第一話:【解(ほど)れゆく極彩色(ごくさいしき)】
夕暮れ時の放課後、僕と彼女の歩幅はいつも少しだけズレる。
「あ、ケイト、そこ踏んじゃダメ!」
幼馴染で、半年前から付き合っている亜見が、僕の制服の袖をグイと引っ張った。僕が足を止めると、彼女は吸光アスファルトの歩道を睨みつけている。
「ごめん、また見えなかった」
「もう、気をつけてよ。そこに地下の配管の熱漏れ(IRノイズ)がビカビカ漏れてる。新人類が見たら眩しくて目が潰れちゃうレベルの光の公害なんだから」
僕、永居佳都はクラスに数人しか残っていない「旧人類」だ。
二〇二〇年代に流行した遺伝子ベクターワクチンのバグによって、人類の九割が紫外線(UV)と赤外線(IR)を知覚する「新人類」として生まれるようになったこの街で、僕は昔ながらのRGB(可視光線)しか見えない「見えざる者」。
対する亜見は、生粋の新人類。彼女の瞳は、太陽のUVを遮断する調光コンタクトレンズのせいで、外ではいつも深い琥珀色に沈んでいる。
「ケイトの世界って、本当に静かなんだね」
亜見は僕の腕に自分の腕を絡めながら、羨ましそうに溜息をついた。
「家から一歩出たら、街中の配管の熱漏れ、自動運転車のUVレーザー、他人の感情の残熱……情報のオーバーロードで頭が痛くなっちゃう。ケイトの隣にいる時だけ、世界がロー・ファイで落ち着くんだ」
僕にとっては「ただの薄暗い静かな帰り道」が、彼女にとっては「ノイズの嵐」らしい。僕が脳の疲労を防ぐ防護バリアを持っているようなものだと知ってから、亜見はよくこうして僕を「避光地」として扱い、くっついてくる。
「ねえ、アミ」
僕は少し意地悪な気持ちになって、彼女の顔を覗き込んだ。
「今、僕がどんな気持ちか、当ててみてよ」
新人類の社会では、嘘や動揺は顔の熱(IR)の変化で一発でハッキングされる。政治家も学校の先生も、お世辞や嘘がつけない時代だ。
だけど僕は、デートの時はいつも、旧人類御用達の『IRカット断熱ファンデーション』を薄く塗っている。亜見は僕の顔をじっと見つめ、それから頬を膨らませた。
「……わかんない。やっぱりケイトは不気味。熱のデータが完全にミュートされてるもん。表情(RGB)は笑ってるけど、脳が本当に喜んでるのか、別の女の子のこと考えてるのか、全然ハッキングできない」
「ハッキングって言うなよ。付き合ってるんだから、色じゃなくて言葉で信じてよ」
「だって、新人類の男子はみんな分かりやすいんだもん。嘘ついたら鼻の頭が青くなったり赤くなったり、冷め期に入ったらIRの興奮グラデーションが消えたり。……でも、だからこそケイトのその『何を考えてるか分からないポーカーフェイス』に、わたし狂わされちゃったんだけどね」
亜見は顔を真っ赤に――いや、新人類の視覚で言えば、激しい熱のオーバーヒートの光を放ちながら、僕の腕をぎゅっと抱きしめた。彼女の感情が僕には色で見えないけれど、腕に伝わる確かな体温と、少し早くなった鼓動だけで、僕には十分だった。
「今日の晩御飯、うちで食べていく?」と亜見が言った。
「あ、いいの? アミのお母さんの作る発酵スープ、大好きなんだ」
新世界の『発酵フード』はすごい。新人類の主婦やシェフは、菌の繁殖による微細な熱やアミノ酸のUV反射を肉眼で完璧にコントロールする。だから、亜見の家の発酵料理は、僕たち旧人類の味覚にとっても、信じられないほど完璧なタイミングで熟成されていて美味い。
「うん! お母さん、ケイトが来るからって、昨日から熟成チーズのUV発光グラデーションをずっと見守ってたんだから。今夜が一番の『食べ頃の色』になるって」
「楽しみだな。あ、じゃあ、お礼に僕がスープの加熱担当をするよ。レンジのIRインクの表示はアミに読んでもらわないと分からないけど、旧人類の直感で美味しく温めるから」
「ふふ、光学自動運転のせいで、新人類はみんな直感が鈍らせられてるからね。ケイトのその『見えないからこそ、徹底的に感覚を研ぎ澄ます』ところ、本当にカッコいいと思うよ。レトロでエモいっていうか、芸術家みたい」
コンプレックスだった僕の「見えない目」を、亜見はいつも特権のように褒めてくれる。
街灯がぽつぽつと灯り始める。新人類のマジョリティに合わせて、街の明かりはUV・IRを一%も漏らさない『超純色クリーンLED』に変わりつつある。おかげで、旧人類の僕にとっても、今の街は昔の映画に出てくるみたいに、純粋な色彩だけで構成された綺麗な景色に見える。
「世界が変わっても、僕たちの見るバランスがちょうど良ければ、それでいいよね」
「うん。わたしがケイトの目になってあげるし、ケイトはわたしの盾になってね」
亜見の琥珀色の瞳が、夕暮れのRGBの光を反射して、僕の目にもただ純粋に、美しく輝いて見えた。




