青き博物閣と、未完の左手
『階層庭園都市アイヤーラ・テラス』の喧騒の中、私は彼女を待っていた。吐き出される人混みをぼんやりと眺める時間は、もはや私にとって日常の一部だ。遅れる彼女に苛立ちを覚える時期は、とうに過ぎている。
ふと、雑踏の色彩が一点だけ鮮やかに塗り替えられた。
「お待たせ!」
駆け寄る彼女の姿が網膜に焼き付く。見慣れたはずの横顔。けれど、今日という日の特別さが彼女を底上げしているのか、群衆の中で彼女だけが発光しているような錯覚さえ覚えた。やはり、私の選んだ女性は、誰よりも眩しい。
昼食はモール内のテラスで、手短に済ませた。向かい合って笑う彼女を見ていると、胸の奥に燻っていたいくつもの問いかけが、炭酸の泡のように弾けて消えていく。今、この瞬間を壊してまで暴くべき真実など、どこにもないような気がした。
いくつかの店を巡り、私たちは一つの指輪を選んだ。彼女の細い指に似合う、華奢な銀の輪。私の予算からすればいささか控えめな買い物だったが、彼女の瞳はどんな宝石よりも潤んで見えた。
(自国に戻って、暮らしが落ち着いたら、もっと良いものを……)
そんな言い訳を内心で呟きながら、手に入れたばかりの小さな箱を、壊れ物を扱うようにポケットへ忍ばせる。
まだ、彼女の指は「空席」のままだ。
そこに収まる資格が、自分にあるのかどうか、私は考えないようにした。
熱を帯びたモールの喧騒を抜け、私たちは午後の光が遮られた青い静寂――『水生魔導博物閣』へと足を踏み入れた。




