第7話 強さに憧れた男と眠る職人
約束の午後三時。
カイルは、情報屋から教えられたバーの前に立っていた。
何度か紙片と看板を見比べ、場所が間違っていないことを確認する。
ここに、魔道銃の出力制限を外せる職人が待っているはず。
しかし、目の前の店はどうにも静かだった。扉には営業中を示す札もなく、曇った窓の向こうにも人影は見えない。
本当にここで合っているのだろうか。
カイルはしばらく迷った末、意を決して扉を押す。鍵は掛かっていなかった。
扉の動きに合わせて小さな鈴の音が鳴る。
「……すみません」
返事はなかった。
店内は薄暗く、カウンターには誰も立っていない。もちろん客の姿もなく、椅子はきちんと収められていた。
まだ開店前なのだろう。
そう思って引き返しかけたカイルだったが、カウンターの一番奥に置かれた酒瓶が目に入った。
その隣には、グラスが一つ。
底にはわずかな透明の液体が残っており、よく見ると小さくなった氷が浮かんでいた。
さっきまで誰かがここで酒を飲んでいた、そんな形跡だ。
「……誰かいるんですか?」
もう一度声をかける。
やはり返事はない。
だが、今度は別の音が聞こえた。
「――…グワァ」
カイルは眉をひそめた。
何かの鳴き声だろうか。
耳を澄ませていると、再び同じ音が響く。
「……グォ……グワァ……」
どうやら、カウンターの反対側にあるテーブル席の方から聞こえてきているようだ。
カイルは恐る恐るそちらへ近づいた。
半円状のソファが、入口からは見えない位置に置かれている。その背もたれを回り込んだところで、カイルは思わず足を止めた。
男が寝ていた。
それも、ずいぶんとひどい格好で。
男はソファに横たわっていたが、上半身の半分ほどが座面からずり落ち、片腕が床に垂れ下がっていた。くたびれた服には皺が寄り、足元には脱ぎ散らかした靴が転がっている。
「……グワァ」
先ほどから聞こえていた音の正体は、男のいびきだったのだ。
カイルはしばらく呆然とその姿を眺めた。
酒場で酔い潰れて放置されている客だろうか。
でもだとすれば、店員がいないのも変な話だった。
「……あの」
声をかけても反応はない。
「すみません。ちょっといいですか」
今度は少し大きな声を出したが、男は顔をしかめただけで、またいびきをかき始めた。
カイルは困り果てた。
できれば、こんな男には関わりたくない。
だが、ほかに人はいない。
仕方なく肩を揺すると、男はようやく薄く目を開いた。
「……あぁ?」
酒臭い息が漏れる。
「すみません。ここで人と待ち合わせをしているんですが」
「……何時だ」
「え?」
「今、何時だって聞いてんだよ」
「三時ですけど……」
「……もうそんな時間か」
男はそう呟くと、ゆっくり身体を起こした。
乱れた髪を掻き上げ、大きなあくびを一つ。どうやら、まだ完全には目が覚めていないらしい。
カイルは不安を覚えながら尋ねた。
「あの、Xという魔道具職人を探しているんですが、知りませんか?」
「ああ、俺だよ」
「…………は?」
「だから、俺がXだ」
男は面倒くさそうに答えた。
カイルは思わず、もう一度男の姿を見た。
情報屋は、腕だけは確かな職人だと言っていた。
正規の資格を持たないモグリではあるが、ほかの職人にはできない仕事も引き受ける男だと。
その話から、カイルはもっと寡黙で職人気質の老人を想像していた。
少なくとも、昼間から酒を飲んでソファで寝落ちするような、まるで浮浪者のような男ではなかった。
「……本当に?」
「疑うなら帰ればいいだろ」
男はそう言って立ち上がり、脱ぎ散らかした靴を履き始めた。
「で、俺に何を頼みたいんだ?」
カイルは一瞬、言葉に詰まった。
本当に、この男に頼んでいいのだろうか。
だが、ここまで来るのに何軒もの店を回った。どこへ行っても改造を断られ、ようやく見つけたのがこの男だった。
今さら引き返しても、ほかに当てはない。
「……魔道銃の改造を頼みたい」
「どんな改造だ?」
「出力制限を外してほしい。できれば、威力も上げたいんだ」
その言葉を聞くと、男は眠そうな目をカイルへ向けた。
「銃は?」
「持ってきてる」
「なら見せろ」
カイルは反射的に、肩から下げた鞄を押さえた。
この中には、父親の形見を売り、両親が残した貯蓄まで使って購入した魔道銃が入っている。
目の前の男が本当に職人なのか、まだ確信が持てなかった。
「……銃を見せるのは、お前の工房を見てからだ。そのまま持ち逃げされちゃ堪らないからな」
男はしばらくカイルを見つめていた。
怒らせただろうか。
そう思ったが、男は肩をすくめただけだった。
「……ああ、そうかよ。ならついてこい」
そうして、気だるそうに歩き始める男の後を、カイルは怪しみながらついていく。
そしてたどり着いたのは、スラムの路地にある地下へ降りた階段の先にある男の工房だった。
工房に足を踏み入れたカイルは、思わず息を呑んだ。
「……すごい」
そこは、彼が想像していた場所とはまるで違っていた。
壁際にはさまざまな工具が整然と並び、棚には用途ごとに分けられた部品が収められている。中央の作業台には見慣れない器具がいくつも置かれていたが、どれも手入れが行き届いているようだった。
決して広い工房ではない。
それでも、ここが仕事をするために整えられた場所であることは、一目で分かった。
