一、 隔離された視覚
怜人が生まれたのは、遺伝子ベクターによる網膜の書き換えがごく標準的なインフラとして定着した、新人類の時代だった。しかし彼の目と脳は、同世代の新人類の中でも異常なほどの超高解像度を持って機能していた。
三歳の頃には、家電の裏側から漏れる赤外線(IR)の熱パターンをじっと見つめ、それが「機器の通電状態や電力のリーク」を示していることを、言葉よりも先に直感で理解した。
五歳になる頃には、太陽光の下で乱反射する紫外線(UV)の波長から、大気中の塵や水蒸気の密度を逆算し、親に「もうすぐあそこから、雨の熱が降りてくるよ」と無表情に告げた。
「この子は神童だ。新しい時代の、真の科学者になる」
その異常な視覚に気づいた両親と周囲の大人たちは、彼に徹底的な英才教育を施した。だがそれは同時に、彼を「子供らしい日常」から完全に隔離する冷たい檻でもあった。
同級生たちが夢中になるサッカーや野球を、怜人はいつも冷めた目で眺めていた。彼の目には、ボールが受ける大気抵抗の摩擦熱や、選手の筋肉が起こすオーバーヒートが、すべて残酷な数式として見えてしまう。それはスポーツではなく、ただの「運動エネルギーの非効率な消費」に過ぎなかった。テレビに映る華やかなエンターテインメントも、舞台演出のUVレーザーの軌道や、役者の顔に浮かぶ緊張の血流パターン(IR)が視覚のノイズとして邪魔をし、ストーリーや感動が全く頭に入ってこない。
「あの絶田君は、天才だけど何を考えているか分からない」
「感情の色(IR)が、いつも氷みたいに冷たくて、一定だよね」
周囲の子供たちは、あまりに感情の起伏――熱の揺らぎ――を見せない彼を気味悪がり、彼もまた、他人の無駄な感情のノイズを嫌って自ら壁を作った。すべてを国際単位系の記号のように等価値のデータとして処理する彼にとって、世界は視覚で解き明かすべき「幾何学の数式」であり、人間関係は「ノイズの多い不確定要素」でしかなかった。




