
「三年間、この手紙を書くべきかどうか悩み続けました」
舞夜は静かに読み続けた。
「『書き始めるたびに、途中で破り捨ててしまいました』」
紙を持つ彼女の指先がわずかに震えていた。
「『あなたが私のことを忘れることこそが、私にできる唯一の償いだと思っていたからです』」
再び沈黙が訪れた。
結衣も俺も何も言わなかった。
手紙を書いた人物の正体はまだ分からない。
けれど、その言葉からは長い時間をかけて積み重なった後悔が伝わってきた。
舞夜はゆっくりと紙を裏返した。
そして、小さく息を吐いた。
部屋の中には、時計の針が進む音だけが静かに響いていた。
「誰が書いたのか分かるの?」
俺は慎重に尋ねた。
舞夜はゆっくりと首を横に振った。
「分からないわ」
「差出人の名前は書かれていなかったの」
彼女は封筒を指先でなぞった。
「筆跡にも見覚えがなかった」
結衣は小さく眉をひそめた。
「じゃあ、本当に誰なのか分からないんだ」
「ええ」
舞夜は一枚の紙を裏返した。
「でも、この手紙には限られた人しか知らないことが書かれているの」
「その内容は、すべて青龍学園に関係しているわ」
結衣は考え込むように視線を落とした。
「昔の先生かもしれないね」
「あるいは、同級生かもしれない」
舞夜は静かに答えた。
「学校で働いていた人の可能性もあるわ」
短い沈黙が流れた。
彼女はゆっくりと手紙を胸に引き寄せた。
「まだ何も分からない」
その声には不安がにじんでいた。
「だからこそ、それが一番怖いの」
舞夜は再び手紙に視線を落とした。
そして、静かに続きを読む。
「『まず、あなたに理解してほしいことがあります』」
彼女は小さく息を吸った。
「『葵は最後まで、あなたを信じていました』」
その言葉を聞いた瞬間、舞夜の指先がわずかに震えた。
部屋の空気が静かに揺れる。
「『最後の日まで、葵はあなたの話をしていました』」
舞夜は唇を強く結んだ。
「『いつか二人で小説を出版するのだと、うれしそうに話していたのです』」
一滴の涙が紙の上に落ちた。
舞夜は慌てて指先でそれを拭った。
インクがにじまないように気をつけながら。
「そんなこと...一度も聞いたことがなかった」
かすれた声だった。
結衣は優しく舞夜の肩に手を置いた。
「きっと、いつか伝えるつもりだったんだよ」
舞夜は悲しそうに微笑んだ。
「そうかもしれないわね」
その笑顔は、とても切なかった。
舞夜はしばらく黙っていた。
部屋の中には、重たい沈黙が広がっていた。
そして、彼女は再び手紙を読み始めた。
「『あの週に起きた出来事は、あなたが気づくずっと前から始まっていました』」
俺の胸が大きく脈打った。
舞夜は視線を紙から離さなかった。
「『あれは偶然ではありませんでした』」
彼女の声がわずかに震える。
「『突然の出来事でもありませんでした』」
結衣が息をのむ音が聞こえた。
「『何が起きているのかを知っていた人たちがいました』」
空気が一変した。
「『そして、それを見て見ぬふりをした人たちもいました』」
誰も言葉を発することができなかった。
これはもう、一人の生徒が学校を去ったという単純な話ではなかった。
そこには、人の選択があった。
責任があった。
俺は無意識に拳を握りしめていた。
舞夜はゆっくりと手紙を下ろした。
その声は、かすかなささやきだった。
「この先に書かれていることは...」
彼女は小さく唇を震わせた。
「絶対に読むことはないと思っていた」
再び静寂が部屋を包み込んだ。
まだ誰も知らなかった。
この手紙の続きを読むことで、舞夜の過去だけではなく、俺たち三人の未来までもが変わろうとしていることを。
第百八話を読んでくださって、ありがとうございました。
三年前に隠された出来事の真相が、少しずつ明らかになり始めています。
そして、その手紙は舞夜だけでなく、三人の未来にも大きな影響を与えようとしていました。
次回もぜひお楽しみください。




