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Ep6-38 反魂術

英太が開かずの間にたどり着く数分前。白田が桔花の体に別の魂を移そうと試みていた――

 数分前――


「さあ、これを飲むんだ。露子さん。この娘の体に入りなさい」

 白田が『幻燈少女』から回収した魂は西園寺露子という故人のものだった。彼女は山下久兵衛が成り上がる以前、日清戦争に従軍した際に世話になった連隊長、西園寺子爵の一人娘である。西園寺子爵と懇意になった山下は帰国後、何度か子爵家を訪れるうちに露子を見初め、彼を気に入っていた子爵も彼を家族同然に扱い、いつしか二人は婚約の誓いを交わした。

 やがて二人は結婚し家庭を持った。だが露子は病弱で次第に伏せるようになる。山下は露子の治療費を稼ぐために仕事に没頭し、ついに成金と呼ばれるほどの富を手にした。が、その頃には露子の体力は限界を迎えており、長い闘病の末に若くして夭折した。山下の金への執着は妻の治療に間に合わなかった恨みと妻との時間を仕事にかまけて蔑ろにしたことへの後悔の裏返しであったのかもしれない。

 山下は晩年になると様々なつてを使ってロスト・アセットをかき集めた。

 亡き妻の復活。

 それこそが、山下を自身の死をも乗り越えて手に入れようとしたものだった。山下の執念が仕掛けた罠が白田氏を搦め取りその体を乗っ取り、いま、その手の中に想い人の魂を回収したのだった。

 百年を超えた妄執が今、実現しようとしている。

 白田氏の体に潜り込んだ山下の念が、今度は露子の魂を桔花の体に移すべく、その唇に瓶の口を当てる。

 緩やかに続く呼吸に合わせるようにして、とろりとした液状の何かが瓶の口から桔花の口へと流れ込む。通常の半分にも満たない量の魂がするりと桔花の口に吸い込まれ……。

 桔花の目がぱちりと開いた。

「おお……」

 桔花の眼がぎょろりと動いて感嘆する白田の顔を射抜く。


 その虹彩は千二百度の炎を思わせるオレンジ色の輝きを放っていた。


『貴様か、下郎。わらわに欠けた魂を飲ませようした不届き者は』

「なっ」

 桔花が支えもなく上半身をゆっくりと持ち上げる。

 寝台に広げられていた髪が重力に逆らって舞い踊る。

 桔花から放たれる耐え難いほどの威圧が、桔花の体にまといつく炎となって実体化する。舞い踊る髪がいつしか炎と一体化して、もはや人を超越した威容を示していた。

 掛け布団も天蓋の布も高熱にさらされて瞬時に蒸発する。

 天蓋の骨格が飴のように熔けて四方にのけぞるように曲がる。

 そばにあった幻燈機がボンッと弾けて映像が止まる。

 桔花の体は空中にあり、纏いつく炎が豪奢な打掛を形作っている。そのかおは桔花の面影を残しつつ人知を超えた凄絶な美を宿していた。

 圧倒されて尻餅をついた白田を睥睨しながら、桔花が般若のように口を薄く開く。

 歯と歯の間に乳白色の魂が行き場を失って逃げ惑うように震えている。

 桔花は白田を見下しながら、酷薄な笑みのまま、魂を噛み砕いた。

 乳白色の魂は瞬時に白い蒸気となり歯の間から口外に漏れ出し、天空へと昇って行く。

「ああ、露子さん……」

 絶望の表情で手を伸ばす白田に桔花が言葉を投げかける。

『あれはすでに死んだ魂ぞ。その欠片を捕らえ、いつまでも飼殺すとはあさましい男よ。妾が炎は浄化の炎。あれはあの世で自らの欠片と合一し、満足のままに昇天しよう』

 くくく、と喉を鳴らして嗤う。

「くそっ、私の苦労がぁ、私の計画がぁっ」

 白田が手近のものを桔花に投げつける。

 が、煩わし気に振るわれる左手が炎の突風を巻き起こし、それらのものを空中で逸らし蒸発させる。

『ふむ。まだ一つ、死にぞこないの魂がそこにあるな。貴様が悪さをせぬよう、焼き払ってくれようか』

 振りかぶった右手を振り下ろす。

 炎の矢がナイトテーブルに残されたもう一本の『羊脂玉浄瓶』に降り注ぐ。

「!」

 白田が身を挺して白ヒスイの瓶を守る。このまま砕かれては中の魂が霧散してしまう。白田はその場で瓶の中身を一気に飲み干した。

『ほう?その身に二つの魂を宿すか。定命のニンゲンにとっては耐えられぬ負荷となろう』

 うなだれていた白田の肩が小刻みに揺れる。

「ふ、ふふ、ふははは。少々予定と違ったが、復活したぞぉ。とうとう死をも克服した。はーっはっはぁ」

 先ほどまで怯えを見せていた男の目が、今は傲岸不遜な態度で桔花を睨み返している。

 あの白ヒスイの瓶には、山下久兵衛の魂が入っていたのだった。

「レリックでこの男の記憶を書き換え、自分が山下久兵衛の生まれ変わりであると思い込ませた。そうして器の形を整えた上でわしの魂を取り込ませ、許容量を超える耐性を得たのだ。わしの理論は正しかった。これでこの白田というこの者の魂を取り除けば、何の問題もない」


『主筆の手跡

 大正期の新聞記者が使っていた万年筆。

 これで書いた文章は、書いた本人の記憶の中でだけ『都合のいい事実』として上書きされる。

 世界は変わらないが、自分の中の過去が変質する。自己欺瞞のための道具である。


「もっと若い肉体が良かったが、まあいい。もう用意はできておる。すぐに手に入れてくれよう。そしてその体が老いるころ、新しい体を手に入れて……。ふははは、わしはついに不死を得たんじゃ」

 白田だった男が高笑いをあげる。

『ほう?妾の眼前で不死を謳うか。痴れ者』

 山下久兵衛は桔花の言葉を気にも留めずに新しく手に入れた肉体の感覚を確かめつつほくそ笑んでいた。

「ふ、女なんぞいつでも手に入る。いつまでも昔の女子おなごに執着するなど尻の青い餓鬼のすることよ。あの秘宝さえあれば。あれさえあればどんな時代でも金も地位も名声も手に入る。女など履いて捨てるほど寄ってくるわ」

『なるほど反魂はんごん外法げほうを試みる者の考えは下劣なものよのう。生者の道理を乱さぬうちに、煉獄に送ってくれようぞ』

 白田、もとい山下久兵衛を見下ろす眼が冷たく細まり、桔花が右手で空を撫でるように振り抜く。指の通る先から紅蓮の矢が何本も放たれ、逃げる山下久兵衛の後を射抜いていく。

「ひっ、ひぃぃ。化け物ォォォ」

 山下久兵衛は熱いドアノブに皮膚が焼かれるのも無視して扉を開け、転がるように逃げ去った。

『ふん、土御門つちみかどとの約定やくじょうとはいえ、獣にも劣るやからの命まで目こぼすのは面倒よのう』

 桔花は開け放された扉をつまらなさそうに一瞥して嘆息した。



桔花に宿る力が顕現し、山下久兵衛の目論見を打ち砕く――

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