第9話 強さに憧れた男のその後
カイルがレオンに魔道銃の改造を依頼してから、一か月が経っていた。
その日、都市の門をくぐったカイルは、まだ新しい防具に身を包んでいた。
胸当てに腕当て、丈夫な革製のブーツ。腰には予備の魔石を収めた小さな鞄を提げている。どれも以前のカイルには手が届かなかった品ばかりだ。
先週仕留めた魔物が、食用として富裕層に人気の高い種類だったのだ。
魔石の買い取りだけでも十分な金額だったが、肉の売却益を合わせると、これまで一度の狩りで手にしたことのない大金になった。
その金で装備を一新したのだ。
それでもまだ貯蓄も残っている。
改造費として支払った十万ルピーなど、とっくに取り戻していた。
「……今日は森の方へ行ってみるか」
カイルは都市の外に広がる荒野を眺めながら、独り言を漏らした。
森には荒野よりも強い魔物が多く生息している。その分、得られる魔石も高値で売れることが多い。
以前のカイルなら、単独で森に入ろうなどとは考えもしなかっただろう。
しかし、今は違う。
先週倒した魔物は、この周辺の荒野ではかなり強い部類だった。それを、たった一人で仕留めることができたのだ。
森の奥深くまで進まなければ、そうそう危険な相手には出会わないはず。
それに、いつまでも荒野で狩りを続けていては、ギルドから声がかかることもない。
このまま実績を積み重ねれば、近いうちにどこかのギルドが自分に目をつけるだろう。
そうなれば、もっと強い魔物も狩れるし、もっといい装備を買える。
最近は、そんな期待を抱くことが増えていた。
幼い頃、友人たちが誇らしげに語っていた父親のように、自分も誰かから羨ましがられる存在になれるかもしれない。
カイルは腰の魔道銃に手を添え、森へ向かって歩き始めた。
森に入ってからの狩りは、予想以上に順調だった。
最初に遭遇した四足の魔物は二発で倒せた。続いて現れた獣型の魔物も、距離を保ったまま仕留めることができた。
以前なら仲間と連携しないと倒せないような相手だったが、今では一人でも十分に戦える。
カイルは倒した魔物から魔石を回収し、鞄へ収めた。
「……やっぱりな」
思わず笑みが浮かぶ。
何も問題はない。
森の魔物が強いといっても、入口付近ならこの程度なのだ。
今まで必要以上に恐れていただけなのかもしれない。
いや、違う。
自分が強くなったのだ。
そう考えると、胸の奥が熱くなった。
父親と同じようなハンター人生を送るしかないと思っていた頃が、ひどく遠い昔のことに感じられた。
自分は特別だった。
ただ、それに見合った武器を持っていなかっただけなのだ。
そう思い自然と笑みを浮かべる。その時だった。
ふと、足を止めた。
「……?」
何かがおかしい。
カイルは周囲を見回した。
木々の間には薄暗い影が落ち、湿った土と腐葉土の臭いが漂っている。風に揺れる枝葉の音も、遠くで聞こえる小さな生き物の鳴き声も、先ほどまでと変わらない。
実際、森に何か変化が起こったわけではなかった。
それでも、妙な違和感があった。
背中を冷たいものが這い上がるような、嫌な感覚。
ハンターとして働いてきた経験が、ここに留まってはいけないと告げていた。
カイルは無意識に魔道銃の柄を握った。
そして、ゆっくりと頭上を見上げた。
「……嘘だろ」
木と木の間に、白い糸が張られていた。
一本や二本ではない。
太い枝から隣の木へ、さらにその奥へと、無数の糸が複雑に伸びている。
光の乏しい森では見分けにくいが、目を凝らせば、頭上のあちこちに白い筋が浮かび上がっていた。
その光景を、カイルは先輩から聞いて知っていた。
ビッグスパイダー。
別名、『ハンター狩り』。
巨大な蜘蛛の姿をした魔物で、木々の間に張り巡らせた糸を足場に獲物を追い詰める。
中堅ハンターのパーティーでも、倒せるかどうか分からない相手だ。
ましてや、いかに腕に自信があるからといって、単独で遭遇していい魔物ではない。
カイルの喉が、小さく鳴った。
いつから縄張りに入っていたのだろう。
先ほどまで、まったく気づかなかった。
頭上にこれだけの糸があるということは、かなり奥まで踏み込んでしまったのかもしれない。
慌てて後退しようとした、その瞬間。頭上で、何かが動いたことに気付く。
ゆっくりと顔をそちらの方へ向ける。
木々の隙間から―—何かが出てくる。
八本の長い脚とその中心にある黒褐色の胴体。
腹部には不規則な斑紋が浮かび、脚の関節には硬そうな棘が並んでいる。
人間など簡単に包み込めそうな巨大な蜘蛛が、木々の間に張った糸にぶら下がっていた。
その頭部に並ぶ複数の小さな目が、静かにカイルを見つめていた。
カイルは息を呑んだ。
蜘蛛の顔には、人間が感情を読み取れるような表情などない。
だからこそ、余計に不気味だった。
こちらを獲物として認識しているのか。襲うつもりなのか。
それとも、ただ動くものを眺めているだけなのか。
何一つ分からない。
ただ、その脚がゆっくりと動いた瞬間、カイルは反射的に走り出していた。
背後で、何かが空気を裂く音がした。
