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銀輪と空白の枕

翌朝、港の空気は塩分と魔導艇の排熱が混じり合い、祭りのあとのような騒がしさに包まれていた。

テトラ・コニカル島行きの大型定期船『アルビオン号』は、巨大な白い鯨のように岸壁に横付けされている。

出航まで残り三十分。

私は改札のすぐそばで、自国の土より幾分軽い、異国の石畳を爪先で叩いていた。


「……遅い」


これが新婚旅行ということは彼女たちは知っている。つまり私達の親睦を深める旅でもある。なのに、主役の彼女達が現れない。

残り二十分。

背負ったリュックのストラップを、無意味に締め直す。

その時魔導通信機が震える


『ごめんなさい、道が混んでて今向かってる』


液晶に浮かぶ無機質な文字を睨みつける。この国の渋滞がどれほど酷いか、ここで暮らす彼女が一番よく知っているはずだ。なぜそれを計算して動かないのか。焦燥よりも先に、泥のような不満が胸の底に溜まっていく。

残り十分。

タラップを上がる乗客の列が途切れた。船員が係留ロープに手をかけ、汽笛が胃の腑を揺らすような低音で吠える。焦燥が汗となって背中を伝った。もし間に合わなかったら? 私は一人で過ごすのか? そもそも、彼女に何かトラブルがあったのでは――。


「待って! 待ってくださーい!」


残り五分。

人混みの向こうから、見覚えのある色の髪が魔導馬車から降りてくるのが見えた


「間に合った……よね?」

私の腕にしがみつく彼女。その腕には、島での滞在用だろうか、沢山の荷物がぶら下がっている。


「……間に合わなかったらどうするつもりだったの」


呆れを通り越して吐き出した言葉に、彼女は「えへへ」と、なんとも締まりのない笑みを返した。


船が動き出し、テトラ・コニカル島までの航路に群青の海が広がる。

島では彼女の両親の歩調に合わせ、名所を巡った。だが、十七時に着いた島はすでに影が長く、一箇所を回るのが精一杯だった。

そして、賑やかな晩餐が終わり、ようやく訪れた二人きりの夜。

ホテルのテラスに出ると、そこには言葉を失うほどの絶景が広がっていた。


空を埋め尽くす、暴力的なまでの星々。

天の川が、まるで巨大な竜の脊髄のように夜空を横切っている。

隣に立つ彼女の横顔も、星の光を受けて淡く発光しているようだった。


夜、十時。

テラスを包んでいた暴力的な星空も、彼女の一言で急速に色褪せていった。


「お母さんに挨拶してくる…」


その言葉に、私は何も言い返せなかった。この国の人々にとって、家族の絆は絶対だ。恋人や婚約者よりも血縁が優先される文化だと、知識では知っていた。これから海を越えて私と結婚し、故郷を離れる彼女だ。積もる話も、涙ながらの別れもあるのだろう。

私は、せっかくの二人きりの時間を独占したいという幼稚な独占欲を、喉の奥へ押し殺した。


「わかった。ゆっくりおいで」


見送る私の視界の端で、彼女の指元にある銀色の輪が、冷たく光った気がした。


(まぁ、一時間もすれば戻るだろう……)


そんな淡い期待を抱きながら、私は天井を見つめていた。しかし、慣れない異国の風と、日中の人混みに疲弊していた身体は、焦燥感に抗えず、いつの間にか意識を深い闇へと引きずり込んでいった。


――翌朝。

カーテンの隙間から差し込む、容赦のない陽光で目が覚めた。

隣を見ると、彼女はいた。いつからそこにいたのか、どんな顔をして戻ってきたのか、一切の記憶がない。

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