語られる真実
鍵が最後まで回った。
ゆっくりとドアノブが下がる。
そして、玄関の扉がわずかに開いた。
ほんの一瞬、俺も結衣も言葉を失った。
やがて、扉はゆっくりと大きく開かれた。
そこに立っていたのは、舞夜だった。
彼女は灰色のルームパンツに、クリーム色の長袖のセーターを着ていた。
黒い髪は肩の上で乱れていた。
まるで、朝から髪を整える気力さえなかったかのようだった。
けれど、俺の視線を引きつけたのは、それではなかった。
舞夜の瞳だった。
赤くなっていた。
少し腫れていた。
長い間、泣き続けた人のような目だった。
「……舞夜」
結衣の声は、かすかなささやきのようだった。
舞夜は数秒間、ぼんやりと俺たちを見つめていた。
まるで、目の前にいる相手が誰なのかを理解するのに時間が必要だったかのように。
「……結衣?」
そして、ゆっくりと俺のほうを見た。
「……大輝?」
その声には、いつもの落ち着きがなかった。
どこか力が抜けていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥にあった不安がさらに大きくなった。
結衣は迷うことなく一歩前に出た。
「本当に心配したんだから!」
その言葉を口にした瞬間、彼女は舞夜を強く抱きしめた。
「学校にも来なかったし、メッセージにも返事をくれなかったし、電話もつながらなかったし……」
言葉が次々とあふれ出す。
舞夜は何も言わなかった。
しばらくの間、ただその場に立ち尽くしていた。
やがて、ゆっくりと右手を上げる。
そして、結衣の背中にそっと手を添えた。
「……ごめん」
かすかな声だった。
風に消えてしまいそうなほど小さかった。
「心配をかけるつもりはなかったの」
結衣はゆっくりと体を離した。
その目は少しだけ潤んでいた。
「もうこんなことをしないで」
舞夜は視線を落とした。
「ごめんなさい」
再び謝罪の言葉がこぼれる。
その姿は、いつもの舞夜とは少し違って見えた。
どこか遠くを見つめているようだった。
まるで、一人で重すぎる何かを抱え込んでいるかのようだった。
俺は黙ったまま舞夜を見つめていた。
何かが違う。
それは単なる疲れではなかった。
彼女の表情だった。
目の前にいるのは、間違いなくいつもの舞夜だった。
それなのに、どこか別人のようにも見えた。
たった一晩の間に、何年もの時間を背負ってしまったような、そんな印象だった。
舞夜がゆっくりと顔を上げた。
そして、俺たちの視線が交わる。
誰も言葉を発しなかった。
沈黙だけが静かに流れていく。
「……大丈夫か?」
ようやく、俺はそう尋ねた。
その言葉は、二人の間に静かに残った。
舞夜はすぐには答えなかった。
数秒が過ぎる。
やがて、彼女は小さく微笑んだ。
とても弱々しい笑顔だった。
作り笑いではなかった。
けれど、その笑顔は瞳には届いていなかった。
「うん……」
短い返事だった。
少しだけ間を置いてから、彼女は続けた。
「ただ……あまり眠れなかっただけ」
あまりにも簡単な説明だった。
けれど、俺には分かった。
舞夜は何かを隠している。
しかも、それは簡単に言葉にできるようなものではない。
そんな気がしていた。
「中に入る?」
結衣が優しく尋ねた。
舞夜は一瞬だけ目を瞬かせた。
まるで、今になってようやく自分たちを玄関で待たせていたことに気づいたようだった。
「あっ……」
小さな声が漏れる。
「もちろん」
少し慌てたように言葉を続けた。
「ごめんなさい」
そう言うと、彼女は静かに脇へ移動した。
俺たちは家の中へ足を踏み入れた。
室内はいつもと変わらなかった。
整然としていて、どこもきれいに片づけられている。
その光景に少しだけ安心した。
しかし、その時だった。
食卓の上に置かれた一つの物が目に入った。
白い封筒だった。
しかも、すでに開封されている。
その隣には、何枚かの手書きの紙が置かれていた。
舞夜も俺たちの視線に気づいたようだった。
彼女の表情がわずかに曇る。
そして、ゆっくりとテーブルのほうへ歩き始めた。
舞夜はテーブルの前で立ち止まった。
そして、静かに手を伸ばした。
開かれた封筒の隣に置かれていた数枚の紙を、そっと両手で持ち上げる。
そのまま胸の前に引き寄せた。
彼女は何も言わなかった。
ただ、じっと紙を見つめていた。
そこに書かれている言葉を、一つ一つ確かめるように。
まるで、その手紙には簡単には受け止められないほどの重みがあるようだった。
部屋には静かな空気が流れていた。
誰も口を開かない。
俺も結衣も、ただ舞夜を見守っていた。
やがて、舞夜はゆっくりと息を吐いた。
そして、小さな声で言った。
「話したいことがあるの」
その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった気がした。
舞夜の表情は真剣だった。
その瞳には、これまで見たことのない決意が宿っていた。
「でも、その前に...」
舞夜は言葉を途中で止めた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
まるで、自分の気持ちを整理しているようだった。
部屋の中は静まり返っている。
時計の針の音だけが小さく響いていた。
数秒後、舞夜は再び目を開いた。
「約束してほしいことがあるの」
結衣が静かにうなずいた。
俺も黙ったまま彼女を見つめた。
舞夜は手紙を胸に抱いたまま続けた。
「最後まで聞いてほしいの」
少しだけ唇をかむ。
「途中で話を遮らないで」
さらに短い沈黙が流れた。
「それから...すぐに結論を出さないでほしい」
その言葉には、いつもの穏やかな口調とは違う重みがあった。
俺は返事をしようとした。
けれど、言葉が出てこなかった。
舞夜の表情を見れば、それだけで十分だった。
これから語られる話は、決して軽いものではない。
そして、それは俺が知っている八神舞夜の姿を大きく変えてしまうかもしれない。
そんな予感がした。
俺たちは何も言わずに彼女を見つめていた。
そして、長い間閉ざされていた過去の扉が、ついに開かれようとしていた。
第百二話を読んでくださって、ありがとうございました。
ついに舞夜と再会することができました。
しかし、その表情はいつもの彼女とはどこか違っていました。
赤く腫れた瞳。
開かれた手紙。
そして、隠し続けてきた過去を語ろうとする決意。
長い間、胸の奥に閉じ込められていた真実が、少しずつ明かされようとしています。
その真実は、大輝だけでなく、結衣の心にも大きな影響を与えるかもしれません。
次回もぜひお楽しみください。




