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サバサバしたアラサー女子が、元後輩にだけ悶える理由  作者: 寝不足魔王


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後日談 第5話:最終契約と、割り切れない生涯

 日曜日の夕暮れ。都会の喧騒を足下に置く、小高い丘の上の展望デッキ。

 私は片手に、スマートフォンの画面に表示させた「一周年記念の進行表」を握りしめ、冷たい夜風に吹かれながら分刻みの予定を反芻していた。

「……ディナー終了。移動時間を含めて、現在五分の前倒しね。この後の夜景鑑賞に十五分を割いて、本日の全行程を完遂。完璧だわ。佐藤、ぼーっとしない。風邪を引いて明日の仕事に響くなんて、プロ失格よ」

「あはは、大丈夫ですよ、遥。……でも、そんなに時計ばかり見ないで、少しは僕のこと見てくれませんか?」

 佐藤が、以前よりもずっと頼もしくなった体つきで、いたずらっぽく私の視線を遮るように立ち塞がった。

(……一周年。ただの通過点よ。でも、これまでの時間を振り返って、これから先を確かめる重要な節目だわ。抜かりなくやりなさい、私。……でも、あいつ、さっきから妙に落ち着かないわね。……何か、私の知らないことでも企んでるの?)

 私は内心で起きた微かな胸騒ぎを、自分なりの「予感」として受け止めた。サバサバとした大人の余裕を保ちながら、私は手すりに寄りかかり、眼下に広がる宝石箱をひっくり返したような街の灯を眺めた。


 十五分の鑑賞タイムが、間もなく終了しようとしていたその時だ。

「遥。僕、今日はマニュアルにないことをします」

 佐藤の声が、夜の静寂を切り裂くように、低く、重く響いた。

「……は? 予定にない行動は困るわよ。事前の相談なしに……」

「相談してたら、意味がないんです。……遥。僕たちの人生の、本当の約束、結んでくれませんか」

 佐藤が懐から、小さな、けれど重みを感じさせる紺色の箱を取り出した。

 パチン、と乾いた音がして、中から現れたのは、街灯の光を吸い込んで白く輝く、一粒のダイヤモンドだった。


「遥、結婚してください。一生、君の隣にいたいんです」


(……やめて。たった三文字の名前を呼ばれただけで、心臓の音がうるさすぎて呼吸の仕方を忘れそうになるなんて。これじゃあ、まともに立っていられないじゃない。……認めなさいよ、私。あいつの一言で、もう手遅れだってことくらい)


 私は絶句した。

 これまで何千枚の書類を捌き、何百件の難題を理詰めで解決してきた私の頭の中が、たった一つの指輪という証拠を前に、完全に白紙にされていた。

 あまりの衝撃に、いつものサバサバとした鎧が、内側から溢れ出す熱い何かによって粉々に砕け散っていく。

「……な、何を。……唐突に。……そういうのは、もっと、段階を経てからでしょ。心の準備ができてないわよ……」

「準備なら、さっきのディナーで遥の笑顔を見た時に、自分の中で決まりました。……返事、聞かせてください」

 佐藤が、震える手で箱を差し出し、逃げ場のないほど真っ直ぐな瞳で私を射抜く。

(……肺が機能を止めた。あいつの声、私の肺活量まで削る気かしら。……今の呼び声、私の呼吸を止めるには十分すぎるわ)


 私は震える手で、その箱をひったくるように受け取った。

 涙が込み上げてくるのを、必死に凛とした口調でねじ伏せる。

「……中身を確認するわ。……デザイン、実用性。……不備はないみたいね。……はい、受けるわよ。文句なし。……当たり前でしょ、こんなところまで連れてこられて、断れるわけないじゃない!」

 言い切った瞬間、我慢していた熱い雫が、頬を伝って零れ落ちた。

「……もう、あんたのせいよ。責任取りなさいよ、悠真くん! 私の、私の平穏な人生を、めちゃくちゃにかき乱して! 割り切れないことばかり教えて……馬鹿じゃないの!」

 私は彼の胸元に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。

 サバサバ系事務リーダー。冷徹なまでのプロ意識。そんな仮面はもう、どこにもなかった。

「……遥。大好きだよ。生涯をかけて、君を幸せにすることを誓います」

 佐藤が私を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。その温もりが、これまでのどんな言葉よりも深く、私の孤独を埋めていく。

「……言葉だけじゃ足りないわ。これから先、ずっと行動で示しなさい。……一分一秒、私のことを退屈させないこと。いいわね?」

「はい! 喜んで!」


 夜景の光が、二人の重なる影を祝福するように煌めいていた。

 私の「サバサバ」という鎧は、もう再生不可能なまでに溶け去っていた。

 けれど、その代わりに手に入れたのは、どんなに理屈で考えても説明のつかない、圧倒的な幸福という名の熱だった。


---


【エピローグ】


 数ヶ月後。

 土曜日の朝、カーテンの隙間から差し込む柔らかな光で、私は目を覚ました。

 隣では、世界で一番不器用で、世界で一番私を愛する男が、穏やかな寝息を立てている。

 キッチンへ行き、二人分のお揃いのマグカップを取り出す。

(……ま、結婚なんて共同生活をスムーズにするための手段。……っていうのは、もう無理があるわね。……大好きよ、悠真)

 私は自分の頬が、かつてないほど柔らかく綻んでいるのを、窓ガラスの反射で確認した。

「……遥? おはよう。……朝から、何ニコニコしてるの?」

 起きてきた佐藤が、寝ぼけ眼で私の腰に腕を回し、耳元で囁く。


(……肺が機能を止めた。あいつの声、私の心臓を止める気かしら。……認めなさいよ、私。あいつの一言で、もう手遅れだってことくらい)


「……うるさいわね。はい、思考停止。いつまでも浸ってない。朝食の準備を終わらせなさい。……悠真くん」

「はいはい、遥さん! ……愛してるよ、遥」

「……あー、もう! 静かにしなさい! はい、この話はこれでおしまい。……じゃなくて、一生終わらせないわよ!」


 私の「割り切り」は、彼一人のために完全に形を変えた。

 でも、これが私の人生における、最高の「正解」だったのだと。

 キッチンに響く二人の笑い声が、何よりも雄弁に物語っていた。


(完)


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