Ep6-41 脱出
煙が立ちこめ始める廊下に桔花の手を引いて洋館からの避難を促す英太の姿があった――
火はすでに二階廊下まで回っていた。天井裏伝いに燃え広がっているらしい。幸い、まだ階下からは煙が上がっていない。
「こっちだ、桔花!」
「!」
引いた手がビクッと反応して片梨さんの脚が遅くなる。
「急げ。二階は、じきに火の海だ」
俺は階段広場の手摺り越しに一階を覗き込んだ。レムナンツ・ハンズのメンバーがダンスホールの方へ走っていく背中が見える。
「桔花、早く!」
急いで階段を下りようとして片梨さんがつないだ手を振りほどく。
「もう大丈夫だから。いつまでも手を握ってるんじゃないわよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
前髪に隠れて表情が見えない。横に引き結ばれた口元がもじもじと動く。
「それに、いつ名前呼びしていいって言った?しかも呼び捨てだし」
はっ、しまった。なんとなく心の中で名前で呼ぶようになっていたのが口をついてしまった。
「いや、その、緊急事態だし、呼びやすかったからつい……」
前髪で表情を隠したまま、片梨さんが俺の脇を通り抜け広い階段を駆け下りていく。
「……不意打ちなんて卑怯よ……」
片梨さんのつぶやきは二階の柱が燃えて爆ぜる音に掻き消されて聞き取れなかった。
急いであとを追いかけ階段を駆け下りる。すると、一階に着いたところで片梨さんが足を止めていた。
「白田さんだわ。助けなきゃ」
階段下の談話室にある暖炉から這い出したように半分身を乗り出したところで白田氏が倒れていた。
「近寄っちゃダメだ。そいつは片梨さんを罠にはめた張本人なんだ」
「……元に戻さなくていいわよ」
「へ?」
「呼び方。非常事態だし、今は英太がリーダーだし」
言いながら白田氏に近づいていく。首に手を当てて呼吸と脈があることを確かめる。
「連れて行くわよ。悪者だとしてもここで死んでいいわけじゃないわ。レイダーは泥棒だけど無法者じゃないんだから」
「……わかった。でも桔花は離れてろ。俺が背負う」
桔花が目を丸くして息を飲む。
「……なんだよ、おまえが名前呼びでいいって言ったんだろ?」
「そ、そうよ。ちょっと慣れなかっただけよ。ほら、背中出して」
やけくそ気味に白田氏の体を俺の背中に乗せる。俺は中腰で体を揺すり、ダンスホールに向かって駆け出した。
開かずの間の結界が解けたときに同時にダンスホールの窓の結界も解除されたようだ。すでにフランス窓は大きく開け放たれて、ベランダの外にレムナンツ・ハンズのメンバーが待っていた。
「いぞげ、英太。すぐに火が回るぞ」
ケイタが腕をぐるぐると回して急かしてくる。
すでに二階は床まで火に呑まれ、一階の天井も開口部から炎が噴き出してる。
何とかケイタたちの立っているところまで走りきり、ぐったりと意識を失ったままの白田氏を芝生に下ろす。俺は荒い息を吐きながら大の字に寝転んで満天の星空を仰いだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、なんとか、助かった、はぁ、はぁ」
「やったな、英太。俺たちが助かったのもおまえのおかげだ。あのまま気絶したまんまだったら、俺たち焼け死んでたからな」
ケイタが上から顔を覗き込んでニカッと笑い、親指を立てる。
「大きな借りが出来てしまいましたね」
写楽君が少し残念そうに笑う。ソロ・レイダーの矜持が滲む。俺は申し訳ない気持ちになって、つい口に出してしまう。
「いや、あの火はうちのチームが着けたんだ。成り行き上仕方なかったんだけど、巻き込んで怪我させたらこっちの方が申し訳なかった」
「バカ英太。何もそこまで正直に言わなくていいのよ。恩を着せておけばいいのに」
桔花がぼやく。
「あー、あの火事、おまえが火を着けたのか。どおりで火の回りが早いわけだ」
「そうよ。文句ある?あたしが本気出したらあの程度の建物、一瞬で丸焼けなんだから」
背後でドーンと爆発音が鳴り、洋館が半壊して二階部分が崩れ落ち夜空に火の粉が舞う。
「おお、こわ」
トオノさんが自分を抱きしめるように腕を回して震えあがる。わざとらしい動きだ。
「おまえ、加減てものをだな」
「考えなしの駄犬に言われるのは心外だわ。それに実害がなかったんだから結果オーライよ」
「あはは、大胆だねぇ。気に入ったよ、うん。そういうことなら貸し借り無しだね」
写楽君は心の底からスッキリしたという表情で笑った。
「だけど、この人はどうするの?」
「ノクターナルが連れて行くわ。このまま放りだすわけにはいかないもの」
「へー、おまえ、そんな博愛主義者だったっけ?」
「うっさいわね。人道的処置よ。人として当然でしょ?」
「……」
何で桔花は白田氏の保護にこだわるんだろう?言っていることは正しいけれど、普段の桔花ならドライに切り捨ててもおかしくない。それも自分を狙った敵ならばなおさらだ。何か俺の気づいていない目論見があるのだろうか?
