二十分の一の必然
魔導馬車の運転手に少し多めに銀貨を握らせ、目的地に到着した。
石造りの街並みの中で、そこだけが異質な光を放っていた。入り口には夜の闇を切り裂く、毒々しいほど鮮やかな桃色の光。細いガラス管の中を走る魔導の火花が、『Viculus』という文字を空中に焼き付けていた。軒先では、光沢のある燕尾服を着た人達が、通りを歩く騎士や商人に、香水を染み込ませた魔導カードを配りながら、甘い言葉で誘いをかけていた
一歩進むごとに、心臓が肋骨を裏側から叩くのが分かった。
この扉の向こうには、私が二ヶ月間遠ざけてきた「誘惑」と「快楽」が澱んでいる。
自国の山々を歩き、無欲を説く教えに触れてきた自分が、今、自らの意思で煩悩の渦に飛び込もうとしている。その背徳感が、乾いた喉をさらに締め付けた。
手を伸ばす。指先が扉の取っ手に触れた瞬間、微かな冷たさが伝わってきた。
ここを開ければ、もう「孤独な巡礼者」には戻れない。
私は、自嘲気味に口角を上げた。
「大聖女マーレ様、見ていてください。……これもまた、私なりの『修行』なのです」
肺いっぱいに熱い空気を吸い込み、期待に
胸を膨らませ、私はその重い扉を押し開けた。
「イラッシャイマセー! コンバンハー!」
扉を抜けた瞬間、鼓膜を震わせる異様な高音の合唱に圧倒された。
視界に飛び込んできたのは、人工的な光が乱反射する眩い異世界だ。
重苦しい湿熱の外気はどこへやら、キンキンに冷えた空気に混じって、甘ったるい香水と煙草の匂いが肺の奥まで侵入してくる。
それは、現実感を剥ぎ取る魔法の霧のようだった。まるで、毒々しい原色で彩られた大人の絵本の中に、迷い込んでしまったかのような錯覚。
「こちらへどうぞ、ハンサムな魔導士様」
熟練の笑みを浮かべた『夜の女主人』に案内され、深く沈み込むような革のソファーに身を預ける。
東方の島国の言葉を交えた、呪文のような料金説明すら、今の俺には心地よいBGMでしかなかった。
そして、ついにその時が来る。――『選別の儀』だ。
二十人を超える美しい女性たちが、一斉に俺のテーブルを囲んだ。
(お兄さん、私を選んで……)
言葉には出さずとも、湿り気を帯びた無数の視線が、獲物を狙うように俺に絡みついてくる。
その圧倒的な熱量に、俺は呼吸を忘れ、深く沈んだソファーの上で硬直した。
――だが、その喧騒の中で。
俺の意識は、ある一点で不自然に静止した。
ただ一人、他の誰とも違う温度の瞳。
二十分の一の偶然か、あるいは必然か。
吸い込まれるようなその眼差しと、俺の視線が、逃げ場のない場所でカチリと噛み合った。




