卒業、そして帰国
鏡の中にいるのは、見慣れたローブ姿の学生ではない。
肩に馴染む鋭い裁断、首元を締め上げる冷たいネクタイ。
魔法具師志望の彼が「餞別」だと言って無理やり着せ替えた、不器用な勝負服だ。
「……似合わないかな?」
「いいえ。本来のあなたより、ずっと『魔法使い』らしく見えますよ」
ついに、卒業式の日が来た。
勝負服に袖を通撫でながら、ふと指先を見る。
文字を書き続けたペンだこは、まだ薄く残っている。
消費した羊皮紙の束、自習室の酸素が薄くなるまで読み耽った魔導書、そして、制御を誤り壁に風穴を空けたあの日の青ざめた顔。
積み上げた時間は、嘘をつかない
それでも私は、逃げなかった。
あの聖地巡礼で一歩ずつ足を出したように、
式場に入ると、空気が違った。
若い先生が、白髪混じりの生徒の肩を叩きながら笑っている。
二人の年齢差は親子ほどあるのに、その距離はまるでゼロだ。
魔導通信機を掲げ、何度もシャッター音が鳴る。
誰もが声を上げ、誰もが遠慮なく抱き合う。
私の国では、あまり見ない光景だった。
「年齢なんて、ただの数字だよ」
誰かがそう言って笑った。
その言葉は、太陽みたいに眩しくて、
私の中にあった「年相応でなければならない」という硬い殻を、
静かに、しかし確実に溶かしていった。
ふいに、20年以上前の中等部での卒業式を思い出す。
大講堂の冷たい床。
すすり泣きの声。
泣いている同級生を、私は少し冷めた目で見ていた。
「たかだか学校を卒業するだけだろ」
心のどこかで、そう思っていた。
感情に流されることが、子どもっぽく見えたのだ。
泣かない自分のほうが、少しだけ大人だとさえ思っていた。
だが、今ならわかる。
全力で駆け抜けた時間には、
ちゃんと重さがある。
言葉に詰まり、笑われ、悔しくて、
それでも翌日また教室に座った日々。
授業後の雑談。
くだらない冗談。
名前を呼ばれる、それだけで嬉しかった瞬間。
ここには、確かに「居場所」があった。
離れるということは、
その居場所を、自分の意思で手放すということだ。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
私は視線を少し上げ、涙を堪えた。
三十歳を過ぎて、
異国の地で、ようやく知った。
涙とは、弱さではなく、
全力でそこに居た証なのだと。
式が終わり、喧騒が遠のいていく。
あの魔導具師の彼も、もう自分の道へ歩き出すのだろう。
中心に立ち尽くす私を、妙な静けさが包み込む。
それは寂寥ではなく、次の一歩を踏み出すための、澄み渡った静寂だった。
早朝四時。まだ夜が明ける気配さえない街を、私は後にした。
寝坊が許されない緊張感の中、一睡もできずに迎えた出発の朝。半年前にここへ降り立った時は、トラブルの連続に「今すぐ自国に帰りたい」と震えていたのに。
今、私の胸を占めているのは、皮肉にも「帰りたくない」という、しがみつくような未練だった。
「風導の港」に到着する。
半年ぶりに見るその建物は、初めて見た時よりもずっと小さく、頼りなく見えた。それはきっと、私の世界がこの半年でそれ以上に広がったからだろう。
かつては僅かな炎を絞り出すのにも喉の奥が焼けるような苦しみを味わった。だが、今の私は違う。転移陣を管理する高圧的な魔導師たちとのやり取りは、もはや単なる手続きではなく、私の上達した魔法を見せつけるためのステージだった。
複雑な入国術式を、瞬き一つの間に無詠唱で解き明かし、彼らの掲げる検知石を眩いまでの黄金色に染め上げてみせる。驚愕に目を見開く管理官たちの沈黙を背に受けながら、私は自らの内側に満ちる魔力の脈動を、至高の陶酔とともに噛み締めていた。
搭乗手続きを終え、ついに飛行船内へ。
座席に身を沈めると、この半年の記憶が、とめどなく溢れ出してきた。
急性胃腸炎での孤独な入院。魔道馬車での小競り合い。カジノで溶かした金。道端で小さな子供から買い取った、使い道のないボロボロの布。
それらすべてが、今の私を形作る愛おしいピースだった。
あとは、彼女が見送りに来てくれていれば完璧だったのだが。
「彼女は今頃、夢の中にいるだろう」
そう自分に言い聞かせる。夜通し働く彼女の過酷さを知っているから、寂しさを感じるのは筋違いだと分かっていた。分かってはいるが、胸の奥には冷たい隙間風が吹いていた。
離陸の衝撃が、私の体をシートに押し付ける。
重力に抗って機体が浮き上がった瞬間、私はたまらず魔道通信機を開いた。
指先が、彼女との対話記録をなぞる。……既読は、まだない。
「きっと、まだ寝ているんだ」
誰に宛てるでもない弁明を心の中で繰り返し、私は逃げるように通信機の魔力を遮断した。
画面が消え、ただの冷たい黒石の板へと戻る。
窓の外では、白い雲が異国の街を覆い隠していく。
財布の中にはまだ、彼女の元へ置いてきたはずの四つ葉のクローバーのお守りの、小さな手触りが残っているような気がした。
魔法学校編終了です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
1週間程経ちましたら続きを載せていこうと思います。
魔道具師を目指す彼は?恋人とはどうなるのか?
お楽しみに




