表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/42

4日目の受信音

あれから数日、私は死んだように眠り、泥の中から這い出すようにしてようやく日常生活へと戻った。

身体は鉛のように重く、階段を上るだけで息が切れる。私は以前の仕事に戻っていて慣れた仕事とはいえかなりきつい。私は時折、机の端に置いた魔導通信機に視線を落とした。

画面の向こうの彼女からは、涙の滲むような感謝のメッセージが届いていた。


『あなたのおかげで、お葬式ができました。お父さんも、きっと天国で感謝しているわ』


葬式の写真が数枚送られてきた

その文字と写真を見て、確かに胸は震えた。彼女を救えた。その満足感が、擦り切れた心身を辛うじて支えていたのは事実だ。

だが、数日が経ち、極限状態だった脳が冷やされていくにつれ――私の心の奥底に、一滴の黒いインクが落ちたような、奇妙な違和感がじわりと滲み始めていた。

国境を越える遠隔送魔は、私の魔力そのものを削る行為だ。2度目は本当に死線を見た。

それほどの代償を支払ったのだ。信じていないわけではない。ただ、私の理性が、あまりにも大きすぎる喪失の穴を埋めるための「確証」を、無意識に求めていた。


『ねえ、無理にとは言わないんだけど……』


ある夜、私は通信機に向かって、慎重に言葉を選びながらメッセージを打ち込んだ。


『向こうの教会の手続きとか、病院の体制がちゃんと機能していたか少し心配で。もし手元に、病院や葬儀の領収書みたいな写しがあれば、参考までに形だけでも見せてもらうことはできるかな? こっちのギルドの特別手当の申請に使えるかもしれないから』


我ながら、酷く言い訳がましい文面だと思った。彼女を疑うような真似をして、自分はなんて汚い男なのだろうと嫌悪感も湧いた。

しかし、数時間後に送られてきた返信は、私の胸のざわつきをさらに奇妙な形へと変形させた。

ピコン、と音が鳴り、送られてきたのは一枚の画像だった。

現地の粗末な紙に、酷く崩れた文字で殴り書きされた医療明細。それは間違いなく、彼女が看病で苦しんでいた、あの病院の領収書だった。

だが、それだけだった。

いくら画面をスクロールしても、2枚目の画像は現れない。


『ごめんなさい、葬儀の方の領収書は、現地の教会が今バタバタしていて、まだ書類が発行できなくて……。でも、本当にお葬式は無事に終わったの。しばらくしたら送ります』


『あ、いや……うん。分かった。ありがとう』


声に出して通信機に呟く。


(病院のものは本物だ。なら、彼女は嘘を吐いていない。……いや、本当にそうか? 何のために?いや、彼女に限って……)


思考が、またあのカチ、カチという不穏なメトロノームの音を拾い始める。私はそれを振り払うように、一気に別の話題を叩きつけた。


「それより、もうViculusで働くのは辞めてほしいんだ」


気がつけば、指が勝手に動いていた。


『お酒を飲んで、また君が身体を壊したらと思うと、生きた心地がしない。あんな南国の、夜の社交場なんて危なすぎる。お願いだから、こっちに来るまではもう休んでいて』


『でも、生活費が……』


『月々の生活費なら、私が少し援助する。もう一ヶ月くらいでこっちへの渡航許可も下りるんだろう? それまでの短い間だ。問題ない。君の身の安全と健康が、私にとって一番大切なんだ』


それは、彼女を守りたいという純粋な優しさであると同時に、歪んだ独占欲でもあった。

自分がギルドの雑用でボロボロになりながら稼いだ、血の滲むような硬貨。それを送ることで、彼女をあの夜の街から引き剥がし、自分の管理下に置くことができる。その事実に、私は酷く歪んだ安心感を覚えていたのだ。

それからの日々は、まるで嵐の前の静けさだった。

私の仕送りによって、彼女は店を辞めた。毎夜の通信も、どこか穏やかなものに変わっていった。身を削り、金を送り、彼女という幻を繋ぎ止めている生活。だが、もうすぐ彼女がこの新居のドアを叩く。その希望だけが、私を突き動かしていた。

そして、ついにその日が来た。


『ついに渡航許可書が完成したわ!国の役所から承認が出たの!』


画面に躍る文字を見た瞬間、私は新居のリビングで拳を握りしめた。

やった。ついにやったのだ。あの過酷な手続き、2度の死にかけた送魔、すべての苦労が報われる瞬間が、すぐそこまで来ている。


『本当によかった……! すぐにこっちへ来る準備を進めよう。荷物は……』


歓喜に震える指で、私は一気に返信を送り、彼女からの次の連絡を待った。

――だが。

その日を境に、魔導通信機は、ぴたりと沈黙した。

1日目。荷まとめで忙しいのだろうと自分に言い聞かせた。

2日目。嫌な汗が背中を伝う。メッセージは『未読』のままだ。

3日目。ギルドの仕事など、一切手がつけられなかった。新居の真新しい板張りの床を、獣のように行ったり来たりしながら、液晶画面を凝視し続ける。画面は、死んだ魚の目のように冷たく黙り込んだままだ。

胸の奥のメトロノームが、狂ったようなテンポで脳髄を叩く。これは彼女を待つカウントダウンではない。私の精神が、内側から粉々に砕け散っていく秒読みだ。

そして、音信不通になってから丸3日が経過した、4日目の深夜。

枕元で、待ち望んだ通信機が、悲鳴のような通知音を響かせた。

跳ね起き、画面に飛びつく。

しかし、画面に浮かび上がったのは、私の期待を無残に打ち砕くものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