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扉の向こうの足音

結衣が一歩前に出た。


「今の音、聞こえた?」


俺はゆっくりとうなずいた。


「ああ」


しばらくの間、俺たちはその場から動けなかった。


音はとても小さかった。


何が落ちたのかも分からない。


本かもしれない。


椅子が動いただけかもしれない。


あるいは、俺たちの思い違いだった可能性もある。


けれど、その場にいた二人とも、最後の可能性だけは信じられなかった。


結衣はもう一度、玄関の扉に手を伸ばした。


今度は少しだけ強くノックする。


「舞夜!」


返事を待った。


数秒が過ぎる。


「舞夜! 私だよ! 結衣!」


しかし、返事はなかった。


再び静寂が訪れる。


庭の小さな木の枝が、風に揺れてかすかな音を立てていた。


俺は周囲を見回した。


通りには誰もいない。


近所の家々も窓を閉めていた。


静かだった。


あまりにも静かすぎた。


その静けさが、胸の奥の不安をさらに大きくしていた。

「どうしよう...?」


俺は小さな声で尋ねた。


結衣は手に持ったスマートフォンへ視線を落とした。


「舞夜のお母さんに電話してみる」


連絡先を探しながら、素早く画面を操作する。


そして、発信ボタンを押した。


呼び出し音が鳴り始める。


一回。


二回。


三回――。


しばらくして、電話がつながった。


「八神さん!」


結衣の表情が一瞬で変わった。


「はい...田中結衣です」


少し間を置く。


「突然お電話して申し訳ありません。舞夜が学校を休んでいて...」


相手の話に耳を傾ける。


すると、結衣の表情が少しずつ変化していった。


心配そうな顔が、今度は戸惑いへと変わっていく。


「えっ...?」


短い沈黙。


「そうですか...」


さらに数秒後。


「分かりました」


「ありがとうございます」


電話が終わった。


結衣はゆっくりとスマートフォンを下ろした。


その表情からは、まだ混乱が消えていなかった。

「何て言ってたんだ?」


俺はすぐに尋ねた。


結衣は深く息を吸った。


「舞夜のお母さんは、朝早く仕事に出かけたんだって」


「舞夜は?」


「家を出る時には、まだ寝ていたらしいの」


俺は思わず眉をひそめた。


「寝ていた?」


「うん」


結衣は静かにうなずいた。


「だから、少し遅れて学校に行くものだと思っていたみたい」


俺たちはしばらく言葉を失った。


もし、その話が本当なら――。


舞夜は朝からずっと家に一人でいたことになる。


それなのに、メッセージにも電話にも応答がない。


胸の奥にあった不安が、さらに大きくなっていくのを感じた。


玄関の扉は閉ざされたままだった。


そして、その向こう側からは、何の気配も感じられなかった。

結衣は再び玄関の扉を見つめた。


その瞳には、はっきりとした不安が浮かんでいた。


「もう一度試してみる」


そう言うと、彼女は一歩前に出た。


今度はインターホンを押さなかった。


代わりに、握った拳で扉を数回ノックした。


「舞夜!」


静かな住宅街に結衣の声が響く。


「舞夜! そこにいるなら返事をして!」


俺も思わず息をのんだ。


数秒が過ぎる。


五秒。


十秒。


それでも返事はなかった。


風だけが静かに吹き抜けていく。


結衣は唇をかみしめた。


俺も扉から目を離せなかった。


家の中は相変わらず静まり返っていた。


けれど、胸の奥の違和感だけは消えることがなかった。

その時だった。


家の中から足音が聞こえた。


とてもゆっくりとした足取りだった。


まるで足を引きずるような音だった。


結衣と俺は同時に息をのんだ。


足音は確かに聞こえていた。


しかも、その音は少しずつ玄関へ近づいてきている。


一歩。


また一歩。


静かな家の中に、その音だけが響いていた。


結衣は扉を見つめたまま、小さくつぶやいた。


「舞夜...?」


返事はなかった。


それでも、足音は止まらない。


俺の鼓動はどんどん速くなっていった。


朝から感じていた胸騒ぎが、現実になろうとしていた。


足音はもう扉のすぐ向こうまで来ていた。

足音が止まった。


玄関の扉を挟んで、わずかな沈黙が流れる。


誰も何も言わなかった。


聞こえてくるのは、かすかな呼吸だけだった。


扉の向こうにいるのは、間違いなく誰かだった。


結衣は小さく息を吸った。


「舞夜?」


返事はない。


俺は無意識のうちに拳を握りしめていた。


心臓の鼓動が耳の奥で響いている。


時間が止まったような感覚だった。


数秒が、とてつもなく長く感じられる。


すると――。


「カチャッ」


小さな音が静寂を破った。


結衣の肩がわずかに震える。


俺も息を止めた。


鍵だった。


玄関の鍵が、ゆっくりと回り始めたのだ。


扉の向こうにいる人物が、今まさに扉を開けようとしている。


俺たちは黙ったまま、その瞬間を待っていた。


そして、長い一日の終わりに隠されていた真実が、少しずつ姿を現そうとしていた。

第百一話を読んでくださって、ありがとうございました。


不安を抱えたまま訪れた舞夜の家。


返事のないメッセージ。


つながらない電話。


そして、静まり返った家の中から聞こえてきた足音。


ようやく誰かが扉の向こうにいることが分かりました。


しかし、その人物が本当に舞夜なのかは、まだ分かりません。


ゆっくりと回り始めた鍵が、長い沈黙を終わらせようとしています。


扉が開いた時、そこには何が待っているのでしょうか。


次回もぜひお楽しみください。

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