「さあさあ、立ち話はこのへんにして、そろそろ先に進まない?」
トオノさんが話を打ち切って行動に移るように促す。
「山下邸からは出られたけれど、空を見る限りまだここは元の東京とは違う場所違う時代のようだし、完全に結界から出られたわけじゃないと思うよ」
「だな。とりあえずあっちの森の先まで行ってみっか」
ケイタが顎で示した先は黒々とした立木の陰の向こうに小さな灯りが微かに見えていた。青白く冷たく突き刺すような光。まるでシリウスのようだった。
「そうだね。ケイタ、この人を運んであげなよ」
「えーっ、なんで俺が?」
「いいからいいから。英太はもうヘロヘロだろ?」
情けない話だが自分で歩くのが精一杯だ。おれは寝ころんだまま写楽君に向けて感謝を込めてうなずく。
「まー、英太がこの体たらくじゃしょうがねぇか。よいしょっと」
おんぶした俺と違い、ケイタは軽々と白田さんを肩にかけて歩き出す。
「あんたも起きなさいよ」
桔花に手を引かれて起き上がり、みんなと一緒に木々の向こうのシリウスの光を目指す。
芝生の庭園の端に着くころには背後の館はすっかり燃え落ちていた。それは関東大震災の火災で焼失したはずの運命が結界の崩壊とともに一気に館を吞み込んだように思えた。
立木の列は森というほど深くなく、すぐに途切れてレンガ敷きの歩道に出る。
灯りの正体は古いアーク灯だった。
赤茶けて錆に覆われているが朽ちた印象はなく、基部や柱の一部を飾る繊細なレリーフはくっきりと健在で、歴史に裏打ちされた重厚さを醸し出している。三メートルを越える高さに灯る青白く鋭い光は見上げている間に細くなり消えた。灯りが消えたあとの空は深い紺色に塗りつぶされのっぺりとした奥行きの無い表情を見せていた。
「結界を抜けたみたいだね」
どこまでも落ちていくような漆黒に無数の宝石の欠片をちりばめた奥行きのある夜空が見えなくなってちょっと寂しい。
「ここは……日比谷公園か。意外と近いというべきか……」
トオノさんがすかさずガジェットを取り出して現在位置を確かめる。
「レイドエリアからは外れているんでしょう?大丈夫かな」
レイド外での犯罪行為は保護の対象外。その言葉が頭をよぎる。
「問題ない。あと十秒でレイド終了さ。四、三、二、一、お疲れさま」
ぷぁーっという試合終了のホーンが脳内再生される。
「ほんじゃあ、俺たちはここまでだ。あとは自分でなんとかしな、英太」
「ああ。運んでくれて助かったよ。カサギさんとメイさんによろしく」
「あはは、本当に馴れ合ってるねぇ。ま、こんな緊張感のないチーム関係があってもいいのかもね」
写楽君が笑う。
「今回は俺たちレムナンツ・ハンズがトップだな。結果が楽しみだぜ」
ケイタが桔花に向けて挑発するように顎を突き出す。
くっ、と口を結ぶ桔花の横に一歩踏み出してポーチから白ヒスイの瓶を二本取り出す。
「それはどうかな?種類じゃ同点けど、数なら勝ちかもよ?」
「あー、それ、がめて来やがったな!」
「ふふん、ノクターナルを舐めんじゃないわよ」
桔花が勢いを取り戻して胸を張る。
「そうそう、それでこそレイダーだよ。さ、いこうよみんな。じゃあねー」
先んじて背を向けてすたすたと歩き出す写楽君が肩越しにひらひらと手を振る。
その指先には銀色の名刺入れが輝いていた。
「あーっ、それ、白田さんのやつ!」
「ルール、忘れたの?レイド終了時点で手にしていた者に所有権があるんだよ?じゃあねぇ~」
「やるじゃん、倣介」
「へっへーん、ザマミロ~」
遠ざかる騒々しい声を苦々しく見送っていた桔花がフッと肩の力を抜く。
「さ、リーダー。あたしたちも帰りましょ」
「ああ。でもこの人、どうやって運ぼう?」
「そうね」
まだ気を失っている白田さんを見下ろして考え込んでいると、腕のガジェットが呼び出しの合図を送ってきた。
「はい、英太です」
『英太くん、無事だったのね。二人の反応が消えたからびっくりしたわ』
「ちょっと特殊な結界に囚われていて。詳細はあとで報告します」
『桔花ちゃんも無事……なのよね?』
ほっと安堵の息をついていたユナさんの声に少し緊張が混じる。
「ユナさん、あたし……」
『いまショーさんがそちらに向かっているわ。そのまま待機してて』
「ショーさんが?休暇だったんじゃ……」
『休暇の楽しみ方は人それぞれよ。あまり参考にしないほうがいいと思うけれど』
ワーカホリックな日本人全般に言えることだね。
そのあとしばらく情報交換をしているうちにショーさんが車で到着し、意識のない白田さんを乗せて撤収した。
山下邸の結界から抜け出したノクターナルとレムナンツ・ハンズの面々を、光害にけぶる見慣れた夜空が出迎える。静かな都会の夜にレイド終了の刻が訪れる――