スラムへ入ったときは、どうなることかと思った。
薄暗い路地に古びた建物がひしめき、道のあちこちには得体の知れない臭いが漂っていた。
あの酒場で酔い潰れていた男に連れられ、そんな場所の奥へ進んでいくのだから、不安にならない方がおかしい。
途中で鞄を奪われるのではないか。
人気のない場所へ連れ込まれるのではないか。
そんなことまで考えていた。
ところが、たどり着いた工房は、カイルがこれまで訪れた正規の修理店にも引けを取らないほど立派だった。
何より、あのだらしない男が使っているとは思えないほど、整理されている。
カイルは棚に並んだ工具を眺めているうちに、ふと昔のことを思い出した。
父親も、剣の手入れをするときは道具を決まった場所に並べていた。
刃を拭う布、細かな傷を確かめる器具、魔力回路の状態を調べるための小さな道具。
どれも古びていたが、父親は使い終わるたびに丁寧に拭き、元の場所へ戻していた。
子供の頃、カイルが勝手に道具を動かすと、父親は少し困ったように笑いながら、必ず正しい位置へ戻したものだった。
――道具はな、使いたいときにすぐ使えるようにしておくもんだ。
そんな言葉まで思い出した。
父親は、決して強いハンターではなかった。
それでも、剣の手入れだけは欠かさなかった。
そして、そのおかげで剣は予想以上の値段で売れた。
カイルは胸の奥に、わずかな痛みを覚えた。
「おい」
声をかけられ、我に返る。
レオンは作業台の前に腰を下ろし、こちらを見ていた。
「いつまで突っ立ってんだ。銃を見せろよ」
「あ、ああ……」
カイルは慌てて鞄を下ろした。
留め具を外し、中から厚手の布に包まれた魔道銃を取り出す。
布をほどく前に、カイルは一度だけレオンを見た。
男は何も言わず、待っている。
カイルはゆっくりと布を開いた。
現れたのは、黒い銃身を持つ旧式の魔道銃だった。
中古品だけあって細かな傷は多く、握りの部分には以前の持ち主がつけたらしい擦れ跡も残っている。
それでも、カイルにとっては大切な武器だった。
購入した日のことを、今でも覚えている。
初めて手にしたときの重さ。
これで自分も変われるのだと、胸が高鳴ったこと。
そして、父親の剣を売った金が、この銃に変わったのだという実感。
カイルは布の端を整え、銃を傷つけないよう慎重に作業台へ置いた。
「……これだ」
レオンは銃を手に取ると、まず外観を確かめた。
銃身を光にかざし、側面の刻印を眺める。
「古い型だな。ずいぶん使い込まれてる」
「中古だからな」
「見りゃ分かる」
レオンはそう答えると、慣れた手つきで銃の一部を開き、内部の魔力回路を調べ始めた。
その動きに迷いはなかった。
先ほどまでソファでいびきをかいていた男とは、まるで別人のようだった。
カイルは思わず、その手元に見入った。
「……なるほどな」
レオンが小さく呟く。
「出力制限を外すこと自体は難しくねぇ。ただ、この銃じゃ回路も銃身も高出力に耐えられねぇぞ」
「……どのくらい威力が上がる?」
「設定次第だな。今の倍以上にもできるだろうが、その分だけ銃への負担も大きくなる」
「倍以上……」
カイルは思わず身を乗り出した。
今の倍の威力があれば、これまで歯が立たなかった魔物にも通用するかもしれない。
そうなれば、もっと稼げる。
もっと強い魔物を倒せる。
父親とは違うハンターになれる。
そんな考えが、次々と頭に浮かんだ。
「ただし」
レオンの声が、その想像を遮った。
「安全装置を外したら、いつ壊れてもおかしくねぇ。使い方によっちゃ、一発目で銃身が破裂することもある」
「……そんなに危険なのか?」
「当たり前だろ。壊れねぇように制限してあるんだからな」
―—まあ、さすがにそんなお粗末な仕上がりにはしないがな。
レオンは静かにそう続けてから、銃を作業台へ置いた。
「改造したところで、お前自身が強くなるわけじゃねぇ。威力が上がるだけだ。そこは勘違いすんなよ」
カイルは唇を噛んだ。
そんなことは分かっている。
自分に才能がないことくらい、誰よりも自分が理解している。
だからこそ、武器に頼ろうとしているのだ。
剣を振るっても成果は出なかった。
銃に持ち替えても、大して変わらなかった。
それなら、せめて武器の威力だけでも上げるしかない。
カイルの決心は揺るがなかった。
「……それでもいい」
カイルは答えた。
「危険なのは分かった。それでも、やってほしい」
レオンはしばらくカイルの顔を眺めていたが、やがて小さく肩をすくめた。
「そうかよ」
そして、作業台の上に置かれた銃を指で軽く叩いた。
「なら、改造費は十万ルピーだ」
「十万……」
決して安い金額ではない。
だが、払えない額でもなかった。
カイルは頭の中で残りの貯蓄を計算した。
改造費を払えば、しばらく生活は苦しくなるだろう。
それでも、今より強い魔物を狩れるようになれば、すぐに取り戻せるはずだ。
いや、取り戻さなければならない。
「……分かった。十万ルピーで頼む」
レオンは頷いた。
「じゃあ、預かるぜ」
そう言って、再び魔道銃を手に取った。
カイルはその様子を見つめながら、胸の奥に湧き上がる期待を抑えきれずにいた。
ようやく、自分にも道が開けた気がした。
父親のようにはならない。
今度こそ、もっと強いハンターになれるんだ。
カイルはそう信じていた。




