4日目の受信音
あれから数日、私は死んだように眠り、泥の中から這い出すようにしてようやく日常生活へと戻った。
身体は鉛のように重く、階段を上るだけで息が切れる。私は以前の仕事に戻っていて慣れた仕事とはいえかなりきつい。私は時折、机の端に置いた魔導通信機に視線を落とした。
画面の向こうの彼女からは、涙の滲むような感謝のメッセージが届いていた。
『あなたのおかげで、お葬式ができました。お父さんも、きっと天国で感謝しているわ』
葬式の写真が数枚送られてきた
その文字と写真を見て、確かに胸は震えた。彼女を救えた。その満足感が、擦り切れた心身を辛うじて支えていたのは事実だ。
だが、数日が経ち、極限状態だった脳が冷やされていくにつれ――私の心の奥底に、一滴の黒いインクが落ちたような、奇妙な違和感がじわりと滲み始めていた。
国境を越える遠隔送魔は、私の魔力そのものを削る行為だ。2度目は本当に死線を見た。
それほどの代償を支払ったのだ。信じていないわけではない。ただ、私の理性が、あまりにも大きすぎる喪失の穴を埋めるための「確証」を、無意識に求めていた。
『ねえ、無理にとは言わないんだけど……』
ある夜、私は通信機に向かって、慎重に言葉を選びながらメッセージを打ち込んだ。
『向こうの教会の手続きとか、病院の体制がちゃんと機能していたか少し心配で。もし手元に、病院や葬儀の領収書みたいな写しがあれば、参考までに形だけでも見せてもらうことはできるかな? こっちのギルドの特別手当の申請に使えるかもしれないから』
我ながら、酷く言い訳がましい文面だと思った。彼女を疑うような真似をして、自分はなんて汚い男なのだろうと嫌悪感も湧いた。
しかし、数時間後に送られてきた返信は、私の胸のざわつきをさらに奇妙な形へと変形させた。
ピコン、と音が鳴り、送られてきたのは一枚の画像だった。
現地の粗末な紙に、酷く崩れた文字で殴り書きされた医療明細。それは間違いなく、彼女が看病で苦しんでいた、あの病院の領収書だった。
だが、それだけだった。
いくら画面をスクロールしても、2枚目の画像は現れない。
『ごめんなさい、葬儀の方の領収書は、現地の教会が今バタバタしていて、まだ書類が発行できなくて……。でも、本当にお葬式は無事に終わったの。しばらくしたら送ります』
『あ、いや……うん。分かった。ありがとう』
声に出して通信機に呟く。
(病院のものは本物だ。なら、彼女は嘘を吐いていない。……いや、本当にそうか? 何のために?いや、彼女に限って……)
思考が、またあのカチ、カチという不穏なメトロノームの音を拾い始める。私はそれを振り払うように、一気に別の話題を叩きつけた。
「それより、もうViculusで働くのは辞めてほしいんだ」
気がつけば、指が勝手に動いていた。
『お酒を飲んで、また君が身体を壊したらと思うと、生きた心地がしない。あんな南国の、夜の社交場なんて危なすぎる。お願いだから、こっちに来るまではもう休んでいて』
『でも、生活費が……』
『月々の生活費なら、私が少し援助する。もう一ヶ月くらいでこっちへの渡航許可も下りるんだろう? それまでの短い間だ。問題ない。君の身の安全と健康が、私にとって一番大切なんだ』
それは、彼女を守りたいという純粋な優しさであると同時に、歪んだ独占欲でもあった。
自分がギルドの雑用でボロボロになりながら稼いだ、血の滲むような硬貨。それを送ることで、彼女をあの夜の街から引き剥がし、自分の管理下に置くことができる。その事実に、私は酷く歪んだ安心感を覚えていたのだ。
それからの日々は、まるで嵐の前の静けさだった。
私の仕送りによって、彼女は店を辞めた。毎夜の通信も、どこか穏やかなものに変わっていった。身を削り、金を送り、彼女という幻を繋ぎ止めている生活。だが、もうすぐ彼女がこの新居のドアを叩く。その希望だけが、私を突き動かしていた。
そして、ついにその日が来た。
『ついに渡航許可書が完成したわ!国の役所から承認が出たの!』
画面に躍る文字を見た瞬間、私は新居のリビングで拳を握りしめた。
やった。ついにやったのだ。あの過酷な手続き、2度の死にかけた送魔、すべての苦労が報われる瞬間が、すぐそこまで来ている。
『本当によかった……! すぐにこっちへ来る準備を進めよう。荷物は……』
歓喜に震える指で、私は一気に返信を送り、彼女からの次の連絡を待った。
――だが。
その日を境に、魔導通信機は、ぴたりと沈黙した。
1日目。荷まとめで忙しいのだろうと自分に言い聞かせた。
2日目。嫌な汗が背中を伝う。メッセージは『未読』のままだ。
3日目。ギルドの仕事など、一切手がつけられなかった。新居の真新しい板張りの床を、獣のように行ったり来たりしながら、液晶画面を凝視し続ける。画面は、死んだ魚の目のように冷たく黙り込んだままだ。
胸の奥のメトロノームが、狂ったようなテンポで脳髄を叩く。これは彼女を待つカウントダウンではない。私の精神が、内側から粉々に砕け散っていく秒読みだ。
そして、音信不通になってから丸3日が経過した、4日目の深夜。
枕元で、待ち望んだ通信機が、悲鳴のような通知音を響かせた。
跳ね起き、画面に飛びつく。
しかし、画面に浮かび上がったのは、私の期待を無残に打ち砕くものだった。




