後日談 第4話:棚卸しできない独占欲と、ペアアイテムの罠
日曜日の大型ショッピングモール。吹き抜けの天井から降り注ぐ陽光と、人工的な空調の風が、休日特有の緩やかな熱気を運んでいる。
私は片手に、スマートフォンのメモアプリに打ち込んだ「各フロア最短巡回ルート」を表示させ、眉を寄せて周囲の喧騒を睥睨した。
「……入店から五分。まずは三階のキッチン用品フロアを片付けるわよ。あそこのフライパン、今の在庫が切れたら次回の入荷まで一ヶ月はかかるんだから。佐藤、ぼーっとしない。台車の確保は任せたわよ」
「あ、はい! 了解です、遥。……でも、その前に。二階のアクセサリーフロアに寄ってもいいですか? 五分、いや十分でいいんです」
佐藤が、少しだけ真剣な、けれどどこか悪戯っぽく私を覗き込んできた。
(……アクセサリー? あいつ、私への貢ぎ物でも探してるつもりかしら。……まあ、あいつの趣味を確認しておくのも、将来的なリスクヘッジとしては悪くないわね。……って、何考えてるのよ、私。ただの買い出しよ、買い出し。一分一秒を惜しみなさい)
私は内心で起きた小さな動揺を、事務的な「市場調査」として即座に分類した。サバサバとした大人の余裕を保ちながら、私は首を横に振った。
「アクセサリーなんて実用性がないわ。時間の浪費よ。……でも、まあ、あんたがそこまで言うなら、調査に付き合ってあげてもいいわよ。十分厳守。それ以上は延長を認めないからね」
二階、煌びやかなショーケースが並ぶフロア。
佐藤は迷いのない足取りで、シンプルなデザインが売りのブランドの前で足を止めた。
「遥。これ、見てください。ペアのブレスレットなんですけど、すごくシンプルで、遥の細い手首に似合うと思うんです」
「……ペア? あんた、正気? そんなの、紛失した時の精神的ダメージが二倍になるだけじゃない。お揃いにする合理的な理由が見当たらないわ。却下」
私は鼻で笑い、サバサバと一蹴した。今の私には「高橋さん」という完璧な自律心がある。そんな甘ったるい印に頼るなんて、プロの事務屋の矜持が許さない。
「合理性なんて、初めからないですよ。……ただの独り占めです」
「……え?」
「仕事中、遥に会えない時でも、これを見て『遥は僕のものだ』って安心したいんです。……重いですか? でも、これが僕の本音なんです」
佐藤が、逃げ場のないほど真っ直ぐな瞳で私を見つめる。
(……ちょっと。名前呼ばれただけで、心拍数が跳ね上がって呼吸が浅くなるなんて。これじゃあ、まともに反論できないじゃない。……三文字の致死量。今の言い方、私の生存本能を脅かしてるわね)
私は内心で激しく悶えた。顔の火照りを隠すように、わざと不機嫌そうな声を出す。
「……あんたね、悠真くん。そんな子供みたいなこと言って、営業マンとしての自律心はどうしたのよ。自分の感情くらい、自分でコントロールしなさい」
つい、反射的に呼んでしまった三文字。
「自律心なんて、遥の前じゃ機能しないですよ。……ねえ、これ。着けてみてもいいですか?」
佐藤は私の返事を待たず、店員に声をかけて、細い銀色のチェーンを取り出させた。
私の左手首を、彼の温かい大きな掌が包み込む。
冷たい金属の感触。けれど、それを留める佐藤の指先は驚くほど熱かった。
「……似合ってます。これで、遥の手首は僕が予約済みです。外さないでくださいね」
(……酸素が足りない。あいつの声、私の肺活量まで削る気かしら。……待って。今の響き、私の許容範囲を超えてるんだけど。今の呼び声、私の呼吸を止めるには十分すぎるわ)
私は窓の外……ではなく、店内の鏡に映る自分を直視できず、俯いた。
「……勝手にしなさい。ただし、私のコーディネートを邪魔しないデザインを選んだことだけは褒めてあげるわ。……実用性はないけど、まあ、あんたのモチベーション管理に役立つなら、経費(ご褒美)として認めてあげてもいいわよ」
精一杯の、居直りサバサバ。けれど、私の頬の火照りは、店内の冷房をもってしても冷めることはなかった。
結局、私たちは左手首に同じ銀色の輝きを宿したまま、モールの喧騒へと戻った。
佐藤は何度も自分の腕と私の腕を交互に見ては、「遥とお揃い、嬉しいな」と顔を綻ばせている。
「いつまでも浮かれてない。はい、次の目的地へ移動。立ち止まらない! 三階、フライパンよ!」
「はい、遥さん! あ、遥! どこまでもついて行きます!」
(……致命的な失策だわ。あいつにこんな印を付けさせるなんて、とんだ弱点を見せたわね。……認めなさいよ、私。あいつの一言で、もう手遅れだってことくらい)
夕暮れ時。目的のフライパンと、予定になかったペアアイテムをカバンに詰め込み、私たちはモールを後にした。
「今日はありがとうございました。遥にプレゼントできて、本当に良かったです」
「……プレゼントって、私の財布からも出させなさいよ。折半でしょ、ペアなんだから」
「いいえ、これは僕の独占料ですから。……遥、大好きだよ」
「……はいはい。お疲れ様。さっさと帰りなさい、時間の無駄よ」
私は背中を向けて駅へと向かった。けれど、左手首に揺れるチェーンの重みが、心地よい枷のようにいつまでも私の肌に残っていた。
一人になった帰り道。
(……ま、ペアアイテムなんてただの共通認識の確認。……でも、私の腕に、あいつが選んだものが光ってるのは、……悪くないわね、意外と。……二度手間にならなくていいし)
サバサバと切り捨てようとするたびに、あのショーケースの前での「悠真くん」という響きが、自分の内側で反響し続ける。
ベッドの中で枕に顔を埋め、私は激しく、そして無様に悶えた。
「……はい、切り替え。いつまでも同じところを回ってないの!」
自分に強制終了を命じ、目を閉じる。
けれど、夢の中にまで、あの「遥」と呼ぶ声と、手首を締め付ける銀色の熱が追いかけてくることを、私はもう止めることができなかった。
割り切ったはずの過去。けれど、私はもう、彼に名前を呼ばれ、印を刻まれる「不自由で、完璧な明日」を、誰よりも愛しく思い始めていた。




