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何も起きない日々
聖域の入り口で手を清める水の冷たさも、もはや肌を撫でるだけの無機質な刺激に過ぎない。
「最果ての地・エルメリア」の赤土を踏む頃には、あんなに神聖だった儀式のすべてが、ただの空虚な「作業」へと成り果てていた。
祭壇に魔石を供え、聖火を灯す。
唇から零れる「始原の詠唱」の文字列は、もはや神へ捧げる言葉ではなく、肺から漏れ出る単なる音の羅列だ。
奉納の木札を納め、無心に掌を合わせる。その一連の澱みのない動作に、かつての高揚感や敬虔さは欠片も残っていなかった。
(これだけの距離を、踏破してきたんだ)
(これだけの泥にまみれ、膝を折って祈ってきたんだ)
祈りの言葉を口ずさみながら、頭の片隅では冷徹に計算している自分がいる。
これほどの苦行を積み上げたのだ。魂が削れるほどの代償を支払ったのだ。ならば、その対価として「平穏」という名の報酬が与えられて然るべきではないか。
いつしか私の信仰は、純粋な祈りから、大聖女との「不格好な取引」へと姿を変えていた。
「これだけのことをしたんだから、きっと――」
そう自分に言い聞かせなければ、次に踏み出す一歩の重さに耐えられなかった。
それは救いなどではなく、後戻りできない自分を縛り付ける、呪いのような足枷となっていた。




