一、 不織(ふしょく)の身体
「やっぱ部活のあとは、ここのバインミーが一番落ち着くよね」
その日の夕方。過密サイバー都市のネオンの下で、新人類の若者たちがクジラ肉のバインミーケップを片手に笑い合っていた。
「うちのひいおじいちゃん、昔の『ハンバーガー』の話をしてくれるんだ。丸いパンで肉を完全に隠して重ねてたんだって。宝箱みたいで可愛いよね」
若者たちは、パンから透けるパクチーの綺麗なUV発光を眺めながら、サクッと軽い音を立ててパンを噛み砕く。ウシの味はもう分からない。けれど、大好きな祖父母がかつて愛した二〇二〇年代という遠い時代に、彼らは静かに想いを馳せていた。
そんな光の洪水のさらに地下深く。織代紬の厨房には、火の爆ぜる音も、食材の爆発的な匂いも存在しない。一〇〇%の純粋なRGB空間として設計された地下の遮熱シールドルーム。そこが、二十代半ばになった彼女の城だった。
紬は生まれつき盲目で、音も味も、五感のすべてを感じない旧人類として生まれた。彼女の頭蓋に世界を伝えているのは、最高精度の人工知能と、感覚器官のすべてを置き換えた冷たいサイバー義体だけだった。食材の分子構造、アミノ酸の含有量、熱の伝導率。それらはすべて精密な「数値データ」として幾何学の方程式のように処理される。
完璧に寄生虫や菌をクリアした彼女の「光学認証フード」は、過彩の奔流に疲弊した新人類の富裕層から神聖視され、高い評価を得ていた。しかし、彼女の義体の胸の奥には、常に消えない不確実なほつれ(疑問)があった。すべてを数値でしか理解できない自分は、ただの精巧な人形なのではないかという、旧人類としての根源的な孤独。だからこそ彼女は、独立して以来、ひとつの歪な営みを自らに課していた。かつてのRGBの時代には当たり前だった不確実なレシピを、顧客たちの記憶から手繰り寄せて再現するという無謀な試みだった。