振り返る余裕はなかったが、直後に先ほどまでカイルの立っていた地面へ白い糸が突き刺さった。
「くそっ!」
カイルは木々の間を走りながら魔道銃を抜いた。
逃げるしかない。
あんな相手に勝てるはずがない。
そう理解していた。
頭上ではビッグスパイダーが、糸の上を滑るように移動していた。
あの巨体からは想像できないほど速い。
木々の間を跳び移るのではなく、張り巡らされた糸を伝い、ほとんど音も立てずに位置を変えている。
そのたびに、頭上のどこかから糸が飛んできた。
カイルは必死に走り、木の陰へ飛び込み、再び別の方向へ駆け出した。
何度も足を取られそうになりながら、ようやく魔道銃を構える。
狙いなど、まともにつけられなかった。
それでも引き金を引いた。
魔弾が木の幹を削り、枝を砕く。
さらに数発。
そのうちの一発が、ビッグスパイダーの脚を捉えた。
硬い外殻が弾け、黒い液体が飛び散る。
「当たった!」
カイルは一瞬、希望を抱いた。
改造銃なら、こいつにも通用する。
そう思ったのも束の間だった。
ビッグスパイダーの動きが止まった。
複数の目が、まっすぐカイルへ向けられる。
そして、巨大な腹部が持ち上がった。
「……まずっ」
放たれた糸は、それまでとは違っていた。
一直線に飛んでくると思っていた白い塊が、空中で一気に広がったのだ。
無数の細い糸が網のように展開し、カイルの進路を覆い尽くす。
「ッ!」
避けようと身体をひねったが、間に合わなかった。
網が胸と肩に絡みつき、そのまま身体を地面へ叩きつけた。
「ぐっ……!」
カイルは慌てて起き上がろうとした。
しかし、身体が動かない。
網の一部が地面に貼りつき、さらに腕や脚にも絡みついていた。
無理に引き剥がそうとすると、粘着した糸が伸びて別の場所へ貼りつく。
右脚を動かせば左脚に絡み、左腕を引けば胸元の糸がさらに締まる。
「なんだよ、これ……!」
焦って動けば動くほど、自由が失われていった。
カイルは必死に周囲を見回した。
頭上ではビッグスパイダーが、ゆっくりと糸を伝って移動している。
逃げる獲物を追う必要がなくなったからだろうか。
先ほどまでの素早さが嘘のように、落ち着いた動きだった。
その様子が、カイルに更なる恐怖を植え付けていく。
蜘蛛は焦っていない。
もう、獲物が自力で逃げられないことを知っているからだ。
「……くそっ、くそっ!」
カイルは身体をよじった。
だが、糸は外れない。
むしろ背中まで糸が張り付き、身動きが取れなくなっていく。
心臓が激しく脈打っていた。
息が浅くなる。
頭の中では、逃げなければという言葉ばかりが繰り返されていた。
そのとき、右手にまだ硬い感触があることに気づいた。
魔道銃。
転倒したときも、手放さずに握っていたのだ。
「……やるしかないッ!」
カイルは辛うじて動く右腕を持ち上げ、網の隙間から銃口を突き出した。
照準を合わせる余裕などない。
それでも、引き金を引いた。
魔弾が放たれる。
ビッグスパイダーは脚を動かし、糸の上を滑るように移動してそれをかわした。
カイルはそんなことにかまわず続けて引き金を引いた。
一発、二発、三発。
銃声が森に響き、木々の間を魔弾が駆け抜ける。
しかし、魔弾が蜘蛛に当たることはなかった。
蜘蛛は糸を足場に、自在に位置を変えて、まるでカイルを嘲笑うかのように移動していた。
「当たれよッ!」
カイルは叫びながら引き金を引き続けた。
十発を超えた頃、右手に違和感を覚えた。
銃が熱いのだ。
握りの部分から、じわじわと熱が伝わってくる。
カイルは一瞬、引き金から指を離した。
――熱を持つようなことがあれば、使うのは控えた方がいい。
レオンに言われた言葉が、頭の中に蘇った。
「……っ」
カイルは銃を見た。
今すぐ撃つのをやめるべきなのだろう。そんなことは分かっている。
だが、撃つのをやめたらどうなる。
目の前にはビッグスパイダーがいる。
身体は糸に絡め取られ、逃げることもできない。
誰かが助けに来る可能性など、ほとんどなかった。
「……嫌だ」
小さな声が漏れた。
死にたくない。
まだ、何も成し遂げていない。
ようやく稼げるようになったのだ。ようやく、自分にも才能があると思えたのだ。
これからもっと強くなって、もっと稼いで、ギルドにも入って。
そんな未来が、もう少しで手に入るはずだった。
こんなところで終わるわけにはいかない。
カイルは歯を食いしばり、再び引き金を引いた。
十一発目。十二発目。
魔弾がようやく蜘蛛の腹部をかすめた。
だが、致命傷にはならない。
十五発目。
とうとう銃身から薄い煙が上がり始める。
握っているだけで、手のひらが焼けるように熱かった。
それでも、指を離せなかった。
十八発目。十九発目。
ビッグスパイダーが、少しずつ近づいてくる。
その動きは、まるで獲物の抵抗が弱まるのを待っているかのようだった。
「来るなッ!」
そして迎えた二十発目。
カイルは、ほとんど悲鳴のような声を上げながら引き金を引いた。
次の瞬間。
ボンッ!
乾いた破裂音が森の中に響いた。
「ッがぁァァァッ!」
右腕に、想像したこともない激痛が走った。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、熱い。腕が焼けるように痛む。
カイルは反射的に右手を引こうとした。
だが、そこにあるはずの重さがなかった。
恐る恐る視線を落とす。
「…………え?」
右手首から先が、なくなっていた。
銃も、指も、手のひらも。
何もなかった。
残された腕の先から血が流れ、地面と糸を赤く染めている。
「……あ……アァァ……」
理解が追いつかなかった。
さっきまで、確かに握っていた、父親の剣を売って買った銃。
自分を変えてくれた銃が、自分の手ごと―—消えていた。
「……嘘だろ……」
身体が震えた。
痛みで視界が滲み、呼吸がうまくできない。
逃げなければ。
そう思っても、もう身体は動かなかった。
痛みでもがいた拍子に糸が腕にも脚にも絡みつき、地面へ縫いつけられていた。
そして、視界の端で黒い影が再び動き始めた。
巨大な蜘蛛が、ゆっくりと近づいてきていた。
もう、こちらを警戒する様子すらない。
カイルは必死に首を振った。
「……来るな……」
声が震える。
「頼む……来ないでくれ……」
蜘蛛は止まらなかった。
頭部に並んだ小さな目が、カイルを見下ろしている。
そこに怒りも憎しみも感じられない。なんの表情も読みとれない。
しかしその下にある口は細かく動いていた。
カイルはようやく理解した。
自分は、ここで死ぬのだ。
「……助けて……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
嫌だった。死ぬのが怖かった。
まだ生きていたい。
もっと稼ぎたかった。もっと強くなりたかった。
誰かに、自分は立派なハンターなのだと認めてもらいたかった。
その願いの一つも叶わないまま、終わってしまう。
ビッグスパイダーが腹部を持ち上げる。
白い糸が噴き出し、カイルの身体に貼りついた。
「ひっ……!」
蜘蛛はカイルの周囲をゆっくりと回り始めた。
新たな糸が幾重にも巻きつき、最初に身体を捕らえた網ごと包み込んでいく。
脚が見えなくなった。
続いて胸元が覆われ、左腕も白い糸の中へ消えていった。
「……やめてくれぇェ!」
カイルは叫んだ。
だが、蜘蛛は動きを止めない。
糸が肩を覆い、首元へと迫る。
カイルは最後の力を振り絞って身体をよじったが、粘着した糸がわずかに伸びただけだった。
「誰かッ! 誰か助けてくれぇッ!」
返事はなかった。
森には、彼の声を聞く者などいなかった。
やがて糸が顔にかかり、口元を覆った。
最後まで何かを叫ぼうとしていたカイルの声が、くぐもった音へと変わる。
そして、その音も聞こえなくなった。
ビッグスパイダーは最後の糸を巻き終えると、白い塊を抱え、木々の間へと運んでいった。
後には、破裂した魔道銃の小さな破片が残されているだけだった。
―—森に静寂が戻った。
◇ ◇ ◇
カイルが工房を後にしたあと、レオンは作業台の上を片づけていた。
使った工具を元の場所へ戻し、取り外した部品を仕分ける。作業台を拭き終えると、今度は棚から別の魔道具を取り出した。
知り合いに頼まれていた、小型の照明用魔道具だった。
こちらは単純な故障で、内部の接続部を直せば問題なく使えるようになる。
レオンは手早く修理を済ませ、動作を確認すると、完成した魔道具を棚へ戻した。
「……こんなもんか」
時計を見ると、そろそろエドワードの店が開く時間だった。
レオンは工房の明かりを落とし、扉に鍵をかけて外へ出た。
「いらっしゃいま……って、お前か」
店の扉を開けたレオンを見て、カウンターの向こうにいたエドワードが呆れたような顔をした。
「よう」
開店したばかりの店内に、ほかの客の姿はなかった。
レオンは慣れた足取りでカウンターの一番奥へ向かい、いつもの席に腰を下ろした。
「毎度のことだが、勝手に飲むのはいいとして、片づけくらいしていけよ」
「あー、わりぃ。依頼主がせっかちでよ」
「……ったく」
エドワードはため息をつきながら、グラスを一つ取り出した。
「何飲む?」
「その前に、なんか食い物出してくれ。今日は朝から酒しか飲んでねぇんだ」
「……またツケる気か?」
「ほら、代金だ」
レオンはポケットに手を突っ込み、一万ルピー札を五枚取り出した。
今日の依頼で受け取った十万ルピーの、ちょうど半分だった。
エドワードは差し出された金を見つめた。
「…………」
「なんだよ」
「いや……別に」
エドワードは黙って紙幣を受け取ると、カウンターの奥にある厨房へ向かった。
それから十分ほどして、皿を手に戻ってきた。
「ほらよ。特別にステーキ焼いてやったぜ」
レオンの前に置かれた皿には、厚めに切られた肉と付け合わせの野菜が盛られていた。
「人工肉なのに、偉そうにされてもな」
「文句があるなら食うな」
「これはもう俺のもんだ」
レオンはさっそくナイフを手に取り、肉を切り分けた。
焼き加減は悪くない。
口に運ぶと、人工肉特有の均一な食感があったが、味付けは十分だった。
「……まあ、うめぇな」
「素直に褒めろよ」
「褒めてんだろ」
エドワードは呆れたように笑い、自分の仕事へ戻った。
レオンが食事を終える頃には、グラスの酒もすっかりなくなっていた。
皿を脇へ寄せると、懐から魔道煙草を取り出す。
指先からわずかな魔力を流して、深く吸い込んだ。
白い煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。
それを見たエドワードも、シャツのポケットから煙草を取り出し吸い始めた。
しばらく、二人は黙って煙草を吸っていた。
やがて、エドワードが口を開いた。
「今日の客はハズレだったのか?」
「あん?」
「お前がツケを払うのは、よっぽどでかい仕事のときか、相手がハズレだったときだろ」
「……そんなことねぇよ」
レオンは煙草をくわえ直し、ゆっくりと煙を吐き出した。
エドワードはそれ以上追及せず、黙って続きを待った。
「まあ、けど……ありゃ長くはないだろうな」
「ハンターか?」
「あぁ‥‥無理をしてダメになるのがオチだろうぜ」
「……ちゃんと忠告してやればいいじゃないか」
「道具の使い方は教えたよ。それ以上は知ったことじゃねぇ。自己責任だ」
「まあ、それもそうか」
エドワードは煙草を吸い、少しだけ目を伏せた。
「……ハンターが死ぬのくらい、日常茶飯事だろ」
レオンが何でもないことのように言った。
「……嫌な世界だぜ」
エドワードは小さく呟いた。
レオンはそれに答えなかった。
魔物から得られる魔石で都市の暮らしは成り立っているが、そのために命を落とすハンターは後を絶たない。
それは今に始まったことではなく、人々が壁に覆われた都市に押し込められるように暮らしだしてからは、当たり前に繰り返される日常の一つだった。
レオンは吸い終えた煙草をポケットにしまい、椅子から立ち上がった。
「さて、腹も膨れたし、行くとするか」
「どこに行くんだ……って、聞くだけ無駄か」
「今日こそカジノの金庫、空にしてやるよ」
「せっかく稼いだんだから、少しくらい残しとけよ」
「勝てば増えるだろ」
「……お前なぁ」
エドワードの呆れた声を背中で聞きながら、レオンは店の扉を開けた。
夜だというのに、生暖かい空気が店内へ流れ込んでくる。
同時に、通りを行き交う人々の話し声や、遠くで鳴る車輪の音が入り込んだ。
「じゃあな」
「ああ。ほどほどにしとけよ」
レオンは片手を上げ、夜の街へ消えていった。
扉が閉まると、外の喧騒は再び遠ざかり、店内には落ち着いた音楽だけが流れ始めた。
「……さてっと」
エドワードも煙草をしまうと、レオンが使った皿とグラスを片づけ始めた。
皿を洗い、グラスを拭き、カウンターを整える。
ちょうど片づけが終わった頃、入口の鈴がチリンと鳴った。
エドワードは顔を上げ、扉の方へ向き直る。
「いらっしゃいま」
―—―――—―
強さに憧れた男 完




