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血の月と、赤面する純愛

待ち合わせの十五分前、私は「階層庭園都市アイヤーラ・テラス」の喧騒の中にいた。

先週から伸びきっていた鼻の下を、今は精一杯、元の位置まで引き締めている。

傍から見れば、ただの浮かれた魔法学校の生徒だろう。だが、私は私なりに、聖地巡礼で培った観察眼を総動員して「警戒」していた。

「異国の女性に騙された男」

そんな悲喜劇は、図書館で調べれば掃いて捨てるほど出てくる。私は彼女の「夜の顔」しか知らない。今日の密会では、彼女が本当に信じるに値する人間かを見極めるための、いわば「最終試験」なのだ。

だが、約束から一時間が過ぎた頃。

現れた彼女の弾けるような笑顔を見た瞬間、私の「試験官」としてのプライドは、異国の雨に流される泥土のように霧散した。


「やれやれ……異国の砂時計は、随分と底が広いらしい」


そんな余裕ぶった苛立ちは、彼女が私の腕に触れた瞬間に、甘美な高揚感へと上書きされてしまった。

レストランを探すエスカレーターでのことだ。

ふと、前方に妖艶な衣装を纏った女性が立っていた。男の悲しい性か、私は無意識にその背中を目で追ってしまう。

その刹那、視界が漆黒に染まった。

背後から、耳を劈くような叫び声。彼女の手が、私の両目を力任せに覆っていたのだ。

「この国の女性の嫉妬は凄まじい」という噂は聞いていたが、まさかこれほどとは。だが、その独占欲すら、今の私には「それほど俺に狂っているのか」という、極上のスパイスにしか感じられなかった。

店に入り、食事をしながら、私たちは語り合った。過去、現在、そして未来。

彼女はまだ正式な渡航許可書を持っていないという。「いつか一緒にあなたの故郷へ行けたら」……そんな夢想が、彼女の言葉から膨らんでいく。

その時だった。

彼女のグラスに黒い炭酸水を注ぎ入れた瞬間、不自然な乾いた音が響いた。

何の前触れもなく、グラスが真っ二つに割れたのだ。


(ふむ。不吉な予兆を知らせる占いか、あるいは単なる器の寿命か)


本来なら、未来の魔法戦士として万全の警戒を敷くべき異常事態だ。だが、今の私には、それすらも私たちの出会いを祝う「無作法な祝砲」程度にしか感じられなかった。

支払いをスマートに済ませ、夜の帳が下りた「階層庭園」の外を散歩する。

隣を歩く彼女の温もりは、夢のように心地よい。だが、表向きの笑顔の裏側で、私の脳内では冷徹な「計算」が始まっていた。


(本当に、彼女を守り抜けるのか?)


あまりにトントン拍子だった。生涯を共にする誓いだけでも大仕事なのに、相手は文化も言葉も、魔導の体系さえ違う異邦人だ。

かつて禁じられた古文書の片隅で読んだ、「異国の徒と結ばれた者の末路」……。

数々の「悲劇的な伝承」が脳裏をかすめる。十のうち九つが破滅に終わるという、冷酷な統計。

その不安が、腕を絡ませる私の筋肉に伝わったのだろうか。

彼女がふと足を止め、不安げに私の顔を覗き込んできた。大きな瞳に、夜の魔導灯が揺れている。

だが、私が無理に口角を上げると、彼女は安心したように笑い、私の肩にそっと頭を委ねてきた。

柔らかな髪の香りが鼻をくすぐる。

ふと見上げた夜空では、銀色だったはずの月が、あろうことか不気味なほどに赤く染まっていた。

本来なら、凶事の前触れとして魔導師たちが色をなして騒ぎ立てる怪異だ。

だが、今の私には、「冷徹な月でさえ、私たちの密会に当てられて赤面している」のだと、そんなふざけた妄想さえ真実味を帯びて感じられた。

その瞬間、抱いていた卑小な理屈や不安は、夜風にさらわれる砂のように吹き飛んでしまった。

大聖女マーレ様は、相変わらず何も言ってくれない。1200kmを共に歩んだあの方も、この道が真理への正解なのか、それとも底なしの断崖絶壁に向かっているのか、沈黙の向こう側でただ静観している。


(ならば、私が決める)


肩にかかる彼女の重みを、私は愛おしく感じていた。

たとえ、それが私を地獄へ引きずり込む「血の月」の引力だとしても。


(絶対に、幸せにする)


赤く照れた月も、星も、そしてマーレ様さえ見ていない異国の夜で。

私は自分にそう誓い、彼女をより一層強く抱き寄せた。

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