救済は、カビの匂いのする部屋で
三度目にして、ようやく彼女はやってきた。
だが、その場所は、あの一泊金貨二枚の宿ではなかった。
二度も反故にされ、
私が天井の染みを数えながら夜を明かした、あの部屋ではない。
『Viculus』のすぐ裏手にある、誰もが知っている格安宿だった。
玄関が開いた瞬間、湿った空気がまとわりつく。
カビと古い洗剤の混じった匂いが、肺の奥に沈む。
壁は薄い。
廊下の笑い声が、そのまま部屋に流れ込む。
シーツは、白というより灰色に近かった。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな」
思わず、心の中で呟く。
金貨四枚を無駄にしてでも、
私はあの綺麗な部屋に彼女を招きたかった。
清潔なベッドで、
夜景を背に、
“ちゃんとした夜”を過ごしたかった。
一度は掴みかけた理想が、
彼女の不在によって消えたという事実が、
今さら小さく疼く。
だが――
目の前には、生身の彼女がいる。
ボロい照明の下で、
キャストとしての笑顔ではなく、
少し疲れた、等身大の顔で。
それだけで、十分だった。
部屋が汚れていようと、
壁が薄かろうと、
ここに彼女がいるという事実が、
すべてを上書きしていく。
私たちは、短い時間をそこで過ごした。
そして彼女の出勤時間が近づき、
再び『Viculus』へ向かって歩き出す。
端から見れば、
安い宿で時間を過ごし、
そのまま彼女を店に送り届ける男。
都合のいい存在。
そう見えただろう。
けれど――
夜の街を並んで歩きながら、
私の胸は奇妙なほど満たされていた。
高級宿でなくてもいい。
理想の演出がなくてもいい。
彼女と同じ時間を、同じ空気を吸った。
それだけで、私は救われていた。
私は思った。
ここから、やり直せる。
このボロい宿が、
私たちの新しい始まりになる。
そう信じて、疑わなかった。
彼女の半歩後ろを歩きながら、
私は自分がどこへ向かっているのかを、
深く考えないようにしていた。




