一、 色のない子供
浅倉薫の網膜は、ウイルスの水平伝播を完全に拒絶した。
世界の大半が紫外線(UV)と赤外線(IR)を知覚し始めた変革の時代に、彼女の眼球が捉えるのは、昔ながらの可視光線(RGB)だけだった。一人娘が「旧人類」という時代遅れの目で生まれたと知った時の両親の動揺を、薫は今でも覚えている。
光学デバイスの普及に携わる父と、バイオ企業のマーケティングを担う母。新人類の二人にとって、人間の皮膚は感情の残熱(IR)がドクドクと拍動し、遺伝子の旅路である「ブラシュコ線」が美しいUV模様となって明滅するディスプレイだった。しかし、二人の目に映る幼い薫の肌は、のっぺりとした無機質な白い壁に過ぎなかった。
「薫、本当に何も見えないの?」
母の瞳は、太陽のUVを遮断する調光コンタクトレンズのせいで、いつも深い琥珀色に沈んでいた。そこから向けられるのは、我が子に対する愛おしさではなく、明らかに「不良品」を検品するような冷たい視線だった。
親戚の集まりは、薫にとって無言の処刑場だった。年の近い従兄弟たちがリビングを走り回りながら、首筋や手首のブラシュコ線を鮮やかな青紫のUVパターンとして明滅させる。大人たちはそれを取り囲み、「なんて美しいグラデーションだ」と褒めちぎる。その輪の外で、薫はいつも一人、膝を抱えて座っていた。
「かわいそうに、あの子にはこの美しさが見えないのね」
彼らの言葉は優しげだったが、新人類の社会において「色が見えない」ということは、コミュニケーションにおける致命的な障害を意味していた。
リビングの天井にある古い家電の排熱からは、新人類にとって「狂ったように明滅するフラッシュの嵐」が放たれていた。両親は「遮光レンズがなければ頭痛がする」と顔を顰め、室内を吸光カーテンで覆い隠した。しかし、小さな薫だけは、その暗闇の中で平然と過ごしていた。両親にとっての地獄が、薫にとっては「ただの静かな部屋」だった。
お世辞や焦りが顔の熱放射(IR)で丸見えになる他の子供たちとは違い、目の前の娘が何を考えているのか、両親には最後まで分からなかった。家族でありながら言語の通じない異星人と暮らしているかのような、冷たいディスコミュニケーションが家庭を支配していた。




