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サバサバしたアラサー女子が、元後輩にだけ悶える理由  作者: 寝不足魔王


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後日談 第3話:空中庭園の叫びと、不意打ちの「悠真くん」

 日曜日の遊園地。開園直後のメインゲート前は、色とりどりの風船と、子供たちの嬌声、そして目的地へ急ぐ人々による不規則な濁流で溢れかえっていた。

 私は片手に、事前に公式サイトの待ち時間から算出した「最短ルートの行程表」を握りしめ、眉を寄せて腕時計を確認した。

「……入園手続きに十二分。昨晩の想定より三分も遅れているわね。佐藤、ぼーっとしない。チケットのコード、すぐに提示できるように準備しなさい」

「あ、はい! すみません、遥。……だって、今日の遥、すごく楽しそうで……つい見惚れてました」

 佐藤が、少しだけ垢抜けたベージュのブルゾンに、私の好きな細身のパンツという私服姿で、無防備な笑顔を向けてくる。

(……何よ、その顔。……楽しそう? 私が? 冗談じゃない。私はただ、この『遊園地デート』という難易度の高いプロジェクトを、完璧な進行で完遂しようとしているだけよ。……まあ、あいつが子供みたいにワクワクしてるのは、……視覚的な報酬としては悪くないけど)

 私は内心で起きた小さな動揺を、事務的な「現場の活気」として即座に分類した。サバサバとした大人の余裕を保ちながら、私は迷いのない足取りで最初のアトラクションへと向かった。


 私が最初に選んだのは、園内最大の高低差を誇る、巨大な鉄骨の化け物のようなジェットコースターだった。

「まずはメインディッシュからよ。時間が経てば待機時間は増える一方だわ。一分一秒を惜しみなさい」

「えっ。……あ、あの。遥、……これに乗るんですか?」

 佐藤の顔が、みるみるうちに石灰のように白くなっていく。

「当たり前でしょ。営業マンなら、これくらいの重力加速には耐えなさいよ。視界が少し歪む程度のことで、商談の主導権を渡すつもり?」

「……そんな、無茶な。……分かりました。遥が乗りたいなら、僕、頑張ります」

 ガチガチに固まった肩を震わせながら、佐藤は決死の覚悟で列に並んだ。その様子は、まるで断頭台へ向かう囚人のようで、私はつい「……あんた、そんなに怖いの?」と、少しだけトーンを落として尋ねた。

「……少し、高いところが苦手なんです。でも、遥と一緒にいたいから」

(……バカじゃないの。……そんな理由で、気分を悪くするリスクを冒すなんて。……でも、……そこまで言われると、流石に……)


 いよいよ、私たちの順番が来た。

 安全バーが重い音を立てて固定され、コースターがゆっくりと、垂直に近い角度で上昇を始める。

 カタカタ、カタカタ。

 心拍を煽るような不快な機械音だけが響く中、隣の佐藤を見れば、彼は目を瞑り、手すりを壊さんばかりの力で握りしめていた。その震える指先を見た瞬間、私の「サバサバ」という防壁が、不意に崩れた。


(……待って。今の私、何をしようとしてるの。……でも、放っておけないでしょ、こんなの)


 私は無意識に、佐藤の冷たくなった左手を、自分の右手で強く握りしめた。

 コースターが頂上に達し、眼下に広がる街並みが一瞬だけ止まる。

「大丈夫よ、悠真くん! 私がついてるわ、しっかりしなさい!」


 叫び声にかき消されそうな、けれど隣の彼には確実に届いた、三文字。

 次の瞬間、視界が真っ逆さまに落ちていった。


(……待って。今の、叫び声の勢いで口が滑っただけよ。……ちょっと。名前呼ばれただけで、心臓の音がうるさすぎて呼吸の仕方を忘れそうになるなんて。これじゃあ、まともに立っていられないじゃない)


 地上に戻ってきたとき、私は自分の心拍数が、コースターの衝撃ではなく、自分の放った言葉によって異常な数値を叩き出していることを自覚した。

「……ひ、遥。……今。……悠真って、呼んでくれましたよね?」

 佐藤が、フラフラの足取りで降車口を歩きながら、けれど瞳だけは熱烈な光を宿して私を見つめてくる。

「……風の音で聞き間違えたんじゃない? あんた、耳のメンテナンスが必要ね。幻聴よ、幻聴。はい、この件は終了」

 私は顔を真っ赤にしながら、意味不明な事務的毒舌を並べ立てて、早足で出口へ向かった。


 逃げ場のない空中密室――観覧車。

 ゆっくりと上昇するゴンドラの中で、佐藤は私の目の前に座り、逃げ道を塞ぐように身を乗り出してきた。

「……忘れませんよ、遥。……悠真って呼んでくれた時の、遥の顔。すごく、優しかったです」

(……酸素が足りない。あいつの声、私の肺活量まで削る気かしら。……待って。今の響き、私の許容範囲を超えてるんだけど。今の呼び声、私の呼吸を止めるには十分すぎるわ)


 私は窓の外をじっと見つめ、反射で自分の顔が映らないように祈った。

「……ただの言い間違いだって、さっきも言ったでしょ。あんた、いちいち話が重いのよ。終わったことを数えても無駄。進むわよ」

「遥に名前を呼ばれるなら、あと十回はあのコースターに乗れます。……ねえ、もう一度だけ、呼んでくれませんか?」

「……図々しいわね。一回で十分よ。……はい、切り上げ。次はアイスでも食べて、その熱に浮かされた頭を冷やしなさい」

 私は突き放すように言った。けれど、ゴンドラの下で佐藤が不意に私の手を握り直したとき、私はそれを振り払うことができなかった。

(……致命的な失策だわ。あいつにそんな顔をさせるなんて、とんだ弱点を見せたわね。……認めなさいよ、私。あいつの一言で、もう手遅れだってことくらい)


 夕暮れ時の遊園地。イルミネーションが点灯し、街は魔法にかかったように煌めき始める。

「今日は本当にありがとうございました、遥。……僕、世界で一番幸せな営業マンです」

「……おめでたいわね。明日からまた数字で返しなさいよ。……ほら、早く帰りなさい。時間の無駄よ」

 私は背中を向けて駅へと向かった。けれど、心拍数は最高潮のまま、落ちる気配がなかった。


 一人になった帰り道。

 (……ま、遊園地なんてただの非効率な娯楽。一時の気の迷いで、少しだけ脳が誤作動を起こしただけよ。……でも、あいつの手、意外と温かかったわね……)

 

 サバサバと切り捨てようとするたびに、あの空中での「悠真くん」という響きが、自分の内側で反響し続ける。

 ベッドの中で枕に顔を埋め、私は激しく、そして無様に悶えた。

「……もう寝なさいよ、私。これ以上考えても、答えなんて出ないわ」

 

 自分に強制終了を命じ、目を閉じる。

 けれど、夢の中にまで、あの「遥」と呼ぶ声が追いかけてくることを、私はもう止めることができなかった。

 割り切ったはずの過去。けれど、私はもう、彼に名前を呼ばれる「非効率で、完璧な明日」を、静かに受け入れ始めていた。


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