第3話 幸運で不幸なハンターと魔道剣
工房の中へ足を踏み入れたボルクは、改めて室内を見回した。
壁一面に設けられた棚には、大小さまざまな部品が種類ごとに並べられ、中央の大きな作業台には、見たこともない形状の工具が整然と置かれている。天井から吊るされた魔道灯は明るく、地下特有の湿っぽい空気の中に、金属と油の混ざった独特の匂いが漂っていた。
スラム街の入口にある、薄汚れた地下室。
そんな場所に、これほど立派な工房があるなんてボルクは想像もしていなかった。
「ほら、剣を見せてみろ」
作業台の向こうに立った男が、片手を差し出してきた。
ボルクは慌てて剣を鞘から抜き、柄を男へ向ける。男は受け取った剣を軽く持ち上げ、刀身の状態を確かめるように眺めると、そのまま柄を握って魔力を流し込んだ。
ほんの一瞬、刀身に淡い光が走りかけたが、すぐに消えてしまう。
男は眉をわずかに動かすと、今度は剣を傾け、柄の付け根に視線を落とした。
「なるほど。魔力回路の一部が駄目になってるのか。それに、随分と年季の入った構造だな」
「……それだけで分かるのか?」
思わず聞き返したボルクに、男は剣から目を離さないまま答えた。
「だいたいはな」
ボルクは驚きを隠せなかった。
これまで訪ねた魔道具屋の中にも、剣の外見から古い製品だと見抜いた職人はいた。しかし、故障の原因を突き止めるには、どの店でも柄を分解して内部を調べる必要があった。
それなのに、目の前の男は剣を手に取って魔力を流しただけで、あっさりと原因を言い当ててしまった。
「……直せるか?」
期待と不安が入り混じり、声が自然と小さくなる。
「もちろん」
男は迷う素振りすら見せなかった。
「ほ、本当か!?」
思わず身を乗り出したボルクに、男は少しだけ顔をしかめた。
「嘘は言わねぇよ」
そのあまりにも当然だと言わんばかりの態度に、ボルクの胸が熱くなった。
昨日まで、どこの店でも修理は難しいと言われ続けていた剣だった。もう二度と使えないかもしれないと諦めかけていたものを、この男は何でもないことのように直せると言っている。
しかし、喜びが込み上げたのも束の間、ボルクはあることを思い出した。
「……いくら掛かる?」
修理できるとしても、代金を払えなければ意味がない。
昨日訪れた店では、部品を用意するだけで七十万ルピーが必要だと言われた。腕の立つ職人なら、それ以上の金額を要求されても不思議ではない。
男は剣を作業台へ置くと、少し考えるように首を傾げた。
「十万だな」
「……十万?」
ボルクは耳を疑った。
十万ルピー。貧乏なボルクにとって決して小さな金額ではないが、昨日までに聞かされた修理代と比べれば、信じられないほど安かった。
「本当に十万でいいんだな?」
「ああ」
「支払いは前払いか? それと、いつ頃できる?」
「出来上がった後でいい。このくらいなら二、三時間ってところだろうな」
「そ、そんなに早く終わるものなのか? 確か、もう手に入らない珍しいパーツが必要だって話だったんだが……」
「パーツならある」
男はそれだけ言うと、壁際の棚へ視線を向けた。
ボルクには、その言葉が本当なのか確かめる術はなかった。だが、これまでの店とは違い、目の前の男には何の迷いも感じられない。
「……信じるぞ」
ボルクがそう告げると、男は肩をすくめ、剣を作業台の上へ置いた。
「なら、出来上がる頃に戻ってこい」
* * *
工房を後にしたボルクは、自宅へ向かう道を足早に歩いていた。
手元には、もう剣がない。
一年間、魔物を狩るときも、食事をするときも、眠るときでさえ近くに置いていた剣を、名前も素性も分からない男に預けてきたのだ。
本当に信用してよかったのだろうか。
工房へ戻ったとき、あの男も剣も消えていたらどうすればいいのか。
そんな不安が何度も頭をよぎり、そのたびにボルクは歩きながら小さく首を振った。
そもそも、今の自分にほかの選択肢などない。
ようやく自宅へ戻ると、部屋の奥に置かれた古い箪笥を開け、衣服の下に隠していた封筒を取り出した。
中には、これまで少しずつ切り崩してきた貯金の残りが入っている。
ボルクは皺のついた紙幣を一枚ずつ数え、十万ルピーを抜き取った。
手元に残る金は、もうほとんどない。
それでも、剣さえ直ればまたハンターを続けることができる。
そう自分に言い聞かせ、ボルクは紙幣を封筒へ戻すと、再び家を出た。
* * *
工房を出てから早二時間。
ボルクは再び、あの地下工房の前に立っていた。
先ほどと変わらず周囲の路地は静かで、地上の入り口からは遠くを行き交う人々の声がかすかに聞こえてくる。
金属製の扉を前にすると、胸の奥に押し込めていた不安が再び膨らんできた。
ボルクは封筒の入った懐を一度押さえ、意を決して扉を叩いた。
コン、コン。
少し間を置いて、扉の奥から小さな作動音が聞こえた。
続いて鍵の外れる音が響き、重たい金属製の扉がゆっくりと開いていく。
てっきり男が内側から開けたのだと思ったボルクだったが、扉の向こうを覗き込むと、当の本人は作業台の近くに置かれた椅子に腰掛けていた。
片脚を投げ出し、背もたれに体を預けたまま、こちらを見ている。
―—―この扉も魔道具なのか。
「いいタイミングだ」
男はそう言って椅子から立ち上がると、作業台に置かれていた剣を手に取り、ボルクへ差し出した。
「ほら、試してみろ」
ボルクは恐る恐る剣を受け取った。
見た目には、預ける前と何も変わっていない。使い込まれた柄も、刀身に残った細かな傷も、すべて以前のままだった。
しかし、柄を握って魔力を流し込んだ瞬間、その違いははっきりと分かった。
手のひらから流れ込んだ魔力が、柄の内部を通り抜け、刀身の先端まで滑らかに伝わっていく。
刃に刻まれた細い紋様が淡く輝き、懐かしい振動が手のひらへ返ってきた。
いや、以前よりも魔力の通りが良くなっているようにさえ感じられる。
「……本当に直ってる」
ボルクは剣を見つめたまま、呆然と呟いた。
「当たり前だろ」
男は心外だと言わんばかりに眉をひそめたが、ボルクにはその表情を気にする余裕などなかった。
握り締めた剣の柄から、確かな感触が伝わってくる。
もう二度と戻らないかもしれないと思っていたものが、今、こうして自分の手の中にある。
視界がじわりと滲み、慌てて瞬きをしたものの、溢れかけた涙を止めることはできなかった。
「……ありがとう」
喉の奥から、絞り出すような声が漏れた。
ボルクはゆっくりと剣を鞘へ戻すと、両腕で抱き締めるように胸元へ引き寄せた。
「……本当に……ありがとう……。これで、俺はまだ──…ハンターでいられる」
俯いたボルクの肩が、小さく震えていた。
男はそんな彼をしばらく眺めていたが、やがてコートのポケットに両手を突っ込むと、何でもないことのように口を開いた。
「礼なら、あのバーのマスターにでも言うんだな。なんなら、たまにあそこで酒でも飲んでやってくれ」
「……ああ。絶対に、通わせてもらう」
「そこまでは言ってねぇよ」
男は呆れたように笑った。
その表情を見て、ボルクも涙に濡れた顔を少しだけ緩めた。
「あっ、そうだ。これ、代金だ」
ボルクは慌てて懐から封筒を取り出すと、中に入れていた紙幣を抜き取った。
「……本当に十万でいいんだな?」
「別に、払いたきゃもっと払ってもらっても構わないぞ」
「いや、すまない」
男の気が変わらないうちにと、ボルクは急いで紙幣を差し出した。
「まいどあり」
男は受け取った紙幣の枚数を数えることもなく、そのまま無造作にコートのポケットへ突っ込んだ。
そのあまりにも大雑把な仕草に、ボルクは思わず苦笑した。
これほどの腕を持ちながら、どうしてこんな場所で仕事をしているのだろう。
聞いてみたい気もしたが、今はそんなことより、もう一度剣を試してみたかった。
ボルクは改めて頭を下げると、大切な剣を抱えて工房を後にした。
* * *
地上へ出ると、路地の隙間から生暖かい風が吹き込んできた。
湿り気を含んだ空気には、どこかの店から流れてくる油の匂いや、古い建物に染みついた埃の匂いが混ざっている。
普段なら不快に感じるような風だったが、今のボルクには不思議と心地よかった。
スラムを抜け、通りへ出れば、相変わらず大勢の人々が忙しそうに行き交っている。
荷物を抱えて走る男、露店の前で言い争う客、道端で遊ぶ子供たち。ここではありふれた日常の光景だ。
それなのに、ボルクの目には、そのすべてが昨日までとは違って見えた。
──剣が直った。
ただ、それだけのことだった。
失ったと思っていたものが戻ってきただけで、金が増えたわけでも、急に強くなったわけでもない。
それでも、世界がこんなにも明るく見える。
ふと顔を上げると、建物の隙間から、いつもの紫色に濁った空が覗いていた。
昔話に出てくる青い空とは似ても似つかない、見慣れた曇り空。
だが今のボルクには、その空さえ眩しく感じられた。
腰に下げた剣の柄へ、そっと手を添える。
これでまた、明日からハンターとして生きていける。
あの聖属性の鉱物を手に入れたとき、自分がどれほど浮かれていたのか、今ならよく分かる。
突然手に入った大金に舞い上がり、高価な剣さえあれば、これまでとは違う人生が待っていると信じていた。
けれど、自分には人より優れた才能があるわけではない。
これまでの一年間で、それは嫌というほど思い知らされてきた。
それでも、ハンターという仕事を諦めたくはなかった。
ボルクは剣の柄から手を離すと、昨日までとは違う、しっかりとした足取りで自宅へ向かって歩き始めた。
* * *
翌朝。
まだ人通りの少ない早朝の大通りを抜け、ボルクは都市の大門へ向かっていた。
門の前には、すでに何人ものハンターたちが集まっており、装備を確かめたり、仲間と今日の予定を話し合ったりしている。
その中を通り抜けたボルクは、腰に下げた剣の位置を確かめると、大きく開かれた門をくぐった。
今日の狩り場は、これまで何度も足を運んだ場所だった。
相手にするのも、比較的弱い部類の魔物ばかりだった。
剣が壊れる前のボルクは、そろそろもっと強い魔物に挑戦したいと考えていた。
実際、今もその気持ちがないわけではない。
しかし、ボルクは急ぐ必要などないと思い直していた。
弱い魔物でも、倒して魔石を売れば金になる。
そして今より効率よく狩る方法をボルクは考え始めていた。
無駄な動きを減らし、魔力の消耗を抑え、少しでも多くの魔物を安全に倒す。
そうして経験を積んでいけば、自然と強い魔物と戦うことになるだろう。
貯金はもうほとんど残っていない。
ここで無理をして大怪我でも負えば、今度こそハンターを続けられなくなるかもしれなかった。
だからこそ、今日はいつも以上に慎重に戦おう。
ボルクはそう決めると、鞘から剣を抜いた。
魔力を流し込むと、刀身に刻まれた紋様が淡く輝き、昨日取り戻したばかりの確かな感触が手のひらへ伝わってくる。
その光を見つめるボルクの口元に、自然と笑みが浮かんだ。
やがて彼は剣を構え直すと、前方に広がる荒れた大地へ向かって歩き出した。
その足取りは慎重だったが、前を見据える瞳には、確かな希望が宿っていた。




